【幻想】超ひも理論って何?一般相対性理論と量子力学を繋ぐかもしれないぶっ飛んだ仮説:『大栗先生の超弦理論入門』(大栗博司)
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「超弦理論」の大家が描く「空間は幻想かもしれない」という衝撃
本書の内容とこの記事の構成
本書は、「超弦理論」と呼ばれる最先端理論を研究する科学者による、「超弦理論とは何か?」をまとめた作品だ。ちなみに「超弦理論」には他にも「超ひも理論」という表記も存在し、両者は同じ理論を指している。
この「超弦理論」、現時点ではまだ正しさは認められていない。というか、「超弦理論」に批判的な立場の科学者の中には、「実験的な検証が不可能なのだから、仮説の域を出ない」と語る者もいるという。「超弦理論」は、あまりにミクロな領域に関する話であり、人類が作る実験装置では「超弦理論」が示唆する様々な予測を検証することなどできないのではないか、という見方も存在するというわけだ。
しかしその一方で「超弦理論」は、科学者が大いに待ち望むある実現のために不可欠な理論かもしれない、とも期待されている。それは「一般相対性理論」と「量子力学」の融合だ。
両者は共に、20世紀物理学の至宝と呼ばれる素晴らしい理論だ。一般相対性理論は「天体など非常に大きなもの(=重力がもの凄く大きい環境)」に対して、そして「量子力学」は「原子など非常に小さなもの」に適用される理論であり、それぞれの領域で見事に現象を説明する。
しかし時には、この2つの理論を同時に適用しなければならないこともある。例えば「ブラックホール」や「誕生初期の宇宙」など、「非常に小さいが重力がもの凄く大きいもの」には、「一般相対性理論」と「量子力学」が同時に使われるわけだ。
しかしこの2つの理論は、一緒に適用するとあまりに折り合いが悪いことが知られている。そこで科学者は、「一般相対性理論と量子力学を融合する新たな理論」を待ちわびているというわけだ。
そしてそんな候補の1つになるかもしれないと目されているのが「超弦理論」なのである。
そんな批判と可能性を内包する理論の最前線にいるのが著者であり、現役の研究者が「超弦理論」の知見を示してくれるのが本書だ。決して「易しい」とは言えない作品で、文系の人に勧められる作品ではないが、科学的な知識に関心がある人はついていけるだろうと思う。
そんな難しい「超弦理論」をこの記事ではどう紹介するかと言うと、著者の主張の1つである「空間は幻想かもしれない」という点に絞ろうと考えている。本書で触れられる話題は多岐に渡るが、すべてを紹介することは無理なので、本書の中で最も衝撃的だった話題に絞ろうと思う。
「空間は幻想かもしれない」という文章の意味がまず謎だと思うが、その辺りはおいおい説明していく。「超弦理論」が示す、「もしかしたら世界はこんな風になっているのかもしれない」という刺激的な描像を体感してほしい。
「空間」はどのように捉えられてきたのか
まずは、科学の世界で「空間」の捉えられ方がどのように変わっていったのかについて触れていこう。
まず登場するのは天才・ニュートンである。ニュートンは「絶対空間」と呼ばれる考え方を提示した。これはいわば、「私たちが『空間』を捉える際に最も馴染み深い考え方」だと言っていいだろう。
「絶対空間」というのは、非常にざっくり言えば「宇宙空間という『箱』が存在しており、その『箱』は変化せず不動だ」という考え方だ。例えば私たちは、「渋谷のハチ公前に集合」というような待ち合わせをする。これは要するに、「緯度・経度・高さ」の3要素を指定することで地球上のある地点を定めているわけだ。つまり、「宇宙空間という『箱』の中の1点を指定している」わけで、これは「変化せず不動」という「絶対空間」の考え方でなければ実現しない。
しかしその後、天才・アインシュタインがニュートンの「絶対空間」を否定した。彼は、「空間(や時間)は相対的だ」という発想から「相対性理論」を生み出し、それまでの空間(や時間)の概念を一変してみせた。
アインシュタインが「絶対空間」を否定したということは、私たちが行っている待ち合わせのやり方(宇宙空間という「箱」の1点を指定するやり方)は間違いだ、ということになる。厳密には確かにその通りだ。しかしアインシュタインの主張は、「速度がもの凄く速い場合」にしかその変化が現れない(感知できる程度の現象にならない)ので、私たちの日常生活には問題はないのである。
さてそれでは、アインシュタインがどのような主張をしたのか見ていこう。
Xさんが東京ドームの観客席に、Yさんがその上空を飛ぶ飛行機の中にいるという状況を思い浮かべてほしい。Yさんが乗っている飛行機は特別仕様で、もの凄く速い(例えば、光速の50%)で飛ぶとする。そして(止まっている)Xさんから見て、Aさんが東京ドームのピッチャーマウンドに立っている、としよう。
ニュートンの「絶対空間」の考え方からすれば、Xさんから見てもYさんから見ても、「Aさんはピッチャーマウンドにいる」ように見える。私たちの感覚からすればそれが当たり前だろう。しかしアインシュタインは、そうではないと主張した。止まっているXさんの状況は変わらないが、光速の50%の速度で進んでいるYさんからは、「Aさんはピッチャーマウンドではない場所(例えばバッターボックス)にいる」ように見える、というのである。
つまり、「Aさんがどこにいるか」という情報は、「どんな立場の観察者が見るかによって変わる」というわけだ。私たちの感覚からすれば信じられない話だが、現時点ではこのアインシュタインの捉え方が正しいとされている。私たちは、ニュートンが主張するような「変化しない不動の空間」にいるのではなく、「観察者次第で見え方が変化する空間」に生きているというわけだ。
本書ではこのように、これまでの「空間」の捉えられ方について確認をしていく。
「空間は幻想かもしれない」という文章の意味を説明する
それでは「空間は幻想かもしれない」の話に移るが、まずそもそもこの文章の意味が分からないだろう。本書には「温度」を例にした説明が載っているので、それを使って解説していこうと思う。
私たちにとって「温度」というのは馴染み深いものだ。天気予報では予想気温が発表されるし、実際に温度を測らなくても、「水が冷たい」「お湯が熱い」という感覚は日々感じているだろう。
科学の世界でも当然「温度」という指標は使われる。「℃」という馴染みのものより「K(ケルビン)」という絶対温度を示す単位がよく出てくるが、きちんと単位が存在するぐらい、「温度」というのは「当たり前に存在するもの」として扱われる。
しかし「温度」というのは、実際には存在しない。私たち人間が「存在しているように感じている」だけだ。
私たちが「温度」だと思っているものの正体は、実際には「分子のエネルギー(の平均)」である。マクロな世界(私たちが生きている巨視的な世界)では「温度」は存在するように感じられるが、ミクロな世界(原子・分子などの微視的な世界)に分け入っていくと、そこでは「温度」などというものは存在しない。ただ、分子が振動することによって生まれる「分子のエネルギー(の平均)」があるにすぎないのだ。
マクロな世界では存在するものがミクロな世界では消えてしまう。このような状況を「幻想」と呼んでいるというわけだ。
本書に載っているものではないが、私が考えたもう少し身近な例を出してみよう。
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