【実話】人質はなぜ犯人に好意を抱くか?「ストックホルム症候群」の由来である銀行強盗を描く映画:『ストックホルムケース』
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人間はなぜ「おかしな判断」をするのか?
「ストックホルム症候群」の衝撃
「ストックホルム症候群」と呼ばれる状態をご存知だろうか? 人間の判断が、時に奇妙なものになる好例としてよく知られている。定義としてはこうだ。
初めてこの存在を知った時、私はたぶん驚いたはずだ(ちゃんと覚えていないが)。なにせ、「自分に危害を加えている(あるいは加えようとしている)人物に好意・共感を抱く」というのだから。「そんなバカな」と感じる人も多いのではないかと思う。
しかし、何か事件が起こった際にこのような関係性が生じうることは知られており、我々も条件が揃えば同じ感情を抱くかもしれないのだ。
さて、「ストックホルム」というのはスウェーデンの首都である。なぜこのような名前がついているのか? それは、1973年にストックホルムの銀行で起こった強盗事件がきっかけで知られるようになったからだ。
そしてこの映画はまさに、この強盗事件をモデルにした作品なのである。
映画を観ると、「確かにな……」となるかもしれない
「ストックホルム症候群」は、説明の字面だけ見ていてもなかなか納得できるものではない。本当に、そんなこと起こりうるんだろうか? と感じてしまうだろう。
しかしこの映画を観ると、なるほど確かにありえなくもない、と感じるかもしれない。
映画の予告で流れるシーンに、こんな場面がある。説得を試みる警官は、犯人と直接ではなく、人質の一人を介してやりとりしている。警察と人質が電話でやり取りしている最中、警察が電話口の人質に、
と聞く。これに対する人質の返答がなかなか奮っている。
確かに、「警察を信用できるのか」という問題は常に存在する。日本の警察はそれなりに信頼できると思うが、しかしやはり失態や醜聞ももちろんある。外国の警察の場合、市民から賄賂を要求したり、自ら悪徳な行為を行っていたりすることもあるようだ。1973年当時のスウェーデンの警察が国民からどう思われていたのか知らないが、「人質が警察に好感を抱いていなかった」という可能性もあるかもしれない。
直接的に警察に不満があるというよりは、「公権力全般」への不信を抱いているなんてこともあり得る。政治への不満が警察不信として現れる、ということもあるだろう。
しかし、それらはあくまで可能性の話であり、この映画では「人質がことさらに警察に不信感を抱いている」という設定にはない。あくまでも焦点は、犯人と人質の関係性にある。
そして、「この人がしている行為は悪いことだけれど、決して悪い人間じゃない」と感じられる場合、犯人への共感が生まれる余地はあるだろう。ましてその犯人が、「民衆の不満を集めやすそうな組織(銀行も、金をたくさん保管しているという意味で、悪者扱いされがちな組織だろう)」を攻撃しているとすれば、なおさら加担したい気持ちが生まれるかもしれない。
人間をどう見るか?
ここからはもう「ストックホルム症候群」と直接的には関係がない話になるが、私は常に「他人の捉え方は自分次第だ」と考えている。当たり前のことを言っていると感じる方も多いかもしれないが、このような感覚を持たない人もいると思う。つまり、「自分が悪と感じることは、誰もが悪と感じるはずだ」という認識の人もいると思うのだ。
有名な話だが、瓶に半分ワインが入った状態を見て、「まだ半分も残っている」と考えるか「もう半分しかない」と考えるかは人によって違う。他人の捉え方も同じで、その人の言動を「良い」と感じる人もいれば「悪い」と感じる人もいる。
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