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【現実】東日本大震災発生時からの被災地の映像には、ニュースで見る「分かりやすさ」は微塵もない:『たゆたえども沈まず』

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地元メディアだからこそ映し出すことが出来る「震災後のリアル」

私にとっての「東日本大震災」

私の中で、「東日本大震災」という存在はとても大きい。

別に、東北出身というわけではない。震災後に縁あって、少しの間だけ東北地方に住んでいたが、震災以前の段階ではほぼ関わりはなかった。

だから、「身近な人が関わっている」という理由ではない。

私は、この記事を書いている時点で38歳。1983年生まれで、地下鉄サリン事件も9.11も、リアルタイムで知っている。静岡出身なので、上九一色村に拠点があったオウム真理教の事件は、距離的な近さもあって、非常に印象的だった。

それでも、東日本大震災の方が私の中で占める割合は圧倒的に大きい。

もちろん、東日本大震災というのは、日本の事件・災害の歴史上においてもかなり悲惨で特筆すべき出来事だと言えるだろうし、多くの人にとって非常に印象に刻まれる災害だったと思う。ただなんというのか、自分の中に、「東日本大震災は、なんか”別格”なんだよなぁ」という説明不能な感覚があり、それが「東日本大震災」への思い入れを強く抱かせるのだろうと思う。

私は、震災から5年経った頃に東北へと移り住み、3年半ほどいた。私が住んでいた地域は、沿岸からは遠く、東日本大震災全体で見れば被害は少なかったと言っていい。しかし日常的に関わる人の中に、「家が流された」「親族を亡くした」という人は当然いて、「そんなのこの辺の人なら誰にだってある」というような雰囲気も感じた。

余所者の私にはなかなか踏み込めない領域も多かったが、「震災後に自分が東北に住んだ」という経験も、その思い入れを強めているだろう。

だからこういう、東日本大震災を扱ったものにはすぐに反応してしまうのだ。

「分かりにくさ」を編集せずに切り取っていく

この映画で最も良かったと感じた点は、「分かりやすい見せ方」を選ばなかったことだ。

一番印象的だった場面の説明をしよう。映画の冒頭、地震発生直後のテレビ岩手盛岡市局内の映像のはずである。あらゆるものが揺れ、誰もが混乱し、身を隠したり、指示を飛ばしたりと様々な行動を取るテレビ局員が映されている中、壁掛けのテレビが倒れてこないように必死で押さえているスーツ姿のおじさんが一瞬だけ笑ったのだ。

画面の端に一瞬映っただけだったので気づかない人もいるだろうが、目を凝らして見なければわからないようなものではないので気づく人も間違いなくいるだろう。

「理解不能なことが起こった時に、思わず笑ってしまう」という感覚は誰もが理解できるだろうと思う。しかし私たちは、「東日本大震災」が非常に甚大な被害をもたらした災害だということを知っている。そして、そういう災害の映像として、「笑っているおじさん」は不適当だろう。

だからこの場面はたぶん、テレビでは流れないと思う。テレビでは、「分かりやすさ」が優先されるからだ。

私が東北にいた頃、ニュースではもちろん震災の特集を度々行っていた。その一つ一つを正確に覚えているわけではないが、覚えていないということは「よくある描かれ方」だったのだろう。「悲惨な光景を前に呆然とする人」「避難所で辛そうにしている人」「生活再建の見通しが立たずに途方に暮れている人」など、言い方は悪いが「容易にイメージしやすい人」を取り上げていたと思う。

それを悪いというつもりはない。テレビという、まさに”マス”向けのメディアにおいては、「分かりにくい取り上げ方」は求められないからだ。求められないものを流しても仕方ない。特に地元テレビ局であれば、被災者たちの間に様々な価値観・感覚があることを理解しているだろうし、そのどれかに肩入れすることも難しいだろう。そういう中で「震災に関して何か報じなければならない」という状況に立たされれば、「分かりやすさ」を優先するしかないことは当たり前だと思う。

そしてだからこそ、テレビ岩手はこの映画を作ったのだろう。自分たちが直視し、カメラにも収めた膨大な現実の内、ほんの一部しか世に出せていない。分かりやすさを優先するためにテレビでは流せなかった映像でも、映画でなら使える。そんな思いがあったに違いない。だからこそこの映画は、「分かりにくさ」がそこかしこに点在する作品に仕上がっているのだろうと感じた。

そしてだからこそ、この映画で使われている映像には、「恐ろしいほどのリアリティ」があるのだと思う。

地震発生直後の釜石を撮った映像では、のんびりと避難する人々の様子が映し出されている。高台に避難はするが実にだるそうに階段を登るし、高台に着いてからも緊迫感なく呑気にお喋りをしている。

その後、彼らがいる高台の真下まで津波が襲い、釜石の街は飲み込まれていく。そうなってもなお、人々の反応は様々だ。泣き叫ぶ女性もいれば、街が飲み込まれていることなど理解していないかのように無表情に歩く少年もいた。

映画の中でかなりメインの扱いがされる宝来館という旅館がある。その旅館の裏手はすぐ山になっており、従業員や宿泊客はその裏山を登って避難する。避難を終えた人物がカメラを下に向けると、逃げ遅れた人たちのすぐ後ろに津波が迫っている。裏山から多くの人が「早く!早く!」と声を掛け、ようやく津波の存在を認識する。

しかしそれでも、慌てる素振りはない。一瞬しか映っていなかったが、津波を認識しながらも走り出そうとしなかった人たちには驚かされた。

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