見出し画像

【アート】映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』が描く「美術界の闇」と「芸術作品の真正性」の奥深さ

完全版はこちらからご覧いただけます


美術界史上最高額の510億円で落札された「男性版モナ・リザ」が巻き起こした熱狂とその真実

メチャクチャ面白い映画だった。「男性版モナ・リザ」とも呼ばれる、レオナルド・ダ・ヴィンチ作ではないかと話題になった「サルバドール・ムンディ(世界の救世主)」。この絵は、「美術界史上最高額の510億円で落札された」ということもあり、そのニュースが一般的にも大きく報じられたそうだが、私は全然知らなかった。まさか一枚の絵の背後に、ここまで壮大なストーリーが存在するとは。私は「美術に興味はあるが詳しくはない」のだが、映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』はそんな人間でも楽しめるドキュメンタリー映画である。まるでフィクションではないかとさえ思うほどの展開に驚かされ、「いかがわしい闇の王国」とも称される美術界の深部を垣間見ることが出来る作品だ。

さて、内容に触れる前にまず、この映画の構成を称賛することにしよう。冒頭で映画のポイントとなる要素を一気に詰め込んだような映像が流れるのだが、これがとても良かった。冒頭にこの描写があるお陰で、美術に詳しくない者でも、その内容に一気に引き込まれるのではないかと思う。

映画でも本でも、「時系列順に語る」という構成のものは多くあるが、その場合、核心となる部分にたどり着く前に観客・読者の関心が途切れてしまう可能性がある。映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』では、映画の面白ポイントを凝縮した予告映像のような映像を冒頭に配したことで、「どうなっていくんだろう」という興味を抱かせることに成功していると私は感じた。

基本的にこの冒頭以降は時系列順に状況が説明されるのだが、冒頭で気になるワードやシーンについて触れられているので、興味が持続する。この構成は素晴らしかった。

さてそんなわけでこの記事でも、重要なポイントが分かりやすいように要点をまとめてみたいと思う。

個人宅から、ある絵が発見された。その絵を約1200ドル(約13万円)で購入した美術商が、レオナルド・ダ・ヴィンチ作である可能性を示唆する。美術界において長らく「失われた絵」と呼ばれていた絵かもしれない、というのだ。その「真正性」について様々な議論が巻き起こるが、最終的にその絵は約4億5000万ドル(約510億円)という、美術界史上最高額で落札される。しかし本当にこの絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチの手によるものなのだろうか?

いかがだろう。この設定だけでも十分興味が惹かれないだろうか?

映画『ダ・ヴィンチは誰に微笑む』を理解するために重要な2つの要素

私のように美術に詳しくない方向けに、この映画を観る上で重要となる2つの要素についてまず触れておこうと思う。それが以下の2点だ。ちなみにこの映画では、問題となる絵画は概ね「救世主」と呼ばれることが多いので、この記事でもそれに倣うことにする。

・「救世主」はなぜ「失われた絵」と呼ばれ、「存在するはず」と考えられてきたのか?
・「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品である」という「真正性」の問題とは何か?

前者から話を進めていこう。

後に510億円で落札されることになるこの「救世主」という絵画は、個人宅で発見される以前からその存在が噂されていた。つまり、「この世のどこかに存在しているはずだが、見つかっていない絵」というわけであり、そのため「失われた絵」と呼ばれていたのである。

しかし一体、見つかってもいない絵がなぜ存在すると考えられていたのか。その理由は、「ホラーの銅版画」と呼ばれている作品に関係がある。

1600年代にホラーという銅版画家がいた。彼はある銅版画を制作し、それを図録に載せる。そしてその説明に、「レオナルド・ダ・ヴィンチ、これを描く」と記載した。これが後に、「レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を写した銅版画」だと解釈されるようになっていく。つまり、「ホラーの銅版画の元となった絵が存在し、それはレオナルド・ダ・ヴィンチ作である」と考えられるようになったというわけだ。

「救世主」はこのように、その存在が明らかになる以前から美術界では話題の作品だったのである。そして、その「ホラーの銅版画」に似た絵が、地方の小さなオークション会社のHPで出品されていたのをとある美術商が見つけたことから、物語が動き出していったというわけだ。

それでは後者の「真正性」の問題の説明に移ろう。この点については、映画の冒頭では要点があまり説明されず、「『救世主』の『真正性』は一体何が問題になっているのか?」がなかなか理解できなかった。観る前にこの点を理解しておくと、すんなり映画を理解できるのではないかと思う。

ポイントは実にシンプルだ。つまり、「レオナルド・ダ・ヴィンチ本人が描いた」のか、あるいは「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房で作られたのか」の違いである。

レオナルド・ダ・ヴィンチは自身の工房を有しており、そこで弟子たちに様々なものを制作させていた。そしてそれらの作品が「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」として世に出ていたのだと思う。イメージとしては、マンガ家の分業を想像すればいいだろう。人気漫画であればあるほど、マンガ家はアシスタントを抱え、背景などを描いてもらっているはずだ。しかしそれらはすべて、そのマンガ家の作品として発表される。「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」というのは、そのようなイメージで捉えればいいだろう。

マンガ家の場合、キャラクターやストーリーなど中核となる部分をマンガ家自身が考えているだろうから、背景などをアシスタントに描いてもらったとしても、マンガ家自身の作品であると受け取られる。しかし、「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」の場合、レオナルド・ダ・ヴィンチによる指導やアドバイスなどあるとしても、すべてを弟子が描いているというケースもあるわけだ。つまり、「レオナルド・ダ・ヴィンチ作」と「レオナルド・ダ・ヴィンチの工房作」では、その価値が大きく異なるということになる。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

4,353字

¥ 100

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?