【権利】衝撃のドキュメンタリー映画『ヤクザと憲法』は、「異質さを排除する社会」と「生きる権利」を問う
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「ヤクザ」という存在を通して「権利」と「社会」を問う、骨太のドキュメンタリー映画
とんでもない映画だった。何しろ、ヤクザの実際の組事務所にカメラを持ち込んで、彼らの”日常”を撮影しようというのだ。そして、普段なかなか知り得ない「ヤクザ」の世界を通じて、「人間が社会の中で生きていくとはどういうことか?」という、非常に本質的な問いかけがなされていく。
私は本でも映画でもランキングをつけるのが好きではないが、私の中の「どうしても観てほしい映画」のトップ5には残り続ける映画ではないかと思う。それぐらい、凄まじい映画だった。
「ヤクザを排除すること」に意味があるだろうか?
私は、「アンダーグラウンドの世界を統べる存在」は必要だと思っているし、そういう「必要悪」としての「ヤクザ」の存在は許容する余地があるのではないか、と考えている。
この意見にはもちろん様々に異論が存在するだろうが、この議論についてはより詳しく、映画『ヤクザと家族』の記事で書いたので、そちらを読んでほしい。
『ヤクザと憲法』の中で印象的だったのが、次のセリフだ。
この発言の背景をまず説明しよう。
これは大阪市西成区にある大衆食堂のおばちゃんの言葉だ。その店に、指定暴力団・二代目清勇会の会長・川口和秀が訪れた際、カメラマンが「怖くないんですか?」と質問した際の返答である。
大衆食堂のおばちゃんは、当然だが、「アンダーグラウンドの住人」ではない。普通の世界で生きる普通の人だ。そしてそんなおばちゃんが、「警察よりもヤクザの方が自分たちを守ってくれる」と発言している。これは非常に示唆的だと私は感じた。
これは決して「警察は無能」という話ではない。しかし警察というのはどうしても、法律や過去の慣習の制約の中でしか動けない。今では違うだろうが、かつては「夫婦間のDV」などは「民事不介入」を理由に対応してくれなかったはずだ。「ストーカー規制法」が制定される以前は、女性が警察にストーカーの被害を訴えても「被害が出てからまた来てください」と言われてしまい、その後で殺されてしまうという事件も起こっていた。
確かに警察は、公権力として争い事に関われる。しかしそこには、「法が定める範囲内で」という制約がどうしてもきまとう。
では、法律の範囲外、あるいはグレーゾーンのような争い事については、被害者側が我慢するしかないのだろうか?
もちろん、法治国家の原則に則って判断すれば、この問いには「YES」と答えるしかない。正論を言うならば、「法改正を訴えて、法律を変えてください。そうすれば、法律の範囲内で対処できます」となるだろう。
しかし、今まさに被害を受けている人に、そんなことが言えるだろうか? 法律の範囲外だろうがグレーゾーンだろうが、実際的にそこに被害が存在しているのであれば、それに対処する存在が求められるだろう。
私はそういう観点から、「アンダーグラウンドの世界を統べる存在」は必要だと思うし、さらに、「義理人情」という大原則を掲げて行動する「ヤクザ」は悪くない選択肢だ、と考えている。
もちろん、『ヤクザと家族』の記事でも書いたが、ヤクザから大きな被害を受けたという一般の人もいるだろうし、絶対に許容したくないという気持ちも分かるつもりだ。私としても、彼らの言動すべてが許容されるべきだなどと考えているわけではない。
さてここで、薬やワクチンについて考えよう。大体の場合、一定の副作用が発生するが、「メリットがデメリットを上回る」という判断のもと承認される。同じような理屈で、ヤクザも「メリットがデメリットを上回る」存在と言っていいのではないか、と考えているというわけだ。
もちろん私としても、ヤクザという存在を手放しで称賛しているわけではないし、この『ヤクザと憲法』という映画を観ていてもやはり、許容し難い部分が多々映し出される。しかし、「100%安全なもの/キレイなもの」だけで社会を構築していくことは不可能だし、「悪い部分がある」からといって、すべてを否定するのは間違いだろう。
私たちだって、必ずやどこか「悪い部分」を抱えているのだから。
「ヤクザ=悪」という分かりやすいイメージで捉えているだけでは見えないものが、この映画には詰まっていると思う。やはり出来るだけ関わりたくない存在だからこそ、映画という形でその実態に触れてみる価値はあるだろう。
撮影のルールと、映し出される者たちについて
この映画は、ドキュメンタリーの撮影で高い定評のある東海テレビが作成している。彼らは、「指定暴力団 二代目清勇会事務所」「指定暴力団 二代目東組本家」の2箇所に主にカメラを張り付かせ、「ヤクザの日常」を切り取っていく。
撮影に際しては、以下の条件を提示した。
そして清勇会も東組本家も、この条件を呑んでカメラを受け入れた。そういう意味でこの映画は、かなりヤクザの現実を切り取ったものになっていると言えるだろう。
当然、撮影中に「カメラを止めろ」と言われる場面もあるし、また普通に考えれば、「撮られているから自制していること」もあるはずである。しかしそれは、どんなドキュメンタリーでも同じだ。「そこにカメラがある」ということが、対象者にとっての「非日常」になるのだから、完全な日常を撮ることなどできない。
しかしそれでも、「もしかしてこれ、覚醒剤を販売している場面なのでは……」と感じさせるような映像もあり(もちろん、一切の説明はされなかったので真偽は分からないが)、普通にはまず味わえない「リアル」を体感できる映画だと思う。
この映画で中心的に映し出される人物は3名いる。
会長の川口和秀はそこまで多く登場するわけではないが、やはり圧倒的な存在感がある。彼は殺人教唆などの罪で22年間も刑務所にいたのだが、逮捕のきっかけとなった通称「キャッツアイ事件」は、「暴力団対策法」制定のきっかけになった事件とも言われているようだ。個人的には、彼が歩く後についてカメラが「飛田新地」に入っていったのには驚かされた。
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