【衝撃】広末涼子映画デビュー作『20世紀ノスタルジア』は、「広末が異常にカワイイ」だけじゃない作品
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広末涼子主演映画『20世紀ノスタルジア』(原將人監督)は、想像していたよりも遥かに魅力的な物語だった
本作『20世紀ノスタルジア』は、思っていたよりもずっと素敵な物語でした。広末涼子の映画デビュー・初主演作としても知られる本作は、確かに「広末涼子がメチャクチャ可愛い」という感想が真っ先に浮かぶ作品だと思います。もちろん、私もそう感じました。私は特段、「広末涼子のファンだった」なんてことはありません。しかしそれでも、高校生の彼女の可愛さはなかなか破壊的なものがあると思いました。正直なところ本作は、「広末涼子が異常に可愛い」というだけで「鑑賞物」として全然成立していると言えると思います。
そして、ただそれだけの作品だとしても恐らく満足できたでしょう。
ただ、映画を観ながら次第に、「本作の非常に特殊な設定が、『繊細な人間関係』を描き出すのにピッタリだったのではないか」と感じられるようになりました。主人公を演じた広末涼子も圓島努も、決して「演技が上手い」わけではありませんが、その「演技の拙さ」がむしろ良い風に機能していた気がします。つまり、本作の特殊な「設定」によって、「演技の拙さ」が「人間関係の繊細さ」に変換されているように感じられたというわけです。
この記事では、その辺りのことにも触れようと思っています。
まずは内容紹介
文字で説明しようとすると内容の紹介が少し難しくなるのだが、基本的な設定は「高校生2人が、夏休みを使って映画撮影をしている」となる。高校2年生の遠山杏と転校生の片岡徹が、都内の様々な場所でお互いにカメラを回し、その素材を使って映画を作ろうと考えているのだ。
さて、彼らが作ろうとしている映画の登場人物も「遠山杏」と「片岡徹」である。つまり、「本人役で映画に出演している」というわけだ。しかし、この表現は少し訂正の必要がある。ここがややこしい部分なのだが、映画の登場人物は実際には、「遠山杏に憑依した宇宙人のポウセ」と「片岡徹に憑依した宇宙人のチュンセ」の2人という設定なのだ。ちなみに、「ポウセ」「チュンセ」という名前は、宮沢賢治の『双子の星』という作品から採られている。
「宇宙人」という“設定”は、徹が持ち込んだ。というか、2人が初めて出会った時点で既に、「自分は実はチュンセという宇宙人なんだ」と徹は言っていたのである。
その時杏は、橋の上にいた。放送部に所属している彼女は、そこでカメラテストをしていたのだ。そしてそんな時に、徹に「宇宙人なんだ」と話しかけられた。さらに、「今自分は分裂している最中であり、新しい宇宙人がまさに生まれようとしている。だから杏の身体を貸してくれ」と畳み掛けてくるのである。
杏は当然、少し戸惑った。しかし、思いの外早く徹の奇妙な発言を受け入れ、「チュンセ」から分裂したという「ポウセ」を自分の身体に入れたのだ。この宇宙人はとにかく、「単為生殖で、アメーバのように分裂して増える」ようである。
それから2人は、カメラを持って東京中を巡っていく。その行動は、杏と徹にとっては「映画撮影」であり、ポウセとチュンセにとっては「地球人の調査」である。しかし観客の目からは、それは明らかに「デート」にしか見えない。彼らは、「撮影」「調査」と称して夏休みを楽しく満喫しているというわけだ。
しかししばらくして、「そんな風に考えていたのは杏の方だけだった」ということが観客にも理解できるようになる。状況を正しく把握するのは難しかったが、徹にとってはどうやら、「宇宙人」という”設定”は決して「杏と会うための口実」などではないようなのである。彼にとっては、「もっと切実な何か」であるようなのだ……。
さて、本作の冒頭で杏は、そんな徹のことを思い出しながら映画の編集を行っている。実は徹は、夏休みが終わるとすぐにオーストラリアへと旅立ってしまい、日本にはいないのだ。杏は、夏休み中に撮り溜めた膨大なテープと共に日本に残されてしまったのである。そして彼女は、教師や友人からの勧めもあり、テープを編集して1本の映画を作る決意をするのだが……。
非常にシュールな物語なのだが、「宇宙人」という設定が実に上手く機能していると思う
本作において何よりも良かった点は、「お互いが『宇宙人』という設定を貫き通したこと」でしょう。そのような設定の下でやり取りすることで、2人の距離が縮んだり遠ざかったりするのです。2人の関係性を描き出すのに、とても絶妙な設定だったなと思います。
「宇宙人」という設定の絶妙さが際立つのは、杏が徹に自分の気持を伝える場面でしょう。杏が徹を好きなことは観客には明白で、杏は度々、「お前がいなくて寂しい」という主旨の言葉を徹に投げかけていました。エアメールでビデオレターを送る際も、オーストラリアへ旅立つことを聞かされた時も、杏は「寂しい」という言葉を口にするのです。
しかし、ここが絶妙なのですが、杏は決して「私(杏)が寂しい」という言い方をしませんでした。「ポウセは寂しい」「ポウセはお前のことを待っているぞ」みたいな言い方をしていたのです。こうすることで「本気っぽさ」みたいなものを減らすことが出来、だからこそ杏は「寂しい」という言葉をてらいもなく口に出来たのだと思います。
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