【あらすじ】映画『52ヘルツのクジラたち』の「無音で叫ぶ人」と「耳を澄ます人」の絶妙な響鳴(原作:町田そのこ 監督:成島出 主演:杉咲花、志尊淳)
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映画『52ヘルツのクジラたち』で描かれる「聴こえない叫び」を捉えられる人でありたいと強く思わされた
本作についてはとにかく、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルが実に絶妙だと感じます。本作は、このタイトルを冠している時点で“勝っている”気がしました。正直なところ、本作の内容に厳しい目を向ける人もいることでしょう。というのも、「現代的な問題のごった煮」みたいな印象がとても強い作品だからです。「詰め込み過ぎだろう」と感じる人はいるはずだし、私も多少そんな風に思わされた部分があります。しかしそれでも、『52ヘルツのクジラたち』というタイトルのお陰で作品全体がきちんと成立しているし、何よりも“勝ってるな”と感じました。
私も「52ヘルツのクジラ」のような気分で文章を書いている
さてまずは、タイトルにもなっている「52ヘルツのクジラ」について説明しておきましょう。公式HPには、次のように書かれています。
この「52ヘルツのクジラ」は、実際に存在するそうです。ウィキペディアにも「52ヘルツの鯨」という項目があり、「『52ヘルツのクジラの鳴き声』が、1980年代から様々な場所で定期的に検出されてきた」と書かれています。一般的なクジラの鳴き声と比べると遥かに高い周波数なのだそうで、「この個体の鳴き声を、他のクジラは恐らく捉えられないだろう」と考えられているというわけです。
そして、本作『52ヘルツのクジラ』の設定を踏まえた上で、作品内容とは関係のない話を少ししたいと思います。私がこれまで長々と文章を書き続けてきた理由についてです。
私は20代前半ぐらいから本の感想を書き始め、その後30代ぐらいから映画の感想も書くようになりました。ただ、私の記事を読んでくれる人は決して多くはないし、読んでリアクションをくれる人となるとほとんどいません。一般的に「文章を書いて発信する」のは「共感や繋がりを求めている」場合が多いでしょう。ただ正直なところ、私にはそのような感覚があまりなく、だから20年近くも文章を書き続けられているのだと思います。
じゃあ私が何を目的に文章を書いているのかというと、「同じ周波数の人を探すため」だと思っています。割と昔から、そういう意識を持って文章を書き続けてきました。
私の文章はそもそもとても長いし、また、「私の感覚は世間一般からは外れている」と自覚してもいるので、大体の人には「読もうという気にならない」「読んでみたけどよく分からない」という感じになるのではないかと思っています。それはそれで全然問題ありません。「共感」や「繋がり」を求めて文章を書いているわけではないからです。
ただ、「この広い世界のどこかには、私が書く『52ヘルツの文章』が響く人もいるんじゃないか」と思ってもいます。それはとても可能性が低く、何かを期待できるほどの確率はないのかもしれませんが、それでも私は、「私の『52ヘルツの文章』を読んで、何かを強く感じたり、『仲間がいる!』と思ってくれる人がいたら嬉しい」と考えてしまうのです。
そして、そのようなスタンスで文章を書いているからこそ、「『届きにくい声』をなるべく拾える人でいたい」とも思っています。
世の中には色んなタイプの苦しみを抱えた人がいるわけですが、その中でも「声の大きな人の主張」や「世間が拾いたがっている訴え」は割と広く届きやすいと言えるでしょう。もちろんそれらも、その苦しみを抱いている人からすれば「唯一無二の辛さ」です。ただ私は、「そういう声は、私以外の誰かにもきっと届くだろう」と考えて、あまり気に留めないようにしています。もちろん、私の中に「他人の手助けをする無限のリソース」があればいくらでもそういう声を拾うのですが、私は自身のリソースの少なさを自覚しているので、無理はしないことにしているというわけです。
ただ時々、「この声はもしかしたら、私以外には拾えないんじゃないか」みたいに感じることがあります。そしてそういう時には、出来るだけ瞬発力を発揮して手を差し伸べたいと考えているのです。
「声」というのはあくまでも比喩で、「言葉にする」以外の形でも悩みは浮かび上がるでしょう。ただ、どんな手段を取るにせよ、「52ヘルツのクジラ」のように「SOSを発しても誰にも届かない」ことだってあるわけです。毎日笑顔を振りまいている人が凄まじい苦悩を抱えていることもあるし、誰からも羨ましがられる境遇にいる人が絶望しながら生きていることだってあるでしょう。そして私たちは、そういう色んな「SOS」に気付けないまま日常生活を過ごしているというわけです。
大事なのは、「『聴こえない』からといって『声が存在しない』わけではない」と理解しておくことでしょう。自分の周りにも「52ヘルツのクジラ」がいて、大声で叫んでいるのにその声が聴こえていないだけかもしれない。『52ヘルツのクジラたち』というタイトルはそういう想像力を働かせてくれるものだし、そんな風に解像度が上がることで、「今まで聴こえなかった声が聴こえるようになる」なんてこともあるかもしれません。
そんな感覚を抱かせてくれる、実に見事なタイトルだと感じました。
杉咲花主演じゃなかったら、恐らく観なかった
さて、私は正直なところ、「『52ヘルツのクジラたち』という映画」を観に行ったわけではありません。実際には「杉咲花主演映画」を観に行ったのです。
本作を観る少し前に、杉咲花主演映画『市子』を観たのですが、ちょっと衝撃的すぎる作品で、主人公はまさに「杉咲花にしか演じられない役」に感じられました。そして本作『52ヘルツのクジラたち』もやはり、杉咲花の存在感が際立つ作品だと思います。ホント凄いなぁ、杉咲花。
私は、『法廷遊戯』『市子』『52ヘルツのクジラたち』と割と立て続けに彼女の出演作品を観たのですが、とにかく杉咲花は「不幸を体現する」のがとても上手い役者だと思います。身体の内側から「不幸」が滲み出しているかのような佇まいには、本当に驚かされてしまいました。「不幸」そのものを身にまとっているような雰囲気を醸し出すので、それ故に、笑っていてもどこか淋しげに見えるのだと思います。どんな振る舞いをしていても「魂がくすんでいる」みたいな印象をもたらす存在感には、ちょっと圧倒されてしまいました。
そしてそんな存在感が、本作『52ヘルツのクジラたち』を成立させていたような気がするのです。
さて、「杉咲花主演じゃなかったら恐らく観なかった」について、もう少し説明しておくことにしましょう。
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