【SDGs】パリコレデザイナー中里唯馬がファッション界の大量生産・大量消費マインド脱却に挑む映画:『燃えるドレスを紡いで』
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映画『燃えるドレスを紡いで』は、パリコレデザイナー中里唯馬の「服を捨てない」という挑戦が詰まった作品だ
「世界中の服がアフリカに捨てられている」なんてことはもちろん、本作を観る前から知っていた。ファッション業界が「大量生産・大量消費」の世界だということも。しかしやはり、それは「ただ知っているだけ」にすぎなかった。アフリカでこんな現実が広がっていることも、その解決に挑もうとしている日本人がいることも、私はまったく知らなかったのである。
デザイナー・中里唯馬とアーティスト・長坂真護
ファッションデザイナー・中里唯馬については、本作で初めてその存在を知った。映画公開時点では、「パリ・オートクチュール・コレクションに参加している唯一の日本人デザイナー」だそうで、日本人としては森英恵以来2人目だという。本作には中里唯馬を知る様々な人物が登場するのだが、その多くが彼のことを絶賛していた。
デザイナーにはこれだという主張が必要だけど、彼には常に何か言いたいことがあった。
そもそもだが私は、ファッションの世界でこれほど評価されている日本人がいることをまるで知らなかった。この記事は、そんな「ファッション音痴」が書いていることをまずは理解しておいてほしい。
さて、本作『燃えるドレスを紡いで』では、「服の墓場」と言っていいナイロビにあるゴミ捨て場が映し出される。そしてそこに「ファッション界の最上位」に位置していると言っていい中里唯馬が降り立ち、「服が大量に捨てられている現状」を目の当たりにするというわけだ。その後彼は、そんな世界をどうにかすべく、「大量生産・大量消費」を促すべき存在でありながら、パリコレで「持続可能なファッション」という新機軸を提示しようと決意するのである。
本作を観ながら私は、長坂真護というアーティストのことを思い出していた。アフリカ・ガーナには、世界最大の電子廃棄物処分場があり、彼はそこに捨てられた「ゴミ」を持ち帰り、それらを素材にアート作品を生み出しているのだ。私は以前、彼の展覧会に足を運んだことがある。「ゴミ」から作られた彼の作品は数千万円から数億円で取引されており、その展覧会の説明には「既に100億円近くアートで売り上げた」と書かれていたように思う。
さらに凄いのが、稼いだお金の使い道である。私の記憶では、彼とそのチームは売上の5%しか手にしていない。では残り95%をどうしているのか。なんと彼は、そのお金を元にしてガーナにリサイクル工場を建設しているというのだ。つまり彼は、「ガーナで捨てられた『ゴミ』を元手にアート作品を制作し、その販売で得たお金でガーナのゴミ問題を解決しようとしている」のである。ガーナのゴミ問題は世界規模で取り組むべきことだと思うが、それをほぼ個人レベルの発想と行動で解決に導こうとしているのだ。本当に、世の中には凄まじい人物がいるものだと感じさせられた。
そして、本作で取り上げられる中里唯馬もまた、長坂真護と同じような問題意識を持っているのである。
ナイロビで中里唯馬が目にした「服の終焉」のリアル
ナイロビは、世界中の「売れない衣服」が集まってくる集積場だ。それらは「ミツンバ」と呼ばれるの「服の塊」の状態で送られてくる。1つ40kg以上にもなるそうだ。それが1日20個ほど、年間で160トンもコンテナで送られてくるというのだから、やはり異常と言う他ないだろう。
送られてきた服の一部はもちろん、ナイロビ国内で古着として流通される。しかし、国内の需要よりも「外からの暴力的な供給」の方が圧倒的に多いため、そのほとんどがゴミになるという。服の一部は川に投棄されるのだが、その川は湖や海と繋がっているため、海洋生物の生息環境が汚染されてしまう。また、大量の服が積み上がったゴミ山があちこちに形成され、その規模は年々拡大していくばかりである。
中里唯馬はさらに、「ダンドラ」と呼ばれるゴミ集積場にも足を運ぶ。広大な土地をゴミが埋め尽くしているのだが、私はこの「ダンドラ」を別の機会にも目にしたことがある。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』というテレビ東京系の番組内で、「そのゴミ山に人が生活している」という取り上げられ方だった。同番組は、世界の凄まじい現実へと足を運び「そこに住む人が何を食べているのか」を撮るという、なかなかに衝撃的なドキュメンタリーである。
中里唯馬もまた、ゴミ山に暮らす人たちに話を聞く。彼らはゴミ山を漁り、売れそうなものを探し出してはお金に換えて生計を立てている。買取価格は、1キロで大体15シリング(15円)。平均的に1日に13~15kg集められるそうなので、つまり1日の稼ぎは225シリング程度ということになる。国際的な基準では、「1日1.9米ドル(約200円)未満での生活」を「絶対的貧困ライン」と定めているため、そのような基準からも「最底辺の生活」と考えていいだろう。
本作に登場した、「37年間もこのゴミ山で暮らしている」という女性の話は非常に印象的だった。というのも、「ここでの生活に満足している」と語っていたからだ。彼女には子どもがいるのだが、ゴミ山での稼ぎで学校にも行かせたという。病気も大怪我もしたことがなく、健康には何の問題もないそうで、むしろ「このゴミ山が無くなったら困る」とさえ口にしていたのである。
この女性の話を受けて中里唯馬は、「『このゴミ山が無くなったら困る』とさえ感じる人が出てくるほど、『服のゴミ』が安定的に運ばれてきたという現実」を改めて理解した。ゴミ山での生活が成立するためには、「服がずっと送られてくる」という状況が存在しなければならない。そしてそのような状態を作り出したことにこそ、先進国は責任を感じなければならないのだ。
また、「服が大量に送られてくる」という状態は、単にゴミの問題だけに留まらない。というのも、ナイロビでは産業構造自体が変わってしまったからだ。ナイロビは元々繊維産業が盛んだったそうだが、大量の服が送られてくるようになってからは、それらを古着として販売する商売が増殖したのである。これもまた、悪い一面と捉えるべきだろう。「古着の販売」なんかより、どう考えても「繊維産業」がそのまま維持されている方が良かったはずだ。それに、「古着の販売」が商売として成り立っている以上、「今後も安定的に服が送られてくる」ことを期待する他なくなってしまう。このような実情を、中里唯馬は確認していくのである。
しかしそもそもだが、どうしてこれほど大量の服がナイロビに送られるようになったのだろうか? 作中ではある人物がその経緯について説明していた。きっかけは20年前、アメリカとナイロビがある契約を交わしたことにある。アメリカが、ナイロビからの「関税のない輸入」を認める代わりに、ナイロビに廃棄物の引き取りを受け入れるように要求したのだそうだ。その結果、「アメリカから大量に服が送られる」という状況が生まれ、そして恐らく、そのことを知った他の国も追随したのだと思う。今では中国からの流入が最も多いそうだ。
本当にこの「ナイロビの大地に積み上げられた服の山」は衝撃的な光景なので、実際に映画を観て確認してほしいと思う。
ナイロビの現実を理解した中里唯馬は、パリコレで何を発信しようと考えるのか?
中里唯馬はもちろん、「服の終焉」についてはナイロビ入りする前から頭では理解出来ていたはずだ。しかしやはり、実際に目にするのとでは大違いだったのだろう。彼は「打ちのめされた」という主旨の言葉を何度も口にしていた。
そして、「ファッションデザイナー」である中里唯馬は、「自身もこのナイロビの現実に”加担”している」のだと痛烈に実感させられたのである。そのため、ナイロビから帰国した彼は、自身のブランドに関わってくれるメンバーを集めたミーティングの場で、次のような話をしていた。
このミーティングはたぶん、ナイロビから帰国してすぐのものだったんじゃないかと思う。だから恐らく、「どうすべきか」については中里唯馬の中でもまとまっていなかったはずだ。そしてそういう状態のままで、「ナイロビの現実を見て感じてしまったこと」を素直に吐き出しているように感じられたのである。
またこのミーティングには、「『服を作る』という行為にどう向き合えばいいか分からなくなった」という中里唯馬の率直な感想を聞いて、他のメンバーがどんな風に感じるのかを吸い上げたいという目的もあったのだと思う。そりゃあ、普通は困惑するだろう。「ファッションデザイナー」である以上、「服を作る」ことからは逃れられないのだから。本作では、中里唯馬のチームの面々が、各々の価値観をベースにしつつ、「中里唯馬が見てきた現実」をどう咀嚼したのかについて語るシーンが断片的に映し出されていた。
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