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【妄執】チェス史上における天才ボビー・フィッシャーを描く映画。冷戦下の米ソ対立が盤上でも:映画『完全なるチェックメイト』

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天才チェスプレーヤーであるボビー・フィッシャーの生涯は、妄執と狂気に満ちていた

ボビー・フィッシャーとは何者か?

チェス史上における天才と言われるもの凄い男がいた。アメリカ人のボビー・フィッシャーだ。そして映画『完全なるチェックメイト』はボビー・フィッシャーの生涯を描く作品である。日本で言えば羽生善治か藤井聡太を主人公に据える映画という感じだろうが、現時点ではそのような映画は作られていないはずだ。ボビー・フィッシャーは、チェスプレーヤーとしてその生涯が映画になるほど、驚異的な存在だと言っていいのだろうと思う。

彼はチェスがもの凄く強かった。映画では、今でも「伝説」として語り継がれている対局も描かれる。彼は、「ブルックリンのダ・ヴィンチ」「500年に一度の天才」などと評される、チェス史上においても比類なき存在と言っていい。

しかし、ただチェスが強いから注目されたのではない。彼の言動からは、狂気が滲み出るのである。飛行機に乗れば爆破されると思い込む。毒殺されないように機内食は目の前で作れと命じる。部屋中の物を壊して盗聴器を探し、カメラのシャッター音がうるさいから卓球場で対局させろと言うなど、その常軌を逸した言動でも知られる人物だったのだ。

ボビーの姉は、そんな弟のことを心配していた。

毎週弟から手紙が届くの。内容が異常なの。

しかし、精神科医に診てもらいたいという彼女の希望を、ボビーのエージェントである弁護士が説得する。彼は、「狂気が生む美しい世界を見る」ために、ボビーを医者に見せてはいけないというのだ。別の場面でも、「ボビーに薬を飲ませたら、偉大な才能が破壊されてしまう」と拒否する人物が登場する。もちろん、そもそもボビー本人が医者や薬を嫌がっているわけだが、周囲の人間もまた、その狂気こそが天才の源泉なのだと考え、彼に治療を受けさせないのだ。

なかなか凄い世界だろう。

チェスは、4手進めば4000億の選択肢を考えなければならない。だから精神状態は、限界を越える。

チェスがボビーを狂気に追いやったのか、あるいは狂気がボビーを天才へと押し上げたのか、それは分からない。いずれにせよボビーは、子どもの頃から「勝つこと」しか考えていなかったようだ。

ドローは大嫌いなの。

ボビーが「勝ち」に執着する理由には、

チェスは真実を探求するゲームだ。だから私は、真実を追い求めている。

という側面もある。この場面では、羽生善治の話を思い出した。羽生善治はある時から、勝敗に関心を持たなくなったという。そして、「対戦相手と共同で、いかにして『誰もたどり着いたことのない新たな地平』へと進んでいけるか」に重きを置くようになった、という話だ。ボビーが言う「真実」もまた、近い意味があるだろうと思う。自分がどこまでたどり着けるのかという関心が、彼を突き動かしていた面はあるはずだ。

しかし、彼が「勝ち」にこだわった大半の理由は別にある。彼は「最大の喜びを感じる瞬間」を尋ねられて、以下のように返す。

相手のエゴを粉砕することだ。

負けを悟って心が崩壊する瞬間だ。

対戦相手の心を壊すことに、嗜虐的な快感を覚えていたということだろう。このような発言を口にしてしまう点もまた、ボビーという人間の「狂気」を象徴すると言っていいと思う。

そんな人間の、常軌を逸しまくった人生が描かれていく。

ソ連の絶対王者・スパスキーとの「伝説の対局」

当時チェスの世界には、「絶対王者」と呼ばれる人物がいた。ソ連のスパスキーである。そして、「ブルックリンで生まれた貧しい若者」と「絶対王者」との24局の対戦がマッチメイクされることとなった。この対局には当時の時代背景が大きく影響しているのだが、その話は後で触れることにしよう。

そしてスパスキーとの勝負の中で、今でも語り継がれる伝説の対局が生まれたのである。

第6局は、今でも史上最高の対局と言われている。

それは、観ている者を困惑させるものだったそうだ。

グランドマスターたちも困惑している。誰も彼の意図を読めない。

ボビーは、初手から誰も見たことのない手を指した。グランドマスターたちの「困惑」は、1手目から世界中の誰も経験したことのないチェスが始まったことによるものなのだ。スパスキーはこの24局のために、入念な準備を行っていた。しかしボビーは、そんな準備をまったく無意味にするような手から始める。局面がどう展開されていくのか、誰にも分からない。しかしボビーだけは、確信を持って指した。そして、スパスキーはある時点で負けを悟る。

第6局はボビーの勝利に終わった。この対局が、今でも「伝説」として残っている。

負けを悟ったスパスキーは、ボビーに拍手を贈ったそうだ。スパスキーは普段、対戦相手に拍手することなどない。それほどボビーのチェスに感銘を受けた証だ。

当然、会場中もボビーに惜しみない拍手を贈る。しかしそんな中、ボビーだけが困惑したような表情を浮かべていたという。

これは私の予想にすぎないが、ボビーは、「お前の心は粉砕されなかったのか?」「負けて悔しくないのか?」とスパスキーに対して感じていたのではないかと思う。「勝ち」に執着したボビーは、何よりも、相手の心がぶっ壊れることにこだわっていた。「史上最高」と称された対局も、スパスキーの心を粉砕するための挑戦だったはずだ。

しかし、スパスキーは自分に向けて拍手をしている。

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