生きてるのがしんどいしつまらないしめんどくさいしダルい。どうしたらいいんだろうね、ホント
昔からずっと変わらないのだが、「生きてるのってダルいよなぁ」といつも思っている。今私は41歳だが、20歳ぐらいの頃から間違いなくそういう感覚を抱いてきたし、正確には覚えていないものの、小学生ぐらいの頃からそんな風に感じていたような気もする。
あー、ダルい。
理由は色々あるのだが、長い間あれこれと考えてみた結果、少なくとも私の場合の「本質的な原因」は捉えきれているように思う。それを一言で表現すると、
「お金」が「将来の安心」しかもたらさない
となるだろうか。
もう少し細分化すると、以下のようになる。
●「お金を稼ぐこと」によるストレスが大きい
●「得たお金」が「今の私」に何かプラスをもたらすことがない
私はずっと、このような困難さを抱えつつ生きているという感じだ。
私は中学生ぐらいの頃から、「社会人になるのは無理だなぁ」という感覚を持ち続けてきた。つまり「社会でちゃんと働く人間になるのは無理だろうなぁ」ということだ。その感覚は大学時代になっても変わらず、就職活動から逃げるために大学を中退。それからフリーターやら派遣社員やらをフラフラしながら、一応途切れることなく仕事は続けてきたという感じだ。
仕事においては「やりたくない」と感じることがとても多い。いや、それはもちろん多くの人がそう感じているのだろうが、私の場合は少し感覚が違うと思っている。多くの人は「やりたくない」と思いつつも、何だかんだやる。「やらなければならない」と思っているからだ。でも私は、「これをやり続けていたら『死にたい気分』になるな」と分かるので、どうにかしてやらずに済む方法を考えるのである。「あいつはこの仕事をやらないな」という印象を植え付けたり、仕事を変えたりという形で、「やりたくない」ことをどうにか避け続けてきたのだ。
あるいは特殊なパターンとして、「一緒に働いている人間が面白いから、『やりたくない』ことを我慢してやってでもこの環境に留まろう」と思えることもあった。正直なところ、30代半ばぐらいまで運良くそういう環境で働けていたこともあり、それで「人生なんとかなってきた」みたいな部分はある。その職場に留まり続けられれば良かったのだけど、なかなかそうはいかなかったのだ。
私の場合、「誰かに電話を掛ける」みたいな、社会人として基本だろと思うようなことさえ「やりたくない」と感じるので、「働く」ということにかなり難しさを感じてしまう。今は幸い、身体的にはちょっと大変ではあるが、メンタル的には特に問題ない職場で働いているのでいいのだが、事情があってそこにも留まれなくなることが確定してしまった。そのため、また環境が変わることになる。めんどくさい。
さて、「やりたくない」ことをやらなければならないとしても、「それによって稼いだお金で何か楽しいことをする」という方向性があるなら、また違った感覚でいられたかもしれない。しかい私の場合、それがほぼない。生きていることがダルすぎるので、何をしていても「これは暇つぶしだ」という感覚が抜けないのだ。「やりたい!」と感じることはないが、「暇なのは耐えられない」という理由で本を読んだり映画を観たりしているのである。
だから私にとって「お金」は、「将来の安心」に寄与するものでしかない。「お金がない」という老後の不安を減らすためのツールでしかないのだ。だから私の場合、どれだけお金を稼ごうが、それが「今の幸せ」に繋がらない。そのため、「お金を稼ぐこと」にまったく興味が持てないのだ。だから余計に「働く気力」が生まれてこないということにもなる。悪循環でしかない。
こういう話をすると、「気の持ちようだ」みたいなことを言われることもある。「楽しもうと思えば人生はいくらでも楽しめる」みたいなことを言ってくる奴がいるのだ。しかしそういう奴は、「この時代がたまたま自分に合っていただけ」ということを理解していない。恐らく現代人の多くは、戦国時代に飛ばされたら「楽しもうと思えば人生はいくらでも楽しめる」なんて思えないだろう。一方で、現代で馴染めなさを感じている人が、もしかしたら戦国時代で生き生きと立ち回るかもしれない。
また、私は「ガス欠状態であること」を問題視しているつもりなのに、そのことが通じないという感覚もある。例えば私がフェラーリを持っているとしよう。周りは羨ましがるだろうし、「それに乗ってどこにでも行けるね」みたいに感じるかもしれない。しかしそのフェラーリは、常にガス欠なのだ。だから動かない。そして、私は「フェラーリがガス欠で動かないこと」を問題にしているのに、他の人からは「フェラーリを持っていること」を羨ましがられるというわけだ。こういうギャップを強く感じることも結構ある。
車の場合は「ガソリンを買ってくる」ことで解決は出来るが、私の場合はそれが難しい。何故なら「『お金』が今の私のテンションを上げてくれることがない」からだ。世の中には、「私にとってのガソリン」に相当するものが存在しない。だから私はいつも、「どうやって動かせっちゅねん」みたいに感じている。本当にダルい。
仮に80歳まで生きるとして、あと40年もある。っていうか、人生がようやく半分終わったという感じなのだ。長過ぎる。これまでの40年だって結構なしんどさだったのに、恐らく今までよりもさらにしんどさが増すだろうこれからの40年は、耐えられないだろう。
まあ、そんな「発狂しそうな世の中」でどうにか正気を保つために、私は日々大量の文章を書いている。「理性を保つ手段」が「文章を書くこと」ぐらいしかないのだ。まあ、そういう手段が1つでもあることに感謝すべきだろうか。
あー、ホントダルい。どうにかならんかね、人生。