見出し画像

【感想】映画『窮鼠はチーズの夢を見る』を異性愛者の男性(私)はこう観た。原作も読んでいます

完全版はこちらからご覧いただけます


大伴恭一と今ヶ瀬渉の関係に、恋愛を越えた、「目の前の人間とどう関わるか」の究極の姿がある

私は異性愛者で、同性愛者的な視点でBLを楽しんでいるわけではありません(ちなみに私は男です)。だからこの記事は、一般的なBLの捉え方とはまた違ったものとなるでしょう。その点はご容赦ください。

人生の要所要所で、私の周りには、いわゆる「腐女子」と呼ばれる、BL的なものを好む女性がいました。私は、本でもマンガでも映画でも、できるだけ先入観を持たずに幅広く色んな作品に触れたいと考えているので、BLもいつかチャレンジしたいと思っていました。ただやはり、知識がないまま足を踏み入れても上手く行かないだろうとも思っており、周りにいる腐女子の方々にオススメの作品を聞いて、これまでに10タイトルほど、BLの小説やマンガを読んできました。

その中でもやはり、この「窮鼠はチーズの夢を見る」は別格中の別格、並ぶものなどないと断言できるほど、衝撃的に素晴らしい作品です。原作も読んで感動し、その後映画も見に行きました。原作を読んでいなかったら、映画を観には行かなかったでしょう。やはりどうしても、原作の素晴らしさには勝てないと思いましたが、大倉忠義と成田凌は、実に見事にこの世界を映像に落とし込んでいる、とも感じました。

そんな人間が、「窮鼠はチーズの夢を見る」という作品をどう読み、どう観たのかを、この記事では書いていきます。

BL作品に詳しくない方向けの、「女性が出てくるBL」の凄さの解説

まず、「窮鼠はチーズの夢を見る」には、BL作品としてどのような特異性があるのか書いていきます。ここは、BL作品にあまり触れたことがない人向けに書くので、分かっているよという方はすっ飛ばしてください。

私も、そうたくさんBL作品を読んでいるわけではありませんが、周りの腐女子に教えてもらったり、先程名前だけ出した「ボクたちのBL論」という本で知識を得たりと、普通の男よりはBL作品に関する知識はあると思います。

BLという作品には、複合的な様々な楽しみ方の要素があるので、単純化して説明してしまうと、腐女子の方から「違うよ!」と言われてしまうかもしれませんが、ここでは簡略的にざくっと説明します。

まず、これは私の勝手な分類ですが、BL作品は「エロを全力で楽しむ作品」と「そうではない作品」に大きく分けられると思っています。「窮鼠はチーズの夢を見る」は後者の「そうではない作品」です。

私は周りの腐女子に、「エロを全力で楽しむ作品」は避けてほしいとお願いしてたので、そちらのタイプの作品はほとんど読んでいません。あくまでもイメージですが、こういうタイプの作品は、最初から2人の男が同性愛者であり、体の関係にもつれこむステップを限りなく簡略化し、エロ的な部分を濃密に描く、という感じではないかと思います。

「そうではない作品」にも色んなタイプがあるでしょうが、その中で私が好きなのは、「一方が同性愛者、もう一方が異性愛者であり、同性愛者が異性愛者に恋をしているのだけれど、なかなかそのことを伝えられない」というタイプの作品です(これを以下では「私が好きな作品」と書きます)。大体私は、こういうBLばかり読んでいます。

「私が好きな作品」では、同性愛者は友達の振りをして恋する異性愛者に近づきます。もちろん相手は男友達だと思っているので、違和感なく友達としての関係はスタートしますが、そこからどうやって恋人に進展させるかで悩む、という形で話が進みます。同性愛者は「今のまま友達でいたいわけじゃなくて、恋人になりたい」と考えているわけですが、しかし「恋人になりたいという意思を示したらひかれてしまって、友達としての関係も終わってしまうかもしれない」という恐怖と戦いながら日々過ごすことになるわけです。

この辺りの人間模様を繊細に描いていく、というのが「私の好きな作品」の特徴になります。

さてここまでを前提知識として、「窮鼠はチーズの夢を見る」の設定上の凄さについてまず説明しておこうと思います。

それは、「異性愛者の恋愛対象として、女性が登場すること」です。

「私が好きな作品」では、基本的に女性はほぼ登場しません。もちろん、「モブ的なクラスメート」「コンビニの店員」「主人公の妹」みたいな形で女性が出てくることはありますが、重要な存在としては描かれません。

それは、考えてみれば当然の話なのですが、「異性愛者は当然、女性がいれば女性の方を選んでしまう」からです。

BLに登場する異性愛者は、もちろん女性のことが好きなので、恋愛対象になりそうな女性が作品に登場する場合、同性愛者に勝ち目がなくなってしまうことになります。あくまでも、「異性愛者に恋人がおらず、気になっている女性もいないタイミング」だからこそ、同性愛者にも振り向いてもらえるチャンスがある(と読者は思い込める)わけです。

だから、「私が好きな作品」には、恋愛対象になりそうな女性を登場させるわけにはいかないのです。

(あとこの点は、BL作品の読者である女性の心理にも関係していると聞いたことがあります。あくまで本で読んだ知識ですが、読者はBLを「現実逃避」として読みたいのだから、そこに、「現実」や「リアル」を感じさせる「女性」を登場させてほしくない、と考えてしまうのだそうです。この辺りの感覚は私にはちょっと理解が及ばない部分なのでカッコで書きました)

しかし「窮鼠はチーズの夢を見る」では、異性愛者の恋愛対象として女性が登場します。

これが本当に凄まじいと感じます。先程書いたように、同性愛者が異性愛者と恋愛関係になろうとする時、異性愛者に「気になる女性」がいたら勝ち目はないと感じられてしまうでしょう。しかし「窮鼠はチーズの夢を見る」は、その超絶難しいハードルをクリアし、「異性愛者には目移りする女性がたくさんいるのに、それでも、同性愛者を選ぶかどうかハラハラドキドキさせる」という感覚を読者に与えてくれます。

この点を押さえた上でこの作品に触れると、この作品の凄まじさがより実感できるのではないかと感じます。

大伴恭一というクズ

それではここから、作品の内容に触れていきましょう。詳しい内容紹介は後回しにしますが、まず大伴恭一と今ヶ瀬渉という2人の主人公をざっと紹介します。

大学時代の後輩である今ヶ瀬渉は、在学中からずっと先輩の大伴恭一のことを好きでい続けている同性愛者です。一方大伴恭一は女好きで、結婚後も会社の部下などとたびたび関係を持つような、同性愛とはまったく無縁のバリバリの異性愛者です。

この2人が久々に再会し、今ヶ瀬が恭一にアプローチを仕掛ける形で物語が展開していく、という作品になります。

さてまずは、恭一の方から触れていきましょう。「女性が登場するBL」という特異な作品を成立させている大きな要因は、この恭一という男の「ある意味でゲスな性格」にあるのです。

恭一は、徹底的に「受け身」の人間として描かれます。恭一はイケメンで、普通にしているだけたわけですてきました。

だから、「好意は相手が示してくれて当然」という感覚が彼の中にはあります。

人生で一番大切なことはなんだろう。
人によって様々だろうけど、俺にとっては、「自分が確実に受け入れられている」という保証のもとに生きられることが、一番重要なことらしいと悟りつつある。

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

彼は受け身の天才であり、もはや相手からの好意をどう引き出すかなどお手の物です。だから、相手のスイッチをサクッとONにして、自分を好きにさることで「愛されている」と確認する日々を過ごしています。

そして怖いのは、彼にはまったく悪気がないということです。そして、そんな彼は時々、周囲の人間から厳しいことを言われます。

あなたは愛してくれる人に弱いけど、結局その愛情を信用しないで、自分を追いかけてくる人の愛情を次々に嗅ぎ回る

映画「窮鼠はチーズの夢を見る」

あんたって相手から好意を示されると絶対拒めないんだもん。そういう主体性のない付き合いって、自分も相手も不幸にするよ。わかってる?

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

そして結果的に、恭一のこの性格が、不可能とも感じられるような「女性が登場するBL」を成立させています。何故なら恭一というのは、究極的に言えば、「男女問わず自分に好意を示してくれる”誰か”がいればそれでいい」からです。恭一は確かにこれまで女性とさんざん遊び倒してきたけれど、それは「異性愛者だから」というよりは、「女性の方から自分に寄ってくれるから」ということが大きいでしょう。

じゃあそれが男だったら? 自分は当然異性愛者だと考えていた恭一ですが、「女性だからいい」のではなく、「自分を好きになってくれるからいい」という自分に気づくことになります。

やばい…。楽だ。押し掛けゲイに居座られて世話を焼かれる生活は存外に楽だ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

恭一は今ヶ瀬との関係をきっかけに、「女でも男でも、自分をメチャクチャ好きでいてくれる人がいればそれでいい」ということに気づくようになっていくわけです。

恭一ほどの強さかどうかはともかく、「愛されたい」という気持ちは男女とも抱いているだろうと思います。程度こそあれ、恭一に共感できる部分はあるでしょう。

しかし残念ながら、「愛されること」を何よりも求めすぎるが故に、他人の愛情を信じられなくもなります。この点について、さらにこんな風に指摘されます。

貴方は愛されることを何よりも望む人だけど、その実、他人の愛情を全く信用していない。だからフラフラ彷徨って、自分に近付く相手の気持ちを次々に嗅ぎまわる。何故だか俺には分かります。貴方が自分のことをつまらない男だと思っているからだ

「窮鼠はチーズの夢を見る/俎上の鯉は二度跳ねる」(水城せとな/小学館)

私は、このセリフにはちょっとグサッとなりました。確かに私は、「自分のことをつまらないと男だと思っている」からです。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

ここから先は

6,562字

¥ 100

PayPay
PayPayで支払うと抽選でお得

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?