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【現実】生きる気力が持てない世の中で”働く”だけが人生か?「踊るホームレスたち」の物語

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「社会のルールの方がいいですか?」という問いかけに、あなたならどう答えるか?

ホームレスは”怠け者”なわけではない

一般的に「ホームレス」というのは、「仕事をしたくない人たち」「ただ怠けている人たち」という風に見られがちだと思う。特に、社会の中で「自分だって苦しいのに」と思いながら踏ん張って生きている人からすれば、「仕事が無いなんて甘えだ」「努力が足りないんじゃないか」と感じられてしまうのかもしれない。

私は、ホームレスの人たちにそんな印象を抱いたことがない。なぜなら私は、「自分がいつホームレスになってもおかしくない」とリアルに想像しながら生きていたからだ。

子どもの頃からどうも、学校・家族・社会に馴染めない感覚が強くあった。どこで何をしていても、「なんか違う」という感覚がつきまとう。子どもの頃より薄れているとはいえ、今でもそういう感覚がゼロになったわけではない。

中学生の頃には既に、「自分はサラリーマンにはなれない」と判断していた記憶がある(どうしてそう思ったのか理由までは覚えていないが)。勉強だけは好きだったので、割と良い大学に進学するも、就職活動が怖くなって中退。その後長くフリーターを続けた。現在に至るまで正社員として働いたことがない。そんな状態で、コロナ禍でもなんとか無事生き延びている。ありがたいことだ。

社会で真っ当に生きている人からすれば、私のような生き方は「不真面目」「努力していない」と映るかもしれないが、私としてはその時々で必死だった。普通の人なら当たり前にできるだろうことが私には上手くできず、四苦八苦しながらどうにか人生と折り合いをつけてきたつもりだ。

たぶん私の人生など、どこかのタイミングでちょっと何かが違っていたら、すぐさまホームレスまっしぐらだったと思う。私がホームレスにならなかったのは、運が良かったからに過ぎない。

映画に登場するホームレスの人たちにも、様々な事情がある。

映画の中でメインの人物として取り上げられている平川収一郎は酷い少年時代を過ごした。父親から木刀で殴られるなど苛烈としか言いようがない暴力が日常茶飯事の生活に耐えきれず、15歳で家出。当時はまだ、年齢をごまかして住み込みの仕事ができたが、今は時代が変わり雇用の条件が厳しくなった。15歳の時点では身分証など持ちようがなく、その後新たに作る方法も分からないまま、身分証がなければ仕事を得られない時代においてホームレスになってしまったというわけだ。

さて、このような背景を知ってもなお、「サボっている」と判断できるものだろうか?

もちろん、怠けていると判断せざるを得ないホームレスもきっと中にはいるだろう。しかしそれは決して多数派ではないはずだ。コロナ禍で、やむにやまれずホームレスになってしまった人もたくさんいることだろう。

そして、ホームレスについて知れば知るほど、ホームレスを生み出しているのは、「働かない人間は怠け者だ」と断定する社会の風潮の方なのではないか、と考えてしまう。

この映画は、ホームレスの人たちによるダンス活動を映し出すドキュメンタリーだが、その振り付けを行っている振付師のアオキ裕キがこんな風に言う場面がある。

社会のルールの方がいいですか?

この場面から私は、この映画はホームレスを描くのと同時に、「社会のルールに唯々諾々と従っている私たち」をも切り取るものだと感じた。

生き方には、もっと多様性が認められていい

さて、ここまで書いてきたことと矛盾するような話をこれから展開するが(私は矛盾しないと考えているが、そう思わない人もいるだろう)、映画に登場するホームレスの西篤近がこんな発言をする場面がある。

仕事に就くことに、まだ気持ちが乗らないんですよね。仕事をするって、自分のために働くとか、自分のためにお金を稼ぐとかじゃないですか。でも、そういう部分に気分が乗らない。もちろん、自己実現のためとか、誰かのために働くみたいなのもあると思います。じゃあ自分は?って思った時に、自分が一番やりたいと思えることが、今のダンスなんですよね

これは見方によっては「怠けている」と捉えられるだろう。

しかし、これが「怠けている」と受け取られる理由は一体なんだろう? 恐らくそれは、三大義務として「勤労」が位置づけられているからだと思う。の三大義務のことを特には意識していなくても、「働くことは生きる上で避けては通れないものだ」と考えている人は多いはずだ。

しかし、本当にそうだろうか?

ウィキペディアの「勤労の義務」の項目には、

そもそも自由主義を掲げる国の憲法に「勤労の義務」を規定することはふさわしくないとの意見がある。「納税の義務(日本国憲法第30条)」を規定していれば「勤勉の精神」は十分確保できるものであるとしている。

ウィキペディア

と書かれている。少なくとも、「勤労」が義務であるかどうかについて議論がある、と言えるだろう。

私も、「勤労」が義務であることには違和感を覚える。「他人に”さほど”迷惑を掛けない」という状態を満たし、「社会的な財・サービスをある程度受けているのなら納税を行う」のであれば、働く必要は別にないだろう、と感じてしまう。

ホームレスの人たちは、確かに他人に迷惑を掛ける存在かもしれないが、誰だって普通に生きているだけで他人に迷惑を掛けているものだ。ホームレスの人たちは、それが目に付きやすい、というだけにすぎないと私は思っている。また、彼らが受けている財・サービスなど、ほとんど無いと言っていいだろう(まったくゼロとは言わないが)。納税しなければ許されない、と目くじら立てるほどではないというのが私の意見だ。

もちろん、ホームレスの数が異常に増加するとか、ある地域に密集するといった状況になれば、それまで顕在化しなかった問題が目に見えてくるようになるかもしれない。だからこれは程度問題だと思ってもらえたらいい。状況が変われば、私の意見も変わるだろう。

望まずにホームレスになってしまう人ももちろんたくさんいる。そういう人たちには支援が必要だと思うし、社会復帰への道筋が広く残されていると良いと思う。しかし一方で、社会に上手く馴染めず、ある意味で望んでホームレスになるような人もいる。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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