【考察】A24のホラー映画『TALK TO ME』が描くのは、「薄く広がった人間関係」に悩む若者のリアルだ
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映画『TALK TO ME トーク・トゥ・ミー』は、ホラー映画とは思えないテーマを切り取る、実に現代的な物語だ
「『皆が真似していること』を真似る行為」が、私にはまったく理解できない
なかなかにムチャクチャな話だった。面白いとか面白くないみたいな評価のしにくい作品だが、ただ「観て良かった」とは思う。
正直に言えば、作中の登場人物たちの行動は私にはまったく理解できなかった。「その何が面白いんだ?」としか感じられないのだ。しかし公式HPを読んで、私が彼らに共感できないのは恐らく、私が41歳のオジサンだからだろうと思った。そして、私が理解できるかどうかはともかく、本作で描かれているのが「現代の若者のリアル」なんだとしたら、その事実こそが何よりも恐ろしく感じられる。
本作の中心にあるのは、作中世界ではSNSでバズっているらしい「90秒憑依チャレンジ」だ。具体的には説明しにくいのだが、ざっくり「こっくりさん」みたいなイメージをしてもらえればいいと思う。どんな小道具を使うのかの違いはあれど、「霊的な存在を身体に降ろす」という部分は同じだ。そして「90秒憑依チャレンジ」では、「90秒以上霊が身体に入ったままだと危険」とされており、そのため「チャレンジ」という呼ばれ方になっているのである。
さて、作品自体の話から少し離れるが、私は基本的に、「流行っているものを皆で真似する」ことの面白さが全然理解できない。私は、TikTokはアプリ自体を入れていないし、YouTubeもほぼ見ることはないのだが、ざっくりしたイメージでは、「メントスコーラやダンスなど、『その時に流行っているもの』を皆で真似る」という親のコンテンツが強いのだろうと思う。まあ、100歩譲って、かつて社会現象にもなった「アイスバケツチャレンジ」のように「寄付を募る」みたいな目的があるならまだ理解できる。しかし、今流行っているのはシンプルに「『皆が真似していること』を真似る」だけのコンテンツなのだと思う。
それの一体何が面白いのか、私には本当に理解できないのだ。
これは、かなり強い感覚である。例えば仮に、私が役者や歌手など表に出る仕事をしているとしよう。そしてその上で、「今流行ってるこのダンスを踊ってくれたらバズります!」みたいにか言われても、絶対に踊りたくないと感じるだろう。「興味がない」みたいな話ではなく、「出来る限り関わりを持ちたくない」というぐらいに嫌悪しているというわけだ。
しかし一方で、私の好き嫌いは一旦置くとして、今若い人たちの間で「『皆が真似していること』を真似る」のが流行っているのであれば、その理由を考察してみることには価値があるだろう。
SNSは「人間関係を一層ややこしくするためのツール」になってしまった
私は未だに、「バイトテロ」みたいな動画がSNSやマスコミを騒がせる状況に驚かされてしまう。さて、「バイトテロ」のような「不適切な言動をSNSに上げてしまう」みたいな行為について、「SNSが広まったせいで、こういうアホみたいなことをする奴が出てくるようになった」と考えている人もいるだろう。しかし私は、「SNSによって単に可視化されるようになっただけ」だと思っている。昔から、若者はアホみたいなことをしていた。今「バイトテロ」と呼ばれているような行為も、昔からあっただろう。しかし、SNSが無かったために、多くの人が気づかなかっただけだ。そういう意味で私は、これらの「アホみたいな行為」を「SNSが元凶」だとは認識していない。
一方で、もちろんのことながら、SNSの登場が直接的に影響を与えたこともあるはずだ。色々思い浮かぶかもしれないが、本作『TALK TO ME』に絡めた話をするなら、「人付き合いを余計に難しくさせた」ことが挙げられるだろう。
一見、この主張はおかしなものに思えるかもしれない。何故なら、SNSは元々「人と人とを容易に繋ぐツール」として登場したはずだからだ。確かに、SNSが生まれた当初は、そのような機能がきちんと存在したと思う。しかし「SNS過剰社会」とでも言うべき時代になった今、SNSは逆に「人と人とをあっさりと遠ざけるツール」に変わってしまったと私は考えている。
私の学生時代は、「ガラケーこそ多少広まっていたものの、スマホはさほどでもない」という感じだった。つまり私は、「SNSが存在しなかった時代の人間関係」も経験している。その頃は、「自分の身体が動く範囲内」でしか人間関係を築けないのが当たり前だった。自分で選び取ったわけではない「出身地」「小中学校」のような「外的環境」による制約から逃れるのは難しく、誰もが当たり前のように、「身体が動く範囲内」だけで人間関係を築いていたはずだ。
SNSは、この「物理的な距離」という制約を取り払った。その気になれば、郷里が離れた人といくらでも関わりを持てるようになったのだ。物理的距離だけではない。言語の違いや性別・性的指向などの制約さえも取り払って、フラットに様々な人と関われるようになったのである。
さて、SNSによるこの「制約の撤廃」は恐らく、「元々コミュニケーションに苦手意識を持っていた人」には非常に大きな効果をもたらしただろう。そういう人は概ね、「仲良くなれるタイプ」が限られているのだと思う。しかし様々な「制約」のせいで、そういう人と出会うのはなかなか難しかったはずだ。そのため、SNSによって選択肢が広がったことで、「仲良くなれるタイプ」と関わりやすくなっただろうと思う。
一方で、「『コミュニケーションが得意な人』にとって、SNSはある種の『呪い』として機能しているのではないか」というのが私の考えである。
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