【狂気】映画『ニューオーダー』の衝撃。法という秩序を混沌で駆逐する”悪”に圧倒されっ放しの86分
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狂気に満ちた映画『ニューオーダー』は、秩序が根底から覆された時の「人間の醜悪さ」を極限まで描き切る問題作だ
とてもイカれた映画だった。公式HPに、「第77回ヴェネツィア国際映画祭で審査員大賞など2冠を受賞しながらも、各国の映画祭で激しい賛否両論を巻き起こした本作」とある通り、まさに問題作と言っていいと思う。
映画を観終えて最も強く感じたのは、「たった86分の映画だったのか」ということだ。体感では、もっと長い物語に感じられた。それは決して「冗長」とか「間延びしている」みたいな意味ではない。「濃すぎて、86分の物語だったとは信じられない」みたいな感覚なのだ。変な表現だと分かっているが、「体感では2時間ぐらいの映画であり、その2時間があっという間に過ぎた」みたいな印象である。とても不思議な感覚だった。
まずは内容紹介
マリアンは新婦として、結婚式という晴れの舞台の中心にいる。父がよく知られた実業家であるため、多数の来賓客を呼んだ盛大なパーティーとなり、その中で幸せを噛み締めていた。しかしそんなパーティーの最中、後から来た者たちが、「空港で足止めを食らった」「警察の検問に捕まっていた」などと口にする。何かが起こっているようだが、細かな状況はよく分からない。というか、知ろうともしなかった。富裕層である彼らには、「今メキシコでどのような事態が進行しているのか」に対する興味などなかったのである。
彼らが知らないところで、実はとんでもないことが起こっていた。貧富の差に対する抗議運動の参加者たちが、暴徒化したのである。
そのあおりを食らった人物が、パーティー会場に足を運んだ。マリアンが住む屋敷でかつて使用人をしていたエリサの夫である。彼曰く、デモの怪我人を優先して入院させるために、手術を待っていたエリサが無理矢理退院させられてしまったのだという。手術には20万ペソ必要なのだが、そんな大金が工面できるはずもない。そのため、思い悩んだ末、かつての主人の元を訪ねたというわけだ。
彼はエリサを知っているはずの者何人かに声を掛けるが、つれない対応をされてしまう。人づてに状況を知ったマリアンは、今日もらった祝儀の一部を彼に渡そうと考えるのだが、「彼はもう諦めて、パーティー会場から自宅へ帰ってしまった」と聞かされた。マリアンには、自分たちに良くしてくれたエリサを見捨てることなど出来ない。そこで彼女は、パーティーの主役であるにも拘わらず、車で20分ほどの場所にあるエリサの家まで、今の使用人の息子と一緒に向かうことに決めた。
そして、マリアンが出発するのを待っていたかのように、直後パーティー会場を悲劇が襲うことになる。
さて、パーティー会場をたまたま脱していたマリアンとて決して安全というわけではなかった。街が凄まじい状況に陥っていたのだ。荒れ狂う街から安全に脱出できるようにと、兵士が彼女を自宅まで送ってくれることになったのだが……。
「よく分からない部分」が随所に残る物語
本作は全体的に、「よく分からない」と感じる部分があちこちに残り続ける作品だった。とにかく、「今何が起こっているのか」を把握することさえなかなか困難な物語なのだ。もちろん、「主人公がどういう状況に置かれているのか」は観れば分かる。しかし、「何がどうなってそういう状態になっているのか」みたいな経緯はちょっと想像しにくかった。
しかし一方で、「物語の背景には、こういうことが関わっているのだろう」という推測は立ちやすい。といっても、「その背景が、物語の細部まで含めてすべてを説明してくれるのか」、あるいは「物語全体の展開が、その背景と整合性が取れているのか」みたいなことまで判断はできなかった。ただ、「何が根底にあるのか」は大体想像できるというわけだ。
それが「貧富の差に対しての弱者の怒り」と「軍部の暴走」である。ただ、前者についてはかなり明確に捉えやすいものの、後者の「軍部の暴走」については、「その捉え方さえ正しいのか分からない」という感じだった。それが「暴走」と呼んでいい状態なのかも分からなかったし、仮にそれが「暴走」なのだとしても、「軍部が何故暴走しているのか」の理由も定かではない。「とりあえず私はそう捉えた」ぐらいに受け取ってもらえばいいだろう。
恐らく、本作では概ねこの2点が核になっていると思うのだが、さらにその上で、「『弱者』あるいは『法ではないもの』が支配する世界」を描き出そうとしているのだと思う。だからこそ、「ニューオーダー(新秩序)」というタイトルが付けられているのだろう。
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