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【ル・マン】ゲーマーが本物のカーレース出場!映画『グランツーリスモ』が描く衝撃的すぎる軌跡(ヤン・マーデンボローの実話)

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映画『グランツーリスモ』は、実話を基にしているとは信じられない驚異の物語だった。ゲーマーが本物のレーサーになるとは……

とにかくとんでもなく凄まじい物語で驚かされてしまった

メチャクチャ良い映画でした! いやー、ビックリしたなぁ。私は「実話を基にした映画」を観るのが好きで、そういう作品を結構優先的に観ているのですが、その中でもかなり圧倒されてしまう物語でした。

本作の凄さの1つは、「身体が興奮する映画」だということだと思います。いやもちろん、そういう映画は世の中にたくさんあるでしょう。しかし私は普段、「脳みそが興奮する映画」を中心に観ています。基本的には、「知的好奇心が満たされるもの」でないと興味関心を抱けないからです。しかし本作の場合、後で詳しく触れますが、「恐らく全観客が、先の展開をすべて予想できる」くらいシンプルで分かりやすい物語であり、「脳みそが興奮する」という感じではありませんでした。それでも、普段はさほど関心が持てない「身体が興奮する」という要素があまりに圧倒的で、自分でもかなり意外でしたが、その点に揺さぶられたというわけです。

とにかく本作は、「カーレースの臨場感」が半端ではありません。私はカーレースに限らずスポーツ全般に興味がなく、もちろん観戦に行くこともないわけですが、本作『グランツーリスモ』のレースシーンには超興奮させられてしまいました。もちろん、レース展開についても「きっとこうなるだろうな」とすべて予想出来ます。ただ本作では、実際にレース会場に行ってもこんな画角では観られないだろう、映画だからこそ実現可能なアングルの映像も多々あり、その臨場感に驚愕させられてしまったのです。

また本作の場合、先程も少し触れた通り、「事実の強度」がちょっと凄すぎました。「ゲーマーを実際のレーサーに育てよう」というのだから、関わった人間全員が「狂気的」であるとしか思えません。とにかく、「笑っちゃうくらいムチャクチャな実話」が基になっている作品だと言えます。さらにそのシンプルさ、そしてマンガみたいな王道中の王道展開が合わさり、ストーリー的にもかなりグッとくる作品に仕上がっているのです。

そしてそこには、「人間ドラマ」もちゃんと詰まっています。正直なところ、「人間ドラマ」の部分はどの程度まで実話が基になっているのか分かりませんが、仮にすべてが「映画的な創作」だとしても、物語全体を貫く「事実の強度」は揺るがないでしょう。そして、ストーリー的には一層感動が増すことになるわけで、物語全体の構成も美味いと感じました。

私は普段、「お金が掛かっていそうな大作映画」を観ません。これは、意識的にそういう選別を行っているみたいなことではなく、観たいと思う映画が多すぎて優先順位を付けざるを得ないだけです。ただ、本作『グランツーリスモ』は、映画館で予告を観た瞬間に「これは絶対に観よう」と決めました。「これがホントに実話なの!?」と感じるような物語だったからです。

私は基本的に、常に「事実」に興味を抱いています。創作や空想にももちろん関心はあるのですが、やはり私にとって「脳を興奮させる」のは「事実」です。といって、新聞は読んでいないのですが、自分なりには色んな機会を見つけて「事実」を取り入れたいと思っています。本作は、そういう私の欲求にも合致する作品だったというわけです。

本作の基になった実話には、自動車会社の日産が関わっています。もちろん、映画のタイトルにもなっている「グランツーリスモ」はソニーが発売しているプレイステーション用のゲームです。日本企業が深く関わっているプロジェクトなのだから、国内でもっと知られていてもいいような気がするのですが、少なくとも私は、このプロジェクトが行われていた当時、この話については知りませんでした。何かしらで報じられていたかもしれませんが、あまりに情報が多すぎる世の中では、日本中が関心を持つようなニュースでもない限り、広く届かせることは難しくなっているということなのでしょう。

だからフィクションを通じて、「こんなムチャクチャな現実が存在した」と知れたことは、私の「脳」にとってとても良かったなと思います。

映画鑑賞以前に私が抱いていた「誤解」について

さて、内容に深入りする前にまず、鑑賞以前に私が抱いていた「ある誤解」について触れておきましょう。

本作は、「ゲーマーをレーサーにする」という実話を元にした作品なのですが、私は「そもそもそんなこと無理だろう」と思っていました。もちろんそれは、本作の登場人物の多くも同じ感覚だったでしょう。しかし私の場合、その認識が少し違いました。

というのも私は、「グランツーリスモ」を「ファミコンのようなコントローラーで操作するゲーム」だと思っていたからです。私のこの認識を踏まえれば、「そんなゲーマーをレーサーにするのなんか絶対に無理」という私の理解も捉えやすくなるでしょう。

しかし、知っている人には当たり前の知識なのでしょうが、そうではありませんでした。コントローラーではなく、実際に車に乗っているような感覚で操作するゲームだったのです。

そもそもですが、「グランツーリスモ」はゲームとして開発されたのではないそうです。山内一典という人物が「レースの感覚を完全に再現したい」という想いから開発がスタートしたそうで、作中でも主人公は「グランツーリスモ」のことを「ドライビングシミュレーター」と呼んでいました。もちろん、ライトなユーザーが、いわゆるファミコンみたいなコントローラーで遊ぶバージョンも存在するのでしょうが、専用のコントローラーを揃えることで、まるで「本物の車に乗っている」みたいな状況を再現できるのが「グランツーリスモ」だというわけです。

というわけで、私が考えていた「ゲーマーがレーサーになれるはずがない」という認識はちょっと誤りがあったわけですが、とはいえ、専用のコントローラーで車を運転しているような感覚を得られると言っても、やはり無謀な挑戦過ぎるでしょう。確かに「グランツーリスモ」は、機械操作や路面状況などは完璧すぎるほど完璧に再現されているそうですが、明らかに違う点もあります。それが「G(重力加速度)」です。レース中のドライバーに掛かるGは、ロケット打ち上げ時のなんと2倍にもなるといいます。それに耐えられる身体でなければ、レース用の車を乗りこなすことなど出来ません。

そんなカーレースに挑戦しようというのが、父親から「いずれこの部屋から出なくてはな」と言われるぐらいずっと部屋にいる「引きこもり」なのだから、やはり無謀も無謀だと思います。

そして、そんな物語が「実話」だというのだから、「笑っちゃうくらい」と表現したくなる気持ちも理解してもらえるのではないでしょうか。

本作の基になったプロジェクトが、モータースポーツの世界を激変させたという事実

本作中では、「『グランツーリスモ』をプレイするゲーマー」は「シムレーサー」と呼ばれていました。恐らく、「シミュレーションレーサー」の略なのではないかと思います。そして、「そんなシムレーサーを実際にサーキットで走らせる」というこのプロジェクトは、様々な「狂気」が無ければ実現しなかったはずです。

そもそもですが、山内一典が「グランツーリスモ」という狂気的な「ドライビングシミュレーター」を生み出さなければ何も始まりませんでした。その後、「『グランツーリスモ』のゲーマーをレースに参加させる」という狂気的な企画が、欧州日産のある人物によって立案されます。そしてその提案に、危険を承知で日産本社がGOサインを出すのです。さらにこのプロジェクトに、かつてル・マンを走ったことがある天才ドライバーがエンジニアとして参加することも決まりました。こんな風に様々な「狂気」が集まって無謀すぎる企画が生まれ、そこに、ただゲームをプレイしていただけのゲーマーたちが参加したというわけです。

どう考えても、全員、頭のネジが飛んでいるとしか思えません。しかしそんな「狂気」が奇跡を生んだのです。実際、「GTアカデミー」と呼ばれる、このプロジェクトを機に発足したレーサー養成所からは、本作の主人公だけではなく、多くのゲーマーが後にレーサーとなり、実際に表彰台に上がるという快挙を成し遂げました。

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