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【天才】諦めない人は何が違う?「努力を努力だと思わない」という才能こそが、未来への道を開く:映画『マイ・バッハ』

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努力を努力だと思わない人間だけが、何かを成し遂げられる

「天賦の才能」より「努力できる才能」

「生まれ持っての才能」に憧れてしまうことは、やっぱりあります。どんなジャンルであれ、一流と呼ばれる人たちは、生まれつき何かが違ったとしか思えないような、とんでもない人たちにしか見えません。そして、自分には生まれつきの才能などないから仕方ないと言い訳して、様々なことを諦めることになります。

しかし、本当でしょうか? 「生まれ持っての才能」だけで、トップランナーはトップに居続けられているのでしょうか?

世の中のトップランナーと関わる機会はないので、あくまで想像に過ぎませんが、そんなわけはないだろうと思います。

もちろん、生まれつきの才能だけではなく、家にお金があるか、自由な教育環境であるかなど、本人とは関係ない部分での外的要因も絡んでくることが多いでしょう。他にももっと様々な要素が絡まり合っているでしょうが、やはり私は、「努力できる才能」こそが一番重要だ、と考えています。

歴史上の人物でも、アスリート・芸能人でもなんでもいいですが、「天賦の才能」を過信して努力せず、結果的に大成できなかった人は多くいるだろうと思います。「天賦の才能」のお陰で瞬間的に頂点に上り詰めることが出来たとしても、努力をしなければすぐに追い落とされてしまいます。

「天賦の才能」があるというのは、「スタートラインが大分ゴールに近い場所にある」という意味でとてもラッキーだと言えるでしょうが、しかしそのスタートラインに立ち止まったままならいつか必ず後続に追い越されます。

今は流行や話題のサイクルがあまりにも早く、1年前に注目された人もどんどんと忘れ去られていく世の中です。SNSなどの普及によって、「最初のチャンスを手にするハードル」は大分低くなったと言えるでしょうが、それによってスタートラインに並ぶ者が膨大な数になり、結果として「運」や「天賦の才能」だけでは生き残れない時代になっていると感じています。

そういう中で、なんだかんだ結局生き残るのは、「努力できる才能」を持つ人間だと感じています。

「努力できる才能」を持つ人間は、「努力を努力だと思っていない」

まず、私自身の話を書きましょう。私には「天賦の才能」はありませんが、「努力できる才能」を持っていると自分では考えています。

この「ルシルナ」というサイトでも、本・映画の感想を日々アップしていますが、こういうことを始めたのは15年ぐらい前からです。その頃から、「本を読み終わったら、あるいは映画を観たら、必ず感想を書く」というルールを課していました。「課していた」というか、感想を書くことを含めて「読書」「映画鑑賞」だと考えていました。

その時々で違いますが、どんなに少なくても2000字、多い時には10000字以上の文章を、本を読む度、映画を観る度に書いています。というような話を誰かにすると、「よくそんなこと続けられてるね」と言われるのですが、私としては無理やり頑張ってるわけではありません。確かに、若干無理してる部分はありますが、それでも、「辛い、止めたい、でも頑張らなきゃ」なんてまったく感じてはいません。

普通の人からすれば、平均で5000字程度の文章を日々書いているというのは常軌を逸しているでしょうし、「努力しても無理」と感じる人もいるでしょう。でも私からすれば、「努力だと思っていたら、こんなの続けられない」という感覚の方が強いです。自分では別に「努力」だと思っていないからこそ、15年近く続けることができています。

あるいは、「努力」について考える時、よくYoutuberのことが頭に浮かびます。私は、Youtubeをほとんど観ませんし(音楽を聴く時にたまにアクセスするぐらい)、Youtuberのことも特に知りません。それに正直に言えば、「Youtuber」という職業は、ちょっと受け入れがたいなぁ、とさえ感じています(その理由は本題から外れるのでここでは書きません)。

ただし、やはりトップで活躍し続けているYoutuberというのは、「努力のかたまり」のような人たちなのでしょう。一度も動画を観たことがないのでよく知りませんが、有名なヒカキンは、寝る間を惜しんで撮影・動画編集をしている、と聞いたことがあります。他のトップYoutuberもそうでしょう。

そして彼らもまた、「努力しているつもりなどないのだろう」と感じます。そうじゃなければ、毎日動画を投稿するなんて常軌を逸した行動を続けられるはずがありません。

そしてこれからの時代は益々、「好きだからこそ続けられる(=努力だと感じない)」という領域で闘うしか生き残れなくなっていると感じています。だから、今していることが「努力」だと感じられるのであれば、その領域は諦めた方がいいと私は思っていますし、「お金を稼ぐためにやること」と割り切った方がいいでしょう。

指が動かなくなった天才ピアニストはどう生きていくのか?

さて、ようやく映画の内容に関係する話をしますが、この映画では、幼い頃から神童と言われ、とにかくピアノさえ弾ければあとはどうでもいいと考える天才の指が動かなくなる、という展開が描かれます。ピアニストにとって指は命のようなもの。そんな命を奪われたピアニストがどんな決断をするのか、という物語です。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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