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【生還】内戦下のシリアでISISに拘束された男の実話を基にした映画『ある人質』が描く壮絶すぎる現実

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ISISに398日間も拘束されながら、何とか生還を果たした男の実話を元にした映画『ある人質』が描き出すリアル

映画『ある人質 生還までの398日』は、内戦下のシリアで拘束されたカメラマンが、壮絶な398日間を経た末に、無事生還を果たした実話を元にした映画である。こう説明するだけで、「人質として囚われ続けた男の苦労」や「解放に向けて奮闘し続けた家族の大変さ」などが容易に想像できるだろう。もちろん、映像で観ることでその現実により一層圧倒される。そしてだからこそ、それらについてこの記事の中で”文字で”あれこれ書いてもあまり意味はないだろう。

というわけでこの記事では、「映像で観れば圧倒されるが、文字ではあまりイメージしにくい話」ではなく、少し違う話に触れていきたいと思う。

まずは内容紹介

ダニエルは、6年間も体操に捧げてきた。しかし、間近に世界大会が控えたある日、軍人相手に披露するショーの最中に怪我をし、世界大会への出場を逃してしまう。それまでの努力が水の泡だ。

その後ダニエルは、両親の下で、学生時代からの恋人シーネと過ごす日々を送ることになる。姉は「両親が甘やかしすぎ」と手厳しいが、彼は彼なりに次の人生のことを考えていた。昔から夢だったカメラマンを目指すことにしたのだ。学校へは通わず、プロカメラマンの助手として経験を積む選択をした。彼は実際に助手となり、ソマリアで撮影を始める。そしてそこで、「戦時における日常」を人々に伝える使命に目覚め、ダニエルはそのままシリアへと向かった。

心配する家族に、「出来る限り安全を確保する」と約束し、ダニエルは実際に現地ガイドを雇ってシリアの日常を撮り始める。しかしある日、謎の集団によって現地ガイドと共に拘束されてしまった。現地ガイドは「許可は取ってあるから大丈夫だ」と口にする。しかし、ダニエルは結局CIAだと疑われ解放されないままだった。そこから彼の、長い長い拘束生活が始まっていく。

ダニエルの両親は恋人のシーネから、予定の便に乗っていないと連絡を受ける。そこで両親は、緊急連絡先として指定されていたアートゥアに電話を掛けた。しばらく連絡が取れていないことを伝えると、「誘拐の可能性があるから誰にも言わないように」と口止めされる。噂が広まると、人質の命が危ないからだ。

デンマーク政府は、「テロリストとは交渉しない」という方針を徹底して貫いているため、ダニエルの家族はアートゥアをそのまま人質交渉人として雇った。彼は、アメリカ人ジャーナリスト・フォーリーの家族からも同様の依頼を受けており、まとめてその行方を追っている。しかし、なかなか状況を掴むことができない。

一方、拘束されたダニエルは、どうにか隙をついてISISから逃げようとするのだが……。

デンマーク政府の対応について特に考えさせられた

映画を観ながら最も考えさせられたのが、「テロリストとは交渉しない」というスタンスを固辞するデンマーク政府の対応である。デンマーク政府は、現在に至るまでその方針を貫き続けているのだそうだ。

それは凄まじいことに思える。デンマーク政府のこの方針には、恐らく賛否あるだろう。国民がどの程度許容しているのか分からないし、そのスタンスが良いのか悪いのかも私にはなんとも判断できない。デンマーク以外の国の状況についても知らないが、それでも、「一切の交渉を禁止する」というスタンスには驚かされてしまった。なにせデンマーク政府は、被害者家族が身代金を用意するための募金活動を行うことさえも禁止しているのだ。それを行えば、違法になるのだという。「政府が直接の支援を行わない」というのは理解の範囲内だが、「被害者家族の自発的な行動をも制約する」という姿勢には驚かされてしまった。

もちろん、背景にあるだろう理屈は理解できる。テロリストに屈しない姿勢を世界が示すことで、テロリストが「誘拐」という手段を取らなくなるはずだと考えているのだろう。いや、さすがにそれは理想論すぎるか。「デンマーク国民の金がテロリストに渡ること」をとにかく避けたいというだけかもしれない。いずれにせよ、確かに、そのようなスタンスを固辞することによるメリットはあると思う。しかしやはり、「被害者家族の自発的な行動」さえも制約するという点には驚かされた。

日本には、真逆の例がある。「人の生命は地球よりも重い」という、当時の首相・福田赳夫の言葉がそれだ。バングラデシュで日航機がハイジャックされた「ダッカ事件」において、ハイジャック犯の要求を飲んで、受刑者を解放し身代金も渡したのである。この決断によって、「日本はテロリストまで輸出するのか」と、国際的にかなりの批判を集めることになったそうだ。

実際、この時に解放されたテロリストが後に多くの命を奪ったのだという。そう聞くと、何が正解なのか難しいと感じる。結局のところ、「人命の犠牲を先送りにしたに過ぎない」とも取れるからだ。いずれにせよ、正解が存在するような問いではない。どんな決断をしたところで「不正解」でしかないのだから、恣意的にどちらかを選ぶしかないし、そういう意味では、徹底してテロリストを遠ざけるスタンスを取るデンマーク政府のあり方も悪いとは言えないだろう。

しかし、そのスタンスを貫き続けるのは本当に大変だと思う。映画では、被害者家族が困窮している様を政府関係者が直接目にしながら、最後の最後まで表立った支援を行わない姿が描かれる。その徹底ぶりには驚かされた。そしてだからこそ、家族はとにかくお金集めに苦労する。なにせ、「身代金のための寄付を行えば罰せられるかもしれない」のだ。家族は企業のトップにも掛け合うが、政府の方針に反すれば企業にもダメージが及ぶ可能性がある。「金はあるから出しますよ」みたいにはいかない難しさがあり、そのようなリアルが描かれる作品でもあるというわけだ。

日本人は、人質として拘束されるジャーナリストを「自己責任」と批判する

今から書くのは、映画の内容とは直接的には関係ない話である。私は映画を観ながらこんなことを考えていた。

映画で描かれる誘拐事件と確かほとんど同時期に起きたのだったと思うが、日本人ジャーナリスト誘拐事件がニュースで報じられていたのを覚えている。同じく身代金の要求がなされ、国がそれを払ったとか払わなかったとか色んな憶測が飛び交いつつも、最終的にそのジャーナリストは無事日本へと生還した。

彼に限る話ではないが、日本の場合、ジャーナリストが海外でテロリストなどに拘束されると、「危険な地に勝手に行って勝手に捕まったのだから自己責任だ。助ける価値などない」みたいな声が上がりがちだ。実際に、その日本人ジャーナリストに対しても、似たような批判が上がっていた記憶がある。

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