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【証言】ナチスドイツでヒトラーに次ぐナンバー2だったゲッベルス。その秘書だった女性が歴史を語る映画:『ゲッベルスと私』

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ナチスドイツナンバー2だったゲッベルスの女性秘書がカメラの前で歴史を語る映画『ゲッベルスと私』

ナチスドイツにおいて、ヒトラーに次ぐナンバー2だった宣伝大臣のゲッベルス。その秘書を務めていたのがブルンヒルデ・ポムゼルだ。2017年に106歳で亡くなった彼女が、103歳の時にナチスドイツについて語ったのがこの映画である。

彼女の語り口から、「本当のことを口にしている」と私は感じた

映画の中ではもちろん、ホロコーストなどのナチスドイツが犯した残虐な事件についても触れられる。ただ、彼女はゲッベルスの元秘書であり、「ゲッベルスとはどのような人物だったのか」について語る場面も多い。そしてその語り口から私は、「彼女は『彼女なりの真実』を語っている」のだと感じた。記憶違いなどで結果として誤った事実を語っている可能性はあるかもしれないが、少なくとも本人が意図して嘘をついているということはないだろうと思う。

それは、彼女の次のような発言からも感じられた。

上品でスーツの着こなしなどもビシッとしていた。
ただ、僅かに足を引きずっていた。
その姿は、少し可哀想だった。

オフィスではいつも紳士で、節度を失うことなどなかった。
ただ1度だけ例外があった。誰かを怒鳴っていた。
誰もが信じられなかった。
それ以来1度もない。
本来冷静で、自制心のある人よ。

これらの発言は、捉え方次第では、「ゲッベルスという人物を高く評価している」と感じられるだろう。彼女は随所に、かつての上司であるゲッベルスに対するこのような評価を入れ込む。

さて、ここからはあくまでも私の想像にすぎないが、彼女にしても、「『ゲッベルスを褒めるような発言』が批判の対象になり得る」ということは十分理解の上だと思う。「ゲッベルスの元秘書」というだけでもかなり色眼鏡で見られてきた人生だっただろうし、そんなかつての上司を評価する発言にメリットなど存在しないだろう。嘘だとしても、「いけ好かない奴だった」ぐらいに言っておく方が、彼女自身への批判は減るだろうと想像できるはずだ。

しかし彼女は、恐らく当時そう感じたのだろう通りにゲッベルスを描写する。そのことは私にとって、彼女の証言の信憑性を高めるものだと感じられた。

もちろん、先程も書いた通り、無意識の内に記憶が改変されている可能性もある。彼女の証言と矛盾するような資料が今後発見される可能性だってあるだろう。それは仕方ないことだ。しかし少なくとも、彼女自身は「嘘偽り無く本当のことを話している」という意識でこのインタビューに臨んでいるのだと私は感じた。

これが、この映画を観た私の基本的なスタンスである。映画の受け取り方は人それぞれ様々だと思うが、以下の記事は、このような前提で読んでいただけるといいかと思う。

「愚かなことをしたが、避け難かった」という彼女の感覚

映画の構成を正確には覚えていないので、私の理解には誤りがあるかもしれないが、たぶんブルンヒルデ・ポムゼルは、「何か質問をされて、それに答えている」のだと思う。ただ確か、その質問部分は映像には含まれておらず、彼女が1人で独白をしているような構成になっている。

彼女の話は様々な記憶へと飛んでいくのだが、その証言を総合すると、103歳の彼女の実感は、「愚かなことをしたが、避け難かった」とまとめられるだろう。自分の振る舞いが「誤り」だったことは間違いないが、その当時の自分にはそのようには判断は出来なかったし、仮に出来たとしてもそれを避けることは難しかった。彼女は全体としてそんな風に語っていたと思う。

私も今の若い人たちのような教育を受けたかった。
私たちは、従順であることを求められた。

あれが私の運命だもの。
あんな激動の時代に、運命を操作できる人なんているはずがない。

どんな人であっても抵抗なんてできない。
体制に逆らうなんて不可能だった。
それをやろうとするなら、命懸けでないと。
最悪なことを覚悟しなければ。

私は、彼女のこのような感覚を「真っ当だ」と感じる。私はもちろん、戦争を経験している世代ではないのだが、現代においても、様々な「目に見えない圧力」によって社会のあらゆる物事が動いてしまう現実があることを知っている。文書改ざんと職員の自殺を引き起こした森友学園問題や、心を病んだり命を落としたりする者が出てしまうブラック企業の労働環境など、「体制に逆らう」ことが出来ずに最悪の状況を迎えてしまうケースは、「平和」と言っていい現代日本でも未だに起こってしまう。戦時中であればなおさらだろうし、私たちが知る「ナチスドイツ」支配下ではより苛烈だったと想像できるはずだ。

2019年、香港デモを映し出した映画『時代革命』の中で、デモ参加者の1人が「命を懸けないと声を上げられない」と語る場面も強く印象に残っている。彼女の感覚は、現代においても決して無縁とは言えないというわけだ。

だからこそ、彼女のこんな発言には驚かされた。

今の人たちはよく言う。
もし自分たちがあの時代に生きていたら、もっと何かしていた、と。
虐殺されたユダヤ人たちを助けたはずだ、と。
彼らの言うことは分かる。
誠実さから出た言葉なのだろう。
しかし彼らも同じことをしていたと思う。
国中が、ガラスのドームに閉じ込められていたようなものだったのだから。

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