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【執念】「桶川ストーカー事件」で警察とマスコミの怠慢を暴き、社会を動かした清水潔の凄まじい取材:『桶川ストーカー殺人事件 遺言』

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警察とマスコミの怠慢を暴き出した壮絶な取材を『桶川ストーカー殺人事件 遺言』としてまとめ上げた清水潔の凄まじさ

「桶川ストーカー殺人事件」の存在は知っていた。事件当時私は16歳。テレビでどのように報じられていたのかまで覚えているわけではないし、本書を読むまで事件について詳しく理解していたわけでもない。それでも、「『桶川ストーカー殺人事件』を契機にして『ストーカー規制法』が制定された」という事実は知っていたと思う。今でこそ「『ストーカー』が世の中に存在すること」や、「『ストーカー行為』が犯罪であること」は社会で共有されていると思うが、事件当時はその辺りの社会認知が追いついておらず、法整備もなされていなかった。そういう中で、1つの事件をきっかけにして重大な法律が生まれたというインパクトは、やはり強く印象に残っている。

本書『桶川ストーカー殺人事件 遺言』を読んで私は、知らなかったことをたくさん知った。それらはどれも、信じがたいものだ。警察が保身のためにいかに嘘をつくのか。マスコミがいかに安易に警察情報を「真実」として発表するのか。そして本書の著者・清水潔がいかに壮絶な取材を行い、「真実」を明らかにしたのか。著者の奮闘がなければ、真相は明らかにされなかったし、恐らく、「ストーカー規制法」も生まれなかっただろうに違いない。

著者は取材の過程で、「桶川ストーカー殺人事件」を所管する警察署に出向き、このように告げた。

取材ではありません。伝えたいことがあったから来ただけです。来週発売のFOCUSで桶川駅前の殺人事件の容疑者について重要な記事を掲載します。すでにその内容は捜査本部が十分にご存知のはずです。締め切りは今週土曜です。このことは必ず署長にお伝えください。以上。

「桶川ストーカー殺人事件 遺言」(清水潔/新潮社)

この言葉がどのような状況で発されたものなのかは、是非本書を読んでほしい。「権力」に対する著者の凄まじいまでの怒り・憤りが凝縮されたものだと理解できるはずだ。一介の記者の仕事としてあまりに凄まじいと感じる。まして著者は事件当時、記者クラブに出入りできない週刊誌記者だったのだ。どれほどの苦労の末に「真実」に辿り着いたのか、推して知るべしである。

清水潔は後に、有名な冤罪事件である「足利事件」を含む「北関東連続幼女誘拐殺人事件」の取材を行い、未だに未解決のままとなっている事件について調べた成果を『殺人犯はそこにいる』という本にまとめた。「文庫X」として話題になった1冊でもある。長澤まさみ主演の連続ドラマ『エルピス—希望、あるいは災い—』(カンテレ制作)の参考文献として知っている方も多いかもしれない。こちらも、警察や司法の闇に挑んだ、『桶川ストーカー殺人事件 遺言』以上に信じがたい現実が描かれた作品である。

「桶川ストーカー殺人事件」「北関東連続幼女誘拐殺人事件」という、どちらか一方だけでも普通の人には不可能と感じられるような取材を、生涯で2つもやり遂げた清水潔の凄まじさを、是非体感してほしい。

「桶川ストーカー殺人事件」の概要

まずは、「桶川ストーカー殺人事件」がどう展開し、著者がどのように関わったのかをまとめておこう。

1999年10月26日、女子大生の猪野詩織さんが桶川駅前で刺殺された。清水潔は、写真週刊誌「FOCUS」の記者として事件取材を開始するが、「FOCUS」は記者クラブに所属していないため、警察からの情報を入手できない。事件直後は通り魔による犯行だと思われていたものの、警察情報がないので詳しい情報が分からなかったが、。しかし著者は、いつものことだと諦め、独自取材を行うことにする。

しかし、いくら取材を続けても状況が一向にはっきりしてこない。どうやら通り魔による犯行ではなさそうだということだけは理解できた。詩織さんが執拗なストーカー被害に遭っていたことが少しずつ分かってきたからだ。しかし、彼女の周辺にいる人たちは皆口が重く、なかなか取材が進まない。

しかしようやく、詩織さんから相談を受けていたという男女から話が聞けることになる。彼らが口にしたことは、想像を遥かに超える信じがたいものだった。その時のことを著者はこんな風に書いている。

私は、あのカラオケボックスの中で、言葉以外の「何か」を受け取ってしまったような気がしていた。

「桶川ストーカー殺人事件 遺言」(清水潔/新潮社)

詩織さんは生前、周囲の人に「私は殺される」と何度も話していたという。警察に相談しても、まともに取り合ってもらえなかった。「ストーカー規制法」制定以前の時代背景においては、警察が詩織さんの訴えに耳を貸さなかったことについて多少は仕方ない面もある。何故なら、いわゆる「つきまとい行為」を罰する法律が存在しなかったため、「ストーカー被害」を訴えられても警察に出来ることは何もなかったからだ。しかしそうだとしても、警察の詩織さんに対する対応は酷いものだった。

詩織さんは、警察が助けてくれないことに落胆しつつ、それでも日々前向きに生きようと努力していたという。ストーカー行為は日増しに酷くなっていった。彼女は外に出ることも怖かったはずだ。そんな中でも詩織さんは、亡くなる当日まで愛犬の散歩を続けていた。ストーカーの嫌がらせに屈せず、普通の当たり前の日常を過ごそうと、精一杯の努力をしていたのである。

しかし詩織さんは、周囲の人たちに漏らしていた「遺言」の通り殺されてしまった。こんなことが、許されていいはずがない。

清水潔の怒りはまず、当然「犯人」に向けられた。そこで彼は、マスコミの中で「三流」を自認する週刊誌記者でありながら壮絶な執念を燃やし、警察よりも先に犯人を特定、その居場所も押さえた。これだけでも十分称賛に値する奮闘だ。

そして著者の怒りはさらに、「一流のマスコミ」へも向けられていく。記者クラブに所属する彼らは、自分の足で取材することよりも、警察発表を垂れ流すだけに終始している。そんなことでいいのだろうか? さらに著者の怒りは「警察」にも向けられる。取材を進める中で、埼玉県警が不正を隠蔽した可能性に気づいたからだ。清水潔は、「警察」という巨大な権力と闘うべく、ペンを執る決意をし……。

警察は、自らの失態を隠すために、事件を隠蔽しようとした

信じ難いかもしれないが、清水潔はその取材によって、埼玉県警のとんでもない不正を明らかにすることになった。警察は、「自らの非を認めない」ために、事件の構図を歪めようとしたのだ。

詩織は小松と警察に殺されたんです。

「桶川ストーカー殺人事件 遺言」(清水潔/新潮社)

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