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【情熱】常識を疑え。人間の”狂気”こそが、想像し得ない偉業を成し遂げるための原動力だ:『博士と狂人』
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「狂人」こそが、新たな歴史を生み出す
この映画に登場する、2人の「狂人」
この映画は、実話を元に作られている。
そう知ると、誰もが驚愕するだろう。
世界最高峰の辞書の誕生に、「殺人犯」が”刑務所”から関わっていた、と知ったら。
この映画に登場する「狂人」は、2人いる。1人は、今挙げた「殺人犯」だ。元エリートだが、精神的な疾患のせいもあって殺人を犯してしまい、”刑務所”に収容中の人物である。
そしてもう1人が、「学士号を持たない独学者」だ。大学で学ぶのではなく、まったくの独学で様々な言語を身に着け、言語学者になった男である。
さて、「殺人犯」も「学士号を持たない独学者」も、ともに「狂人」と呼んでいいだろう。そしてこの2人が”出会った”時、世界が大きく動き出すことになる。
この映画の面白さは、この「狂人」2人のやり取りが物語の核なわけでは決してない、ということなのだが、とりあえずもう少し「狂人」の話を続けよう。
2人の「狂人」は何を成し遂げたのか?
当時、オックスフォード大学は「白旗」を揚げていた。何に対してか。「辞書編纂」に対してだ。常に変化する言葉を追いかけ編纂する作業に、「絶望的な敗北」を喫しているという状態であった。
これは、よりざっくばらんに言えばこういうことだ。オックスフォード大学という組織全体で立ち向かっても、英語の辞書の編纂というのは不可能な挑戦だったのだ、と。
そこに現れたのが、2人の「狂人」だ。彼らが、オックスフォード大学が諦めた「辞書編纂」を成し遂げたのである。
もちろん、この2人以外にも数多くの人間の協力があってのことだ。しかし、この2人が出会うことがなければ、まず実現しなかっただろう。
そして、私が何よりも凄まじいと感じるのは、「大組織が諦めたことを、個人が成し遂げてしまった」という点だ。「独学者」はオックスフォード大学に所属する形で取り組むのだが、組織力を動員できる立場ではなく、映画で観る限りはこじんまりしたチームで挑んでいる。
もちろん、そこには様々な事情があるだろう。映画ではそこまで詳しく描かれないが、組織ゆえのまとまりのなさが実現を阻んでいた可能性もあると思う。しかしだからといって、個人の力で容易にひっくり返せるような話でもないだろう。
それでも、情熱とアイデアと狂気によって成し遂げてしまうのである。
人間の想像力は無限大
人類の歴史は、「不可能を可能にする挑戦」の歴史であったとも言えるだろう。
万里の長城やピラミッド、月着陸を実現したアポロ計画、エベレストや北極点への初到達、人類初の飛行など、今では「当たり前」あるいは「当たり前のように思える」ことは、当時は「狂気」と捉えられていたはずだ。当然、「できるはずがない」「不可能だ」という声が無限に存在していただろうと思う。
しかし、そんな声に耳を貸さず、自分の信念を貫き、あり得ない偉業を成し遂げた者たちが、人類の歴史を作ってきた。成功することで「偉人」と呼ばれるようになるが、そうなる以前の彼らは全員「狂人」でしかなかったはずだ。
そしてますます、「狂人」しか「偉人」になれない時代になっている、と私は感じる。どんな時代にも、「人跡未踏の地」「誰も思いつかなかった発想」というのは存在するものだが、それにしても人類は、もの凄いスピードで様々なことを成し遂げたきたはずだ。残っている領域というのは、それこそ「そんなことをやろうと考えるなんて信じられない」と思われるような、ぶっ飛んだものしかないだろう。
そういうところに敢えて足を踏み入れ、長い時間をかけて挑戦し続ける人物でなければ、もはや「偉業」と呼ばれるような成果を残すことが難しくなっている、と感じる。
だからこそ、何かに挑む者は「狂人」でなければならないと、この映画を観て改めて実感させられた。
そして世の中のこの変化は、逆に言えば、「普通に馴染めない人には楽園だ」と捉えられる余地があるとも言えるだろう。
常識から外れた生き方を認めてほしいのです。
自分らしく生きることを罰しないでほしいのです。
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