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【興奮】結城浩「数学ガール」で、決闘で命を落とした若き天才数学者・ガロアの理論を学ぶ

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「数学ガール」では、「ガロア理論」はこう描かれる

数学ガールの設定について

まずは、一般向けの数学書シリーズである本作の設定から紹介していきましょう。数学書ではあるのですが、ストーリー仕立てになっていて、登場人物たちの人間関係や恋模様も楽しめる作品になっています。

主人公は、高校3年生の「僕」。数学が好きで、学校の授業や受験勉強の合間に、個人的に興味のある分野について研究をしている。

そしてそんな彼の周りには、様々なタイプの<数学ガール>たちがいる。

ミルカさんは「僕」と同学年で、数学の天才。「僕」を中心とした数学愛好家たちの指導的存在で、高校生とは思えないその圧倒的な数学的才能で、皆を未知の世界へと引き連れていく。

テトラちゃんは、一学年下の後輩。最初は、苦手な数学を先輩である「僕」に教わりにきた子で、数学に強いというわけではなかった。しかし「僕」やミルカさんとのやり取りの中で着実に力をつけていく。時には、「僕」には思いつかないような発想や理解にたどり着くこともあるほどだ。言葉に対する感度が高いのと、分からない箇所をほったらかしにしないことが強み。

ユーリは「僕」の従姉妹で中学3年生。「僕」の部屋によくやってきては、数学を教わっている。中学生だということもあり難しい数学は理解できないが、数学への興味は強い。そして、「論理」に滅法強く、時に「僕」をハッとさせる。

リサは双倉図書館の主であり、赤髪が特徴。寡黙で、一単語を口にするだけというような会話が主だが、数学の才能はさすがのもの。というのもミルカさんとは従姉妹同士の関係なのだ。常にラップトップのパソコンをいじっている。

このような面々が、様々な数学談義を通じて数学の奥深くへと分け入っていく、というような物語です。

「数学ガール」シリーズには、1作目以外にはすべて副題がついていて、それが作品の「最終到達地点」となります。今回は「ガロア理論」。本書では最終的に、「学園祭の展示」という形で、ガロアが残した第一論文を丁寧に追う、という終着となります。

ガロアとは何者か?

本書の内容紹介に移る前にまず、ガロアという天才数学者についてまとめておきましょう。

彼は「数学史上における天才」などと言われることもありますが、その理由は、それまで数学の世界に存在しなかった分野を、たった独りで作り上げてしまったからです。しかもそれを若干20歳という若さで成し遂げるのです。あまりに時代を先駆けていたために、同時代の数学者になかなか理解されなかったというから、どれだけ斬新だったかが伝わるでしょう。

さらにこのガロアを伝説の存在にしているエピソードがあります。彼は20歳の時に決闘で死亡しているのです。歴史上の偉人は様々な死因で知られていますが、「決闘」というのもなかなかのものでしょう。

恵まれているとは言い難い環境で生まれ育ち、その中で煌めくような才能を発揮して天才的な偉業を成し遂げ、しかし誰にも理解されず、自分の信念のために決闘に臨んで敗れ、その後、数学的知識のない親友がガロアの論文を様々な数学者に読ませ続けたことでようやく彼の仕事が評価されるようになった、という、非常にドラマティックな生涯を送った人物として知られているのです。

さて、どこで目にしたのかすっかり忘れてしまったのですが、「ガロアの天才性」について、アインシュタインと比較する形でこんな主張を読んだ記憶があります。記憶を頼りに要約してみましょう。

アインシュタインは、「相対性理論」という物理学上の大発見をたった独りで行った。確かにそれは凄いことだが、当時「相対性理論」のような仮説を考えている人物は他にもいた。つまりアインシュタインは、「競争に勝って一番乗りをした人物」ということになる。

しかし、ガロアは違う。ガロアの場合、当時同じようなことを考えている人はいなかったし、もしかしたらその後数百年経っても、ガロアが発想したアイデアを思いつく数学者は出てこなかったかもしれない。

アインシュタインもガロアも、新たな発見を独力で行ったという意味では同じだが、その意味はまったく違う。

確かに数学でも科学でも、同時期に同じようなことを考えている人物が出てくることはよくあるし、「その中で誰が頭一つ抜けたか」が評価されることも多くあります。あるいは、「ある問題・課題・予想」が知られていて、それを最初に解決した人物が評価される、というケースもあるでしょう。

しかしガロアは、ほとんど誰も同じような問題意識を持っていなかった時に、まったく新しい独創的なものを生み出したのであり、やはりそれは凄まじいとしか言えないだろう。

だからこそガロアの第一論文は、物凄く難しいのだそうです。ガロアが生きていた時代における最高の数学者と言われるポアソンでさえ「読みにくい」と言っていると本書に書かれていました。

でもそれは仕方ないでしょう。何故なら、彼はまったく新しい分野を生み出したので、未知の概念を既存の数学の「用語」を使って説明しなければならない状況にあったからです。

これを「江戸時代にスマートフォンを作る」という例で説明してみます。当時は当たり前ですが、「スクリーンショット」や「アプリ」なんていう単語も存在しないし、それどころか「電話を掛ける」という概念も存在しなかったでしょう。江戸時代の人たちに、江戸時代に存在した言葉だけでスマートフォンについて説明するのは、相当難易度が高いと言えます(というか不可能でしょう)。

それと同じ状況にガロアは置かれていました。ガロアが生み出した理論に関して、今では「群」や「体」など、必要な概念を説明する単語が存在します。しかしガロアは、「群」や「体」という言葉が存在しない中で、それらの概念を既存の数学用語だけを使って説明しなければならなかったのです。

そういう意味では、よくもまあガロアの生み出した成果が残ってくれたものだ、とも感じます。ガロア自身は20歳で死んでしまうし、ガロアの論文を託された親友には数学的な知識があまりありませんでした。それでも、先進的過ぎて当時の一級の数学者たちも理解できなかった概念を、諦めずに届けようとし、かつ理解しようとした人たちがいたからこそ、ガロア理論がちゃんと残っているわけです。

しかもガロアが生み出した分野は、現代数学にはなくてはならないものだと認められています。科学でも数学でも「対称性」と呼ばれる概念が非常に重要になるのですが、この「対称性」を記述するための文法が「ガロア理論」です。逆に言えば、「ガロア理論」が存在しなければ「対称性」について記述できなかった、とも言えるでしょう。その場合、科学や数学の研究が大きく停滞していた可能性も十分考えられると思います。

さて、そんな「ガロア理論」が本書の「最終到達地点」なわけですが、身構えていたよりは難しさを感じませんでした(もちろん、大変難しいんですが)。この記事では、「ガロア理論」そのものについてはあまり触れませんが(私がそこまで理解できていない)、本書の流れを頭から順番に追い、最後まで読み通すことで、ガロアがどんなことを考えていたのか「分かったような気になれる」と思います。

「あみだくじ」「2次方程式」から「体」「群」の話へ

本書では、誰もが知ってる「あみだくじ」が割と重要なアイテムとして登場します。「あみだくじ」を数学的に考える、と言われてもなかなか理解しにくいかもしれませんが、本書では「僕」と「ユーリ」が、様々な記号や、<ぐるりん><すとん>といった独特の表記も駆使しながら、「あみだくじ」というものがどのような構造を持つのか探っていきます。

その後、2次方程式から「体」の話に展開していきます。この「体」は、本書を通じて最後まで重要になっていくので、本書を読む際はきちんと理解しましょう……と言いたいところですが、この「体」、結構難しいんですよね。

これ以降は、ブログ「ルシルナ」でご覧いただけます

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