
選択的夫婦別姓 とにかく怖いけど、やむを得ない変化には順応するしかない
こんにちは。
2025年初めてのnoteです。
今年もよろしくお願い致します。
年末年始、家族で楽しむ予定でしたが、5歳、0歳、私、夫の順番でインフルエンザA型に感染し、ひたすら自宅療養で過ぎていきました。
かなり時差がありますが、新年最初の産経新聞記事。
さて、選択的夫婦別姓についての議論が増えている。
個人的には、あまり知らないうちは賛成だったが、議論の場が増え、
・日本の戸籍制度
・子供の姓
について考えると、賛成とは思わなくなった。
斯くいう私は、結婚後も旧姓を通称使用しているが、問題を感じたことはない。
親子別姓、兄弟別姓について
また、私自身、親の離婚と祖父母への養子入りを経験しており「親子別姓」を子の立場として経験している。
時点での常識や前提によるのだろうが、「親子別姓」や「兄弟別姓」は個人的にはポジティブな経験ではない。
現在、二人の子がいるが、仮に自分と別姓だと考えると、妊娠出産(もちろん育児も)で大変な思いをした分、苦しい気持ちになるというのが率直な感想だ。
家族単位での幸せ
子育てを経験するまで、片親家庭で育ったことや、単身海外勤務をしていた事もあり、性別関係なく「個々の権利」、「個々の自由」、「個々の資産」という基準で生きてきた。
しかし、子が生まれ育てる過程では「個々の自由」や「個々の資産」という考え方には限界があり、徐々に「家族の自由」「家族の資産」という考え方にシフトしていった。
その方が、家族の資産や幸せの総合計は大きくなると思うようになったからだ。
誤解を恐れずにいうと、個人的には「利他的に」生きた方が、その結果、自分は幸せになれると思っている。
ここでいう「利他的」は、強制的なものではなく、利他ベースのマインドセットに基づくものである。
強制でも綺麗事でもなく、家族や友人の幸せの為にささやかでも何かできるということ自体が幸せな事だ。
この様に「家族単位」での幸せを考えると、戸籍に裏付けられた同姓が自然に感じる。
少数与党、石破首相のディール?
今、少数与党が予算を通す対案として「選択的夫婦別姓」が通るのでは?と囁かれている。
制度としての是非以前に、予算を通すためのディールとしてこの様な法案が通る事自体に不信感を抱く。
自民党、石破氏、本当にそういうところだよ!!
国の根幹をなす部分を、表面的な取引に利用しないでほしい。
他に取り組まなくてはいけない事、山積ですよ!
選択的夫婦別姓、今、この状況でやるべき事なのか?
日本の現状を理解した上で、どれほどの優先度なのか?
リベラリストと経団連が推せば推すほど、違和感しか残らない。
変化を恐れない自分になりたい
急に個人的な宣言だが、2025年は変化を恐れない自分になりたい。
選択的夫婦別姓には反対だが、万が一、通ってしまったとしても(当然だが)前向きに暮らしていかなくてはいけない。
そして、これは一時が万事そうなのだ。
回避できない変化に関しては、順応して生きていかなくてはいけないし、結局、順応していくのが人間だ。
今年は、第一子が小学校入学、第二子が保育園入園に伴い、私は仕事復帰だ。
子供の成長はあっという間で、接し方、求められるものすべてが変化し続ける。
慣れた頃には、もう変わらなくてはいけないという調子だ。
振り返れば、私は無意識下に、変化に臆病だったと思う。
変化してしまうなら、最初から関わらないという選択をする事も多かった。
数ヶ月後に引越ししてしまう人とは、仲良くならないように心の中で一線を引く感じ。(寂しさを避ける為に)
しかし、人間も世の中も変わりゆくのが自然の摂理だと痛感するこの頃。
二度と来ない「今」を大切に、大変な事も前向きに乗り切っていきたい!と身が引き締まる思いの2025年だ。