山葡萄と銀のトレイ
だいぶ前の夏のこと、東京都現代美術館に行ったときに、この籠を持っていた。
山葡萄の乱れ編みの籠だ。
受付の若い女の方が、
「素敵ですね!私、いつか欲しいんです。憧れなんです!山葡萄の籠。」
と言ってくださった。
偶然出会えた方に、褒めてもらえることは、あまりない。
それに、持ち物を褒めていただけることもないから、慣れていない。
あまりに真っ直ぐな目で話しかけてくださったので、いい歳をして、
嬉しいのに、どぎまぎしてしまった。
籠は、使えば使うほど艶が出るという。
何かの雑誌だったか、デザイナーのイナバヨシエさんが持っていらした、使い込んだ山葡萄の籠は、本当に素敵だった。
「親の仇のように使って、やっとここまでにした。」という。
写真では、革で編まれた籠のように見えた。
きっちりと編まれた、美しい籠だった。
蜜蝋を塗って、ささらを使って、手入れをする。
すると、段々に静かな光を放つようになり、違った表情を見せるようだ。
こんな風に、ヴィンテージのスカーフで蓋をして、夏でも冬でも使っていると、
色も落ち着いて、馴染んできたところだった。
ちょうど風呂敷色のスカーフは、滅多にブランドのものを持たなかった祖母の形見で、自分で買ったものではない。
あるものは、どしどし使って、こなれた感じが出てくると愛情が湧く。
主張をしない地味な色だから、籠とは相性が良いようだ。
逆に、派手な色でも楽しめるような気もするけれど。
以前、東京都現代美術館には、contentというレストランがあった。
しばらく行かないうちに、変わってしまったのかも知れない。
今は、案内に100本のスプーンという名前のレストランが書かれている。
contentでは、大きなテーブルで、オーガニック食材の季節感のあるワンプレートランチや、デザートが食べられて、好きだった。
田舎のレストランのような、素朴な盛り合わせ方も洒落ていた。
なんとも雰囲気があって、レジのところのガラスケースで、いくつかの大きさの、ブロカント風のシルバーのトレイが売られていた。
そして、同じトレイに売り物のパンも、並べられていた。
シンプルなトレイだが、新しくないから少し凹みがあったり、傷があったりして、味があった。
たくさん積んである中から、気に入った大きさのトレイを持ち上げてみたら重くて、その後の用事を考えて諦めた。
帰ってから「買えばよかった。」と思い、今度こそは!と思いながら、行かないまま時が経ってしまった。
私は、型にはまらない感じのものが好きなのだ。
乱れ編みで何となく左右がズレている気がする籠や、縁がどことなく曲がっていて、同じ大きさのものと上手に重ならないような、古い銀のトレイ。
それは、世界にひとつしかない。
「私は私ですが、何か?」
というオーラを出しているように見える。
自信を持って、曲がっているように見える。
「あなたが可愛がってくだされば、いいんです!」
私に向かって、そう言っているようだ。
そんな自信に満ちている。
それで、もっと好きになってしまうのだ。