物欲はあるうちが花
死ぬまでにやりたいことっていくつありますか?
世界一周?
スカイダイビング?
温かい家庭を築いて、孫の顔を見ること?
もう少し規模を小さくして、5年以内、いや、条件さえ整えば今すぐにでもやりたいことは?
ヨーロッパ駐在?
両親に海外旅行をプレゼント?
行きたいレストランリストの制覇?
かく言う私も大学生の頃から訪れたい国リストと行ってみたい名店のリストを持っている。社会人になったらお金はあっても時間はないことを見越して、サモアマダガスカル等アクセスが悪くて時間のかかる場所は学生のうちに行っておいた。距離が短い、もしくは時差の少ない東アジアや南半球や貧乏旅行では楽しめないドバイやモルディブは後の楽しみに取っておいた。
しかしどうだろう。コロナの影響もあるにせよ、20年代半を過ぎた頃から、無類の旅好きだった私の旅行熱は翳りを見せ始めた。ある日、4日くらい休みを取ってベトナムに行こうと思い立った。しかしネットで宿や観光地を調べながら、徐々に意欲が失せていった。すでにアジアは4カ国訪れたこともあり、画面越しに見ただけで、空港から出た瞬間のじっとり湿った空気、町並みの喧騒や埃っぽさが鮮明に想像できてしまったのだ。もちろん実際に訪れると何かしらイメージと異なる部分や新たな発見があるのだが、荷物を詰めて、飛行機に乗って、スリや盗難と生水に注意を払うことを考えるとどうにも食指が動かない。結局その年はリストのいずれの国にも行くことなく、何度か訪れたことのある箱根の旅館で過ごした。
学生時代、私はバイトで稼いだり株で儲けたお金で暇さえあればしょっちゅう旅に出ていた。過保護気質な両親はそれをあまり快く思っておらず「そんなに人生生き急ぎなさんな」とよく言われた。しかしつい最近、父は10年越しに言ったのだ。お金も時間も自由になったからヨーロッパにでも行こうかと思ったものの、もう10時間以上飛行機に乗るなんてできない。行きたいと思った時にあっちこっち旅していた私の判断は正しかった、と。
気力と体力に負けてしまう好奇心。知らず知らずのうちに蓄積された経験値。これらは過去の自分がやってみたいと感じたこと、行ってみたいと思った場所を最も簡単に遠ざける。ただ興味が失われるだけではなく、「今更海外転勤なんて不安で断りたい」「長時間フライトの旅行なんてタダでも行きたくない」とやりたくないことにすらすり替わる。
昔は何かをおねだりしてもなかなか買ってくれなかった母が、ここ数年何も言っていないのに自分で買うには少し背伸びが必要な服やらバッグやらを買ってくれる。年を重ねると何も欲しいものがなくなり、つまらないから代わりに娘に何か書いたくなるらしい。孫のおねだりに弱い祖父母も同じ心理だろう。
いくらお金があっても足りないくらいの物欲は、やがて枯れる。憧れだったロレックスも、幻のようだったバーキンも、少しずつ、でも確実に、ただの時計とバッグになる。そしてこの変化は不可逆的である。40を過ぎたらフルコースは食べきれないし、還暦でバーキンを手にしても、二十歳で得られるトキメキは得られない。
そしてタチの悪いことに、「欲しくないもの&やりたくないことリスト」と化した「かつて欲しかったもの&やりたかったことリスト」は、忘れてしまえばいいものを、脳の片隅はしっかりとハッキリと記録していて、回顧する度に「やり残したことリスト」として顔をのぞかせる。そしていよいよ走馬灯が流れ、三途の川を渡るというその時でもなお「新婚旅行くらいケチらずモルディブに行けばよかった」とか「胃が丈夫なうちに高級焼肉くらいたらふく食べれば良かった」等といちいち後悔するに違いない。
もちろん経済的や物理的にできないこともある。それでも、今欲しいと思っているものや挑戦したいと思っていることは、いずれその魅力を失う。欲しいものを買うなら、行きたいところに行くなら、そう思った今こそ達成すべきなのである。
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