新宮の巨岩 / 和歌山④
こんにちは。今日は朝から神倉山へ。
神倉神社
おおっ、山の中腹に巨岩と朱塗りの社殿が。登るよー
熊野三山の本宮。高さ80m近い断崖絶壁、神倉山の中腹にある神倉神社。
鎌倉時代に源頼朝が寄進したと伝えられる538段の石段を登って
振り返ると先がズドンと見えないくらい結構急峻。
登った先に
おー!熊野の神々が最初に降り立ったとされる巨岩が御神体。
ゴトビキ岩と呼ばれる御神体。ゴトビキとは熊野の方言でヒキガエルの意。
神倉って神座(かみくら)なんだろうな。
熊野速玉大社
神倉神社を本宮とし、現在地に新しく宮を遷されたことから新宮(にいみや)と呼ばれ、新宮(しんぐう)市の語源にもなっている熊野速玉大社。
とっても生き生きしていた龍。おはよう。
熊野速玉大神(=イザナギノミコト)、熊野夫須美大神(=イザナミノミコト)が主祭神。
樹齢千年の御神木「梛(なぎ)」。古来から道中安全を祈り、この葉を懐中に納めてお参りすることが習わしとされているそう。海の凪に通じるという平安・男女和合の証。
朱塗りの社殿は、鎌倉時代に描かれた「熊野曼荼羅」の世界を再現。
なんか見られてる気配を感じて覗いたら、
八咫烏に守られているという社殿の鏡。どう見ても顔にしか見えない…
熊野牛王宝印 (くまの ごおう ほういん)。
戦国時代からその形を変えることなく伝わってきたという護符。烏文字(ひとつひとつの文字がカラスと宝珠で表されています)で描かれ、時代によってカラスの数は増減しているそう。
現在は、本宮は88羽、新宮は48羽、那智は72羽の烏文字で5つの文字が表わされています。
熊野曼荼羅
とってもポップに聖地世界が描かれていました。
神倉神社に降臨した神々、ちょこんと乗られてて愛らしい。なんか人生ゲームの車みたいだわ。
まる〜い玉も一緒にね。高速で飛ぶ丸い物体、速玉=UFO。
海には不老不死を求めた徐福が。(記事「浦嶋子ってタイムトラベラー? 浦嶋神社へ / 海の京都④」)
新宮駅の近くに徐福公園がありました。秦の始皇帝の命により不老不死の霊薬を求め、熊野の地に渡来した徐福。
渡来人 秦(はた)氏に八咫烏陰陽道の賀茂氏、北緯33度43分に位置する熊野速玉大社と神倉神社。なにやら透けて見えてきますね。
紀元前3世紀の日本に何が起こっていたのだろう。ワクワク〜
(記事「2200年前の兵士と馬に会いに / 京都⑤」)
花の窟(はなのいわや)神社
国道42号を走ってると、花の窟神社が。
日本最古の神社と伝えられている花の窟神社には、「伊弉冉尊(イザナミノミコト)とその子「軻遇突智尊(カグツチノミコト)」が祀られています。
視界に入りきらないほどの巨岩が御神体。
火の神であるカグツチを産んだ後、火傷を負って死んでしまったイザナミが葬られた場所がこの「花の窟」であるとされています。
黄泉の国と接する場所。
イザナミの子である7つの自然神(風、海、木、草、火、土、水)を表す7本の綱を束ね、170メートルもの長い一本の綱を作り、その綱をイザナミの御神体である岩と境内の南側にある神木の間に渡すという「お綱かけ神事」。
熊野三山。本宮は樹木、新宮は巨岩、那智は大滝という人智を超えた自然を祈りの対象としてきた熊野。
木にも石にも水にも記憶が記録されているように感じる。
日立&京大が発表していましたね。石英ガラスが、3億年を超えるデータ保存と1000℃の高温にも耐え得るという優位性を持つ、と。
(記事「鉱物に会いに。 プラニー商会と東京サイエンス」)
ひとつみると次の扉が開くようにどんどん奥に分入ってみたくなる。深い深い熊野でした。
続く。