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閲覧注意。容赦のない弱肉強食の世界、映画「冷たい熱帯魚」

10年前の作品になる園子温監督「冷たい熱帯魚」。公開直後にも見ていたけれど、今回機会があって再鑑賞。アマプラにて鑑賞が可能になっています。(ただしR指定つき、18歳以下は鑑賞禁止作品)

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社本(吹越満)は娘である美津子と後妻である妙子(神楽坂恵)との3人暮らし。小さな熱帯魚店を営むも娘と後妻の仲は険悪で、なす術もなく冷え切った家庭で寡黙に細々と暮らす。
そんなある日、美津子がスーパーで万引きを働いたと店長から呼びつけられる。警察に突き出すと息巻く店長をなだめたのは、大手熱帯魚店「アマゾンゴールド」を営む村田(でんでん)だった。
陽気で気のいい村田は独特の話術で社本家を取り込み、気づかないうちに社本は地獄の入り口へと誘われていた。

実際にあった事件「埼玉愛犬家連続殺人事件」をベースにしたフィクション。本作では犬と熱帯魚という相違はありつつも、詐欺まがいの商売をしていた夫婦が自身の罪の露呈を防ぐために関係者を次々と殺害していたと言うこと、その殺害方法などに事実を多く取り込んだと思われる作品である。

プロローグ

社本は言わば気の小さな小市民で、星好きというロマンティックな面を持ちつつ、幸せな家庭を夢見て再婚したものの全く正反対の現実に、とにかくじっと息を殺して時間が過ぎるのを待っているような男。

そんな社本家に取り入ったのが、お調子者で金回りの良さそうな村田。派手なスポーツカーを乗り回し、ずいぶん年下で色気ムンムンの女を妻にし、営んでいる巨大な熱帯魚店では若い女性を何人も雇う、いわゆる成金。
社本家の弱みを次々と見抜き、反抗期の娘を預けてほしいと申し出、共同で大儲けしようと投資話を持ちかける。そこに行き着くまで1日と半日ほど。

時折挟まれる日付と時間のテロップが村田という男の巧みな人心掌握術を炙り出す。

村田はぽんぽんと調子のいい言葉を吐き、大きな声で笑い、愛嬌のある顔で身軽に動き回って笑わせる。ところが一転、ぐっと顔が歪んだと思ったら今度は大声で口汚く罵倒。怒涛に繰り出される言葉は憎悪と悪意に満ちている。しかもそれは不気味なほどに自分本位で論理破綻しているが、村田自身がそのことに全く気づいていない。

見えてくる男と女の世界

この映画では胸が悪くなるほどに、男と女が分断されている。女は男の言いなりになり、何も考えずにただ強いものに巻かれて態度を簡単に翻す。善悪を考えようともせずに、ただ従う。
これは長としてふんぞりかえり、大声で怒鳴り散らし、不機嫌を隠そうともせずに時には暴力でいうことを聞かせるワンマン家長、それに黙って従う女という図が思い浮かぶ。皆とは言わないまでも、日本が長らく患ってきた家庭の基本パッケージで、家長が一番偉く女子供はそれに従う。男1人で家族全員を養えていた時代はとっくに破綻していても、男は優れていて偉く、女はそれに従属するものといった幻影を引きずっている世代は今もいるように感じる。

おそらく厳しく尊大だった父親の歪んだ過去から生み出された村田の処世術は、男であることを必要以上に誇示し、去勢を張り続けた挙句、異様な世界に閉じこもる結果となった。

歪んだ世界の、歪んだ価値観による、著しく醜い世界。ただそこに巻き込まれても、手を汚されても、何も反論できず言いなりになるしかない社本。

考えろ、そして反論しろ。

頭を真っ白にして、目の前のことしか見ないで、喉元で声を押し殺してただひたすら時流が変わるのを待つ、そんな社本が行き着いた先はどうだ。

これは異様な事件に名を借りた全ての人々への警告、そんなふうに思う。

親から子どもへのメッセージ

ラストに関して、後に園子温監督は再編集するなら後半の20数分はカットするような旨の発言をしているようだ。

ただ私自身解釈するとするなら、最後に美津子のカットで終わるということは、虐げられ親世代が作り出した酷い世界を乗り越えて新たな時代を作るという意味で、未来への希望を示唆していると感じた。

細胞や身体の機能からいけば、人類で最も優れているものは子供。親世代は子育てを終え、知識や知恵を次世代に送ってからは地球から退場するのみ。
もしそこで負の遺産を授けられたのであれば、子供は逞しくそれを乗り越えリセットしていくことが望ましい、そんなメッセージを読み解いた。

園子温監督作品では、親から何らかの形で精神的苦痛を受けた人々のその後の人生を描いたものがいくつか見受けられる。実際にはトラウマや記憶は簡単に消せるわけではないけれど、何世代かを超えることにより人々がより優れた生き物へと変貌していくことは人類の持つ独特のしぶとさ、なのだと思う。

久しぶりに見たけれど、公開当時に見た印象とはまた別の感想を持った。監督が当時どんな気持ちを込めてこの作品を作ったのか推測するしかないけれど、今だからこそ響くことが多くあるように思う。
年月を重ねても風化しないメッセージがある作品というのは、時代を超えてさまざまな解釈をこれからもされていくに違いない。


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