「ミニマリスト」と「児童の自治的活動」
ある本を読んでいたら、
「身のまわりのモノの数を限界まで減らして暮らす『ミニマリスト』は、一見、欲を捨てているように見えるが、その実、「自分の周囲を思い通りにコントロールしたい」という点で欲を追求しているのと何ら変わりがない。」
(超意訳)
というようなことが書かれていて、なるほど〜、と思いました。
そして、わたしは「児童の自治的活動」を連想しました。
「『児童の自治的活動』を追及する良心的な先生方は、一見、児童の力を信じて任せているように見えるが、その実、「児童を思い通りにコントロールしたい」という点で欲を追求しているのと何ら変わりがない。」
つまり、『学び合い』でも「クラス会議」でも、先生の理想通りのスジで、子どもが協力して自分たちで決めて実行してくれることを期待しているわけです。
学校という教育の場で、「指導」しつつ「子どもの力を信じて任せる」とはどういうことか。
このパラドクスに教員自身が自覚的であるかどうかが、「自治的活動」実践の質を大きく左右することになると思います。
自戒を込めて。