物思いにふける秋の夜長
楽しいこと。息詰まること。
いろいろと思うことのある日々。
溶けるように暑い夏が過ぎ、
どっしりとした秋冬がやってきた。
冬生まれだからか、やっぱり肌寒いくらいが落ち着くのだ。
寒いからこそ、温もりが心地よい。
寒いからこそ、人肌が恋しい。
なんだか淋しいような気がするのに、
人に会うのが億劫で、引きこもりたくなる。
けどやっぱり淋しい。
そんなめんどくさい自分になっている今日この頃。
そんなまとまらない気持ちを、まとまらないまま形に残しておく。
完売メニューを復活させた話
相変わらず、カフェへの情熱が尽きない私。
お目当てのメニューが完売してたり、座りたい席に座れないと全力で落ち込む。良い大人なのに。
だからこそ、大体開店とともに、人気店は開店前から並ぶのももはや当然のこと。けれど、友人の都合などで出遅れてしまう時もある。一人で行けるようなカフェは全然単独入店するのだけど。
今日のカフェは、お花のピザが有名な井の頭公園内のお店。昼過ぎの訪問になってしまったので売り切れと言われてがっかり。
出遅れてるくせに現実を受け止められず、「何時頃に売り切れましたか?」「開店前に来れば食べられますか?」などと店員さんに根掘り葉掘り質問攻めしてしまう大人気ない私。しかしそんな必死な客を見て、「ちょっと待っててください」と店員さん。
少しして戻ってくると、「まだご用意できます」とのこと。どんな魔法を使ったんだ…?と思いながら、現金にも一瞬で機嫌を直す私。まるで駄々をこねていた子どもに飴を渡したら泣き止んだみたいに。
このお店の店員さん方、本当に皆さん優しくて神がかっていた。(おそらく半数はバイトであろうに) 上記のような態度を改めねばなと思いつつ、カフェへの熱が邪魔をする。まるで恋をしているかのように、周りが見えなくなってしまう。そのくらいに、盲目なのだ。
それにそんなに必死感を出さなかったら、このピザにありつけなかったかと思うと、複雑な気持ちになる。とりあえず、優しい店員さんに大感謝。(まだ若い男の子だった)
まだ関係が浅いけど仲良くなれそうな予感
最近SNSで知り合い、数回遊んだかわいいお友達がいる。とても美人さんなのに気取ってなくて、むしろ天然で、謙虚でおもしろい。
返信は早いし、約束事にも忠実でノリもいい。とっても良い子と出会えた…!と幸せ気分な私。
そんな彼女と、こないだピクニックをした。私が飲み物やピクニックグッズを持っていったので、フード代は払うね!と爽やかに奢ってくれた。(優しい、、良い人、、天才、、)
けどちょっとびっくりしたのが、私が重い思いをして持って行ったシャンパンを勝手に開け始めたことだ。! 開け方がわからない、と調べる私の横で、さくさく針金を取る。開け方がわかってるならいいけど、わかっていない様子。
結局力ずくで開けられたから良いものの、もしそれで開かなかったらちょっとイラっとしたと思う。
びっくりしたことはもう一つ。自分が使ったお手拭きを私の紙袋の中に勝手に入れてたこと。見つけた瞬間、「??」となった。ゴミ箱は近くにあるし、そこまで行くのすら面倒なら「ゴミ袋ある?」と聞けばいいし、たとえ紙袋でも人のものだったら普通「ここに入れてもいい?」くらい聞くものでは…??
これまで勝手にゴミを入れてくる人に出会ったことはなかったので軽く衝撃だったけど、まあ人の感覚はそれぞれと言えばそれぞれ。そんなに汚いものでもなかったし。と自分を宥めつつ、やっぱり価値観が全て一致する人なんていないのかなあと。
ピクニックは楽しかったし、その子との会話も楽しい。なんでも笑顔で付き合ってくれるし、その気になった点以外は普通に天使。幸せなんだけど、ちょっと違和感。そんな複雑な感情。
念願のクリスマスディズニー
ピクニックの翌日は、4年くらいの付き合いのお友達とクリスマスディズニーへ。去年から行きたいねと言っていて、念願だった。ただこの子とは、付き合いが長い分少し衝突もあって、半年くらい距離を置いていた。
彼女の仕事が最近忙しいこともあり、不機嫌なことが増えたからだ。前はとても仲が良かったけど、最近は少し居心地が悪くて。少し心配もありつつ迎えた当日。
意外にも、彼女はこの日ご機嫌で、普通にめちゃくちゃ楽しい一日が過ごせた。延期した分、ピクニックの翌日になってしまったけど、お陰で天気は最高。
まだ11月だったからか、予想したほどの混雑もなく。食べたいフードも全部食べれて、アトラクションもそれなりに楽しめた。
この子との仲が拗れた期間に、何人か新しい友達ができて、その子達とつるんでいたのだけど。みんな優しい子達で、不機嫌になったりしない安心感があった。
けど、人間関係も、その一日が楽しくなるかどうかも、ある程度は自分次第、相手次第なこともあるけど、結局わからないなあと思うのだ。
歳を重ねた家族
当たり前に一年が経ち、当たり前にクリスマス、大晦日、お正月がくる。そんな一見毎年同じことの繰り返し、変わり映えない日々でも、私たちは確実に歳をとっていて。
ふと両親の顔を見ると少し老けたなあと感じる。自分もだけど。そんな家族と過ごせる当たり前の日々が、当たり前に新しい年を迎えられることが、とても幸せだなあと思う。
自分がもっとお金を稼げたら、もっと立派な仕事をしていたら、結婚して子どもを産んでいたら、と考えることも時々あるけど、何よりも一緒に過ごせる時間がとりあえず幸せだ。
今のところ、家族を失うことが怖すぎるし、考えたくもない。結婚の予定もないアラサーとしては、不安がないと言ったら嘘になるけど、かと言って不安がったところで、焦ったところで、何かが上手くいくわけではない。
恋活のために行動した時期もあったけど、行動してわかったことは、行動したからって報われるわけではないし、結婚だけが幸せの形ではないこと。寂しさや不安に惑わされず、結婚したいなと思える人に出会えたら結婚すればいいだけの話というのが結論。
子どもの問題もあるけど、そもそも結婚したいと思う人以外との子どもなんて欲しくない。結婚したいと思う人としかお付き合いしたくないし、心から愛した人以外との子どもは望まない。むしろそうでない人と一生家族としてやっていく方が不安極まりない。
幸せの形は人それぞれだけど、少なくとも私の結論はそうだ。そんな夫婦になれた人たちは素敵だなと思うけど、だから自分もそうならなきゃとは思わない。人それぞれ。本当にそれだけ。
29歳ハラスメント
YouTubeでTBSの「29歳ハラスメント」企画の抜粋を試聴したけど、頷きっぱなしだった。若新さんの考察には賛否両論あるのかもしれないけど、社会的にも多分少数派であろう私は俄然肯定派だ。
人の数だけ幸せの形があり、愛の形があり、人生の歩み方がある。それがもっともっと当たり前に受け入れられる国になれるように。みんながもっと自分を知って、自分を好きになれて、幸せに生きれる世界。
足を引っ張りあわず、競争せず、数字を気にせず。もちろん理想を語るのは簡単だけど、実践するのは難しい。社会を変えるのは困難で、挫折したくなる。
実際、社会を変えたくて、変えるなら子どもたちからと思って教育に興味を持った。けど現場に立ってみると、想像以上に大変で、そんな野心はあっという間に吸い取られる。せめて底なしの体力があれば、もっと貢献できたかもしれないけど。無力な自分が惨めで、悔しくて、もどかしい。
それでも、子ども達と触れ合える日々は幸せで。この子たちは未来の希望で。私の存在なんてちっぽけなものかもしれないけど、彼らが少しでも生きやすく、幸せに生きていける土台作りを手助けしたい。
そんな仕事に携われていることが、一旦ありがたいことだ。
まとまらない思いたちを、まとまらないまま書き連ねてみたけど、これらがこのところ私の心の中にいるオハナシたちだ。
課題もあり、願いもあり。そんな風に、抽象的にぼんやりと、物思いにふけれるのも、また秋の良いところだよね。