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自死遺族となって強制的に始まった人生2.0を受け入れるには

るりがあの世へ行ってから勝手に始まってしまった、私の新たな人生2.0 に心が追いつかないでいる。

今後の人生を「自分の人生」として生きていくためにはどうしたらいいか。それには自死遺族というアイデンティティーを受け入れなければならない。

勇気と覚悟がいることだ。今の私はまだ心が定まっていない。るりが死んでしまったことはまだ信じられないし、信じたくないし、自死遺族であることは隠して、息を潜めて生きている。

何が怖いというのだろう。 一番大切なものをすでに失ってしまい、本当はもう怖いことなんてないはずなのに。るりを失うことに比べれば、世間からどう見られようと大したことではないはずなのに。私はこんな状態になってもまだメンツを保ちたいらしい。

しかし、隠していることで、るりと私の尊厳を自ら失わせているのではないかと感じるようになってきた。

るりは悪いことをして死んだのではない。病気と闘い、懸命に生きて、死ぬほど追い詰められるまで生きてきた。なのに、その死を隠していることで、私はるりを「悪いことをした子」、自分自身を「子を自死させた最悪な毒親」という立場に、自ら追いやってしまっているのではないか。

そうさせているのは自分自身なのかもしれない。私自身がこれまでの人生において、自死した人は本人や家庭に大きな問題があるんだろうと考えていたから、その冷たい目線を自分に向け、自らを苦しめている。そして、るりの尊厳も、自分自身の尊厳も、ズタボロにしている。

今振り返ってみると、過去の自分は、自死者や自死遺族に偏見を持っていたなあと思う。

るりは、とっても素晴らしい人間だった。誰にもやさしく寛容で、フェアで、よく考え、行動し、いつも一所懸命だった。そしてちょっと間抜けでどんくさいところがすごく愛らしかった。私はるりのことを誇りに思う。最後までよく闘病したね、頑張って生きたね、と。命を無駄にするような子ではない。ギリギリまで生きてくれた。

家族の問題は確かにあった。るりは私の教育が厳しすぎると感じていた。自分では大切なことを教えているつもりだったけれど、やり過ぎてしまったことは本当に申し訳ない。また、るりの父親は不倫中に相手との間に子どもができて、重婚のような状態を経て、るりと私を捨てた。父親を慕っていたるりの心にそれが影を落としたことは間違いない。

ただ私は、やり方が間違っていたかもしれないけれど、一生懸命、愛を持って、心血注いで子育てをしたということははっきり言える。我が家はどんな家庭よりも会話の多い親子だった。闘病期間中には特に深い話もできて、るりは私がるりを愛していることは知ってくれていた。ちゃんと、母娘として繋がっていた。そのことに、もっと誇りを持ちたい。

るりが生きていれば今ごろ大学生だったのにとか、来年は成人式だったのにとか、ない未来ばかりを考えるのではなく、るりが生きた18年弱の人生をちゃんと見て、しっかりよく生きたね、立派だよと言えるようになりたい。

同じく、るりと共に生きた18年弱の私の母親としての人生を、よく頑張ったね、いいお母さんだよと自分自身で言ってあげられるようになりたい。

そうやって、るりと自分自身の尊厳を回復したい。そして、いつか、自死遺族であることを受容し、そのことを恥じずに公表できたら、新たな人生2.0を自分の人生として生きていけるようになるのかもしれない。

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