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プラットホーム(017)『クリスマスの意味』⑧
<イエス・キリストと私たち>
2000年前に、まだ生まれていない21世紀に生きるわたし達ひとりひとりを見つめ、その罪を贖うために命を賭けてくださった、イエス・キリストという人がいました。罪を重ねるしかない私たちを救うために、一片の罪もないのに、私たちの代わりに罪人と定められ十字架で死んでくださった、イエス・キリストという人がいました。
イエス・キリストは私たちの救い主です。
世界
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』⑦
<救いへの道>
イエス・キリストによって開かれた「救いへの道」とは、どんな道でしょうか。
(1)真の愛に感動する
神様は、ご自身の御子の命を差し出され、そして御子イエス・キリストは、父なる神様に従い、見返りを求めず、自身の命を犠牲にしました。これほど大きな愛があるでしょうか?
イエス・キリストによって示された「神の愛」。この愛を目の前に突きつけられ、この愛を理解した者は、感動
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』⑥
<キリストの救いの手段>
聖霊によって、ダビデの家系のヨセフの婚約者である、乙女マリヤに宿り、ベツレヘムで生まれたイエス・キリスト。
この、イエス・キリストがどのようにして、人類を「悲惨」から救い出してくれたのかというと、神様の本質である「愛」を示されました。
(1)イエス・キリストは愛を説きました。
イエス・キリストは人々に「神様を愛し、自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』⑤
<神様の解決策>
「神様との交わりの喪失」「神様の憤りとのろい」という、私たちが置かれた状況、『悲惨』。
でも、これらの『悲惨』の状態を神様はそのままにしてはおかれません。神様は人類が堕落したと同時に、ある「約束」を私たちに与えてくださいました。それは、「この状態を解決してくれる『救い主』を送る」という「約束」です。
そして、神様は、この「約束」を与えられてから、実に4000年の
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』④
<原罪>
人類が「堕落」によって陥った「罪」と「悲惨」。
ここでいう「罪」とは、『的外れの生き方をする』ということです。それは、「神様から目をそらし、神様に従わない」という、『「生まれながらの性質」の腐敗』を言います。これを「原罪」といいます。
わたし達が犯してしまうあらゆる違反、犯罪、問題が、この「原罪」から生じます。この「原罪」は、普通の出産によって生まれる私たちに、遺伝する
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』③
<私たちにキリスト(救い主)が必要な理由>
クリスマスの主役はイエス・キリスト、救い主イエスです。
ところで、どうして、人類には救い主が必要だったのでしょうか?
救い主というものが、どんな時に必要なのかというと、考えてみるに、それは自分の力ではどうにもならない、どうにもこうにも解決できない問題をかかえてしまった時ではないかと思います。でも、そんな問題って身近にあるでしょうか?
プラットホーム(017)『クリスマスの意味』②
<クリスマスの意味>
クリスマスというのは、どうしてこんなに、世界中で大騒ぎをするのでしょうか。それは、もちろん「世界規模の出来事」をお祝いするからです。しかし、私たちは、ただムードに流されてイベントの中に埋もれてしまうのではなく、その「世界規模の出来事」を正しく知って、お祝いに意義をもって参加すべきだと思います。なぜって、私たちにとって、そこまでする価値がクリスマスにはあるからです。
プラットホーム(017)『クリスマスの意味①<はじめに>』
みなさん、メリークリスマス!(少し早いけれど・・・)
今月は、日本でも世界中どこでもクリスマスのお祝いをします。
毎年あたりまえのように、12月24日のクリスマス・イヴ、25日のクリスマスに向かって、11月位から街中が大イベントムードになります。このクリスマス、本来どのような意味があるのでしょうか?
『クリスマスの意味』
これから、これをテーマに何回か渡ってお話していきたいと
プラットホーム(016)『語り継がれるべきクリスマスの意味』
話材としては少し早いかもしれません。最近では『ハロウィン』がその前にありますしね。しかし、僕らクリスチャンにとっては、そろそろ『クリスマス』に向けての準備に取り掛かり始めます。
2年前のクリスマスに、僕の属するゴスペルユニット『GRAFT』は、新潟の保育園でライヴ(厳密には賛美集会です)をしたことがあります。
この日ばかりは、歌のお姉さん、お兄さんでした。まい子お姉さんと、篤お兄さん
プラットホーム(015)『ゲームの世界と現実の世界』
僕は、韓国に来る前は、新潟に住んでいました。そこでは縁あって、ある中学校で剣道部のコーチをしていました。そんなある日の稽古の後、顧問の先生と話をする機会をいただいたことがありました。
その時の話題は、子供たちの「試合に勝利する、という目標達成意欲」と、僕らコーチ陣の「勝たせてあげたい思い」の温度差について、でした。
思うに、義務教育の一環としての部活動、という見方は確かにあるとは思いま
プラットホーム(014)『幸せになりたい』
私たちは、多かれ少なかれ「幸せになりたい」と願い生きています。
しかしながら、人々が思う「幸せ」は千差万別です。ある人には幸せでも、他の人にはさほどではない、ということも多々あります。人間にとって、本当の幸せとはなんでしょうか。全人類にとって「幸せ」について共通の認識を持つことは可能でしょうか。
クリスチャンであるならば、共通の認識をもつことは可能であります。それは、罪と悲惨からすく
プラットホーム(013)『イエス様と似た者とされるプロセス』
クリスチャンである僕は、ほぼ毎日『祈り』の時間を持ちます。『祈り』は、『僕と神様との交わり』です。
朝早い時間の祈りは『早天祈祷』といいます。この時間は本当に恵みに満ちた時間であることが多いのですが、1年半くらい前に、特に恵みに満ちた時間を与えられたことがあります。
ある女性信徒のための祈りを始めようとしたその瞬間、イエス様が寄り添ってくださるのを感じました。
すると、イエス様
プラットホーム(012)『どこで永遠に生きるのか?』
http://news.mynavi.jp/news/2014/09/09/120/
このような記事を見る度に思います。
人間は、肉体の死が終わりでないことをちゃんと知るべきだと。
肉体の死で自分の人生が全て終了、という前提で生きていると、自分の欲だけで生きようとする時間が生じます。今が良ければいいんだ、という思いに駆られる瞬間がやってきます。このような犯罪もなくなることはないでしょう。
プラットホーム(011)『私は知っている』
『私は知っている』
時として、これはとても危険な認識です。知識を得るということは、喜びであるし、尊いことであると思いますが、人と比べて、「人の知らないことを、私は知っている」という風になると、傲慢になりかねません。ましてや、それを人に伝えたり、教えたりする立場になった時、心の姿勢は重要です。
ビジネスの場で、人に、何かを伝える時、「教えてあげる」ではなくて、「聴いていただく」という姿勢