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善財童子 - ぼくらが旅に出る理由・仏教は心にファンタジーを抱いた少年の青春物語


仏像には、少年の像、童子の像がいくらかあります。
なかでも、有名なのは、善財童子ではないでしょうか。愛らしい姿も相まって、善財童子は人気者のひとりです。

西大寺の善財童子は、灰谷健次郎の小説『兎の目』に登場し、有名になりました。文字通り、兎の目のようなクリっとした目をした童子です。

鳥獣戯画で有名な京都は高雄の高山寺にも、善財童子が鎮座しています。
高山寺は、建永元年(1206)に明恵上人が創建した華厳宗のお寺で、その明恵上人が愛したのが、華厳宗に登場する善財童子です。
石水院 廂の間の中央にポンと置かれた善財童子は、広々とした空間を今にも走り出しそうな躍動感にあふれた姿をしています。

あの円空も善財童子を彫っています。円空らしい、素朴な善財童子です。
岐阜県・高賀神社でつくられた十一面観音菩薩立像、善女龍王像、そして善財童子像の三尊像は、現存する円空仏の最後のものです。これを残した3年後、円空は64歳でその生涯を終えました。
1本の木を3つに分けてつくられたこの三尊像は、十一面観音菩薩の台座に善女龍王像と善財童子像を載せるように彫刻面をあわせると、元の丸太を復元できるそうです。
木の中に仏の姿を見た、円空の仏づくりを象徴するものです。木の中に、すでにこの三尊が宿っていた。円空はそれを取り出しだけ。そう言いたくなるような、円空の素直で謙虚な心持ちが生んだ、素晴らしい仏像です。

奈良の法華寺では、3月に「ひな会式」がおこなわれます。そこでは55体の善財童子像が並べられます。これがひな人形の段飾りの原形とも言われています。

西大寺の善財童子は、灰谷健次郎の小説『兎の目』に登場する
京都は高雄の高山寺の善財童子。広々としたお堂の中央で、今にも走り出しそうな姿である
ハルカス美術館に出品された円空仏の善財童子(左)。一本の木から彫られており、三体を組み合わせると、ひとつになる
奈良・法華寺で3月におこなわれる「ひな会式」では55体の善財童子が並べられる

渡海文珠の先導役を務める善財童子

有名なのは、なんと言っても、安倍文殊院の善財童子。
安倍文殊院では、獅子に乗る文殊菩薩をリーダーとして仏教を広める旅の途中で雲海を渡る「渡海文珠」のシーンを、仏像を使って立体的に展示しています。
このチーム渡海文珠は、獅子に乗った文殊菩薩を中心に、向かって左に最勝老人と仏陀波利、向かって右に獅子の手綱を持つ優填王と先導役の善財童子で構成されています。このメンバーで雲海を渡り、説法の旅に出かける、というのが「渡海文珠」です。
善財童子は、このグループの先導役です。
文殊菩薩に呼び止められて、文殊菩薩を振り返っているシーンが多いですね。
全員、国宝。全員、快慶作。快慶の後期の傑作です。鎌倉時代の、筋肉とかがリアルについている仏像ですね。
ちなみに、安倍文殊院の文殊菩薩は日本最大で、7メートルもあります。
別のアングルから見るとおもしろいんですよ。善財童子は文殊菩薩を見ていることになっているんですが、文殊菩薩が乗っている獅子と見つめあっているように見えるんですよね。

醍醐寺には「渡海文珠」の図会が残されていますが、安倍文殊院の仏像群は、まさにこれの3D化です。

奈良・安倍文殊院の文殊菩薩を中心とする渡海文珠のシーン。善財童子はチームの先導役である
チーム渡海文珠の善財童子を別のアングルから
京都・醍醐寺にある渡海文珠。安倍文殊院の仏像群は、この図会の3D化

善財童子の物語は、青春の成長物語

「華厳経」というお経の最後に、「入法界品(にゅう・ほっかいぼん)」という物語が書かれています。
スダナという名の少年が仏教に目覚め、文殊菩薩の勧めにより、53人の善知識のもとを次々に訪ねて教えを乞い、その旅の最後に弥勒菩薩や普賢菩薩に教えを受けて、最後の最後には文殊菩薩の教えも受けて、ついには悟りの世界に入るという物語です。

善財童子はサンスクリット語でスダナ・シュレーシュティ・ダーラカといい、「善財という長者の子」という意味です。
豪商の家に生まれ、彼が胎内に宿ったときから財宝が家中に満ちたことから、「善財」と名付けられました。
その少年が仏の道を求めて、次々に仏教の先生を訪ねて法を求め歩きます。

善財少年は文殊菩薩に励まされて、南へ南へと旅を続けます。
旅の最中、善財少年は53人のさまざまな善知識たちに会い、教えを乞います。
「善知識」とは、自分のことをよく知っていて、正しい道を説いてくれる人、というほどの意味です。
人々を仏の道へ誘い導く人で、多くの場合は、徳の高いお坊さんなのですが、善財童子の物語に出てくる善知識は、高僧ばかりではありません。
53人の善知識のなかには、菩薩や修行僧だけでなく、女神や仙人、ヒンドゥー教やジャイナ教のバラモン(修行僧)、国王、船頭、大工、医者、スパイスを売る商人、麝香を売る商人、子ども、遊女なども含まれており、仏法というものは、職業や身分、年齢や性別などには関係なく、いかなる人からでも学びうることができると、出会う人々を通して、象徴的に示しているわけです。

華厳経の最後に収められた「入法界品」
53人の善知識に会い、教えを乞う、善財童子の青春物語
53人の善知識に会い、教えを乞う、善財童子の青春物語
53人の善知識に会い、教えを乞う、善財童子の青春物語

少年が仏の道を求めて、次々に仏教の先生を訪ねて法を求めていく、いわゆる少年の成長物語です。あまたある青春物語の原型、プロトタイプですね。
村上春樹の『海辺のカフカ』がそうだし、トム・ソーヤーやハックルベリー・フィンの物語もそう。ジブリが映画化した『ゲド戦記』もそう。チェ・ゲバラの『モーターサイクル・ダイアリーズ』もそう。
ロードムービーであり、出会いと別れがある、青春の成長物語です。
見終わった後に、僕たちの心持ちは、「one step beyond」、つまり、一歩先へ進んでいるような、そんな物語です。
善財少年は文殊菩薩に励まされて、南へ南へと旅を続けます。

アルゼンチンに生まれたゲバラは、23歳のとき、中古のオートバイで南米大陸縦断の旅に出た。若き医学生だったチェは、ハンセン病の専門家などを訪ね、世界の現実を知っていく。

最後は、普賢菩薩、弥勒菩薩、そして文殊菩薩と出会い、説法を聞くことで、美しく清浄な世界に近づいていきます。
これは、悟りを開くことで知ることになる「真理」が、美しく清浄なものであるとされているからです。

仏教は最初から多様性を尊重していた

この「美しさ」というのは、「正しさ」と同じ意味を持ちます。
たとえば、
人の主観ではなく、宇宙の、仏の視点から見ると、
この花は正しい、この石ころは正しくない、という言い方はあり得ないわけです。
宇宙から見ると、存在することにおいて、花も石ころも正しいわけです。存在することにおいては、これ以上ないくらいに正しい。
同様に、三毛猫は美しい、でもドブネズミは美しくない、という言い方もあり得ないわけです。
宇宙から見ると、生きとし生けるものは、生命は、等しく美しいわけです。
風の谷でナウシカが言ったように、「腐海の生きものも王蟲も、美しい」わけです。
ブルーハーツが言ったように、「ドブネズミは美しい」わけです。

お釈迦さんが生まれたとき、
「天上天下唯我独尊」
と言い放ちました。
人は誰しも、この世でもっとも尊い
という意味です。

天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊。どの人も、ひとりひとりがこの世で最も尊い存在である

善財童子が教えを乞うた53人のさまざまな属性の人たちに象徴されるものは、
「花も石ころも等しく正しい、三毛猫もドブネズミも等しく美しい」に通じています。
つまり、仏教は、お釈迦さんが生まれた最初から、「多様性の尊重」を謳っていたということです。

お釈迦さんは今から2500年前に生まれましたが、カーストによって身分が厳しく固定されていた時代に、そのことに気づきました。
この時代に、そんなことを広めようとする人物は、為政者にとっては、危険人物以外の何者でもないでしょう。社会を根底から揺るがしかねない、テロリストみたいなものです。
ガリレオは、天動説があたりまえの時代にあって、地動説を曲げなかったせいで、神を冒涜する異端者のレッテルをはられ、職を失い、軟禁生活を強いられ、失意のうちに病死しました。

お釈迦さんもまた、自らの信じる道を進んだわけです。
2500年経って、時代はようやくお釈迦さんに追いついた、ということです。
このように、善財童子は、旅をするなかで、さまざまな人と出会い、出会いを通じて、悟りを開きます。

仏教には、旅をすることで真実に辿り着くロードムービーな物語が随所にある

僕が仏教に惹かれるのは、旅をすることで真実に辿り着く、という物語が随所に出てくる点です。

そもそも、お釈迦さんだって、カピラヴァストゥという国の王子でありながら、人生の真実を追求しようと、城を出ます。「四門出遊」というエピソードに、そのことが書かれています。
城の東西南北の4つの門から外に出て、それぞれの門で、老人に出会い、病人に出会い、死人に出会い、修行僧に出会い、その苦しみを目の当たりにして、人生に対する目を開き、出家を決意して、悟りへの道を追求します。

国の王子だったゴータマ・ブッタは、城を出て現実を目の当たりにし、出家を決意した

ファンタジー「西天取経」を抱き続けた三蔵法師の青春

旅をした善財童子やお釈迦さんを思うとき、僕は、玄奘三蔵のことを思い出します。
孫悟空の「西遊記」で有名な三蔵法師でおなじみの玄奘三蔵は、自らが修行し暮らす唐の長安には、もはや自分が求める答えはないと思い至り、当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、仏教の原点を求めて、シルクロードを西へ西へと歩みを進めました。
27歳のときのことです。

僕が仏教の物語に心惹かれるようになったのは、たぶん、三蔵法師の物語に触れたことがきっかけだったと思います。

玄奘三蔵を突き動かしていたエネルギーは、智への飢え、胸の痛くなるような智への渇望でした。
唐にあった経典のすべてを、彼は読破しました。経典を読めば読むほど、疑問は玄奘の胸に湧き上がってきたことでしょう。1を知れば3つの疑問が湧くように。
この経の考え方はどうなのか、どう解釈したらいいのか、次から次へと、飢えた獣のように経典を読み漁った挙句、もうこの長安には自分の疑問に答えてれる経典や人間はいない、という結論に辿り着きます。
唐で手に入れた経典は完全本ではなく、欠落している箇所がある。また、翻訳が不正確だ。
さらには、まだ訳されていない経典が何万とある。
どうすればいいのか?
天竺に行くしかない。
それが、玄奘三蔵の出した結論でした。
天竺になら経典が揃っている。その経典を、天竺の言語で読む。仏教の開祖であるゴータマ・ブッダの生まれた土地へ行く。そう決めたとき、彼は激しく身震いしたのではないかと思います。
ひとりの青年がなにものかに突き動かされ、覚悟を決めた、燃えるように熱く美しい瞬間が、あったはずです。
視線を遥々と西の空の向こうに向け、「不東」、つまり経典を手に入れるまでは東(中国)へは帰らないと、27歳の玄奘は決意します。
国禁を犯しての密かな出国でした。

ゴビ砂漠を越え、タクラマカン山脈を超えなければなりません。
今でも、途中まではジープで行き、道を塞ぐ大岩をダイナマイトで砕き、途中からは馬に乗り、氷河から流れ出た濁流に流されずに命綱をつけて渡り、さらに徒歩で行かなければなりません。
ザイルやハーケンを使い、トラヴァースをし、場所によってはロック・クライミングでよじ登ります。氷河が溶けた川に落ちれば、その冷たさで5分と持ちません。
10人中3人しか生き残れないと言われたのが、玄奘が挑んだタクラマカンの厳しい山です。
アクシデントがあれば、日本人も中国人も、現代人も唐の時代の人々も、金持ちも僧侶も、等しく死にます。今現代ですら、そういう場所です。
この、自然の中での平等という、とてつもないリアリズムのなかで、玄奘三蔵という男のすごさは、このリアリズムのただなかにあって、「西天取経」つまり、天竺に行き経典を持ち帰るというファンタジーを、常に、抱き続けたことにあります。
このことを思うと、胸が熱くなりますね。
青春のすごさですよ。
若さだけが持つ特権のような真っ直ぐさが、ここにはあります。

厳しい自然のゴビ砂漠、タクラマカン山脈を超えるなか、三蔵法師は「西天取経」というファンタジーを抱き続けた

17年、3万キロに及んだ旅路の果てに、玄奘三蔵は、経典657部や仏像などを持ち帰りました。そのなかには、あの「般若心経」もありました。
密出国から17年後、玄奘三蔵は43歳になっていました。
彼がすごいのはここからで、持ち帰った膨大な経典の翻訳に、余生のすべてを捧げたことにあります。翻訳のために新しい漢字すらも、彼はつくりました。62歳に亡くなっているので、帰国後の20年を翻訳に捧げたわけです。

日本に渡ってきた仏典のほとんどは、この、玄奘三蔵が翻訳したものです。
そのなかには「法相宗」という宗派、経典があり、これが日本に伝わり、法相宗の大本山として奈良に興福寺薬師寺が建立されます。
薬師寺には、平山郁夫画伯による「大唐西域壁画」が収められています。平山画伯が玄奘三蔵の旅した地を実際に訪れ、17 年の旅を追体験して描かれたものです。 製作期間は、取材を含めると約20年に及び、スケッチだけで4000枚もの絵を描かれました。

薬師寺に収められた平山郁夫画伯による「大唐西域壁画」

空海が抱いたファンタジー

空海はどうでしょう?
15歳で都に上り、大学(興福寺などのお寺さんですね)に入った空海は、そこで挫折を味わいます。入学した大学は官僚を養成する学校で、「困っている人を助けるには、出世のための学びではなく、仏教が必要」と考え、仏の道に進み、四国や吉野の山々を巡りながら修行を重ねます。
そして眼前に大海原が広がる室戸岬の洞窟で座禅を組んで修行していたとき、明けの明星が飛び込んできて、口から身体内に入り、宇宙そのものと一体化するという体験をします。
この明星は、虚空蔵菩薩の化身と言われています。つまり、天啓を受けたわけです。虚空蔵菩薩とは「広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った」菩薩と言われる存在です。
空海は幼名を「真魚」と言いますが、そのときから「空海」を名乗るようになります。

そこから空海は、金を工面し、私費を投じて、遣唐使のメンバーに滑り込みます。同時代のエリートである最澄のように、公費での留学ではありませんでした。
それに、当時はまだ航海術が発達しておらず、遣唐使船の遭難率は40%です。時代が下って江戸時代の北前船の時代までそうなので、和船には構造的な欠陥があって、甲板がないんです。だから、船底に機密性の高いスペースがなく、船がひっくり返りやすいんです。
よくこんな構造の船で外洋へ出たなと思いますね。

遣唐使船の遭難率は40%。リスク回避のため、遣唐使は常に、2隻の船で出立した

そんなハイリスクの旅路に、空海は自らの未来に莫大な投資をし、未来も命も賭け金としてベットした、命懸けの出立をしたわけです。
空海は、唐で、密教の師である恵果と出会い、弟子となり、ただ1 人、密教のすべてを受け継ぐ者となりました。
以後、空海によって密教が日本にもたらされ、それは、日本の仏教の風景を一変させるほどの大きなインパクトを与えました。

空海が日本に持ちかえった密教の最大のキモは、
「即身成仏」
です。
ヒトは成仏できる。
成仏というと、死ぬことというイメージがあります。人が亡くなると、あの人は成仏したと言います。でも本当は、字の通り、「仏になる」というのが成仏です。つまり悟りを開く。
これが成仏。

でもそんなことはできるのか? ヒトが生きているうちに悟りを開くなんてことができるのか? 悟りには長い年月が必要で、ヒトが生きている間に成仏することなどできない、というのがそれまでの仏教でした。
だからせめて、信心を深めることによって、死後、悟りを開いて浄土の世界に行くことができる、というのが、空海以前の仏教でした。宇治の平等院鳳凰堂に代表される、阿弥陀さんを信じれば、あの世で成仏できる、というやつです。

ところが空海は、密教は、生きているあいだに悟ることはできますよ、成仏できますよ、つまり「即身成仏」を説きました。密教とは、そのための具体的なメソッドのことを言います。
密教の教えを守れば、生きているあいだに悟りを開くことができる。つまり密教は現世利益を説いています。これに民衆が飛びついた。
空海は、一躍人気者になります。空海は、若い修行時代に探し求めていたものを、唐で密教を学ぶことによって手に入れ、日本に持ち帰り、明日が今日よりも少しはマシな世界であることを願って、密教を布教したわけです。

空海の生きた平安時代中期は、飢饉と地震と疫病で人がたくさん亡くなった時代です。今日の京都の東山の近く、鳥辺野には、処理しきれないほどの死体が山積みにされました。
「たとえ明日、世界が終わるとしても、今日私はリンゴの木を植える」
とは、ドイツの神学者のマルティン・ルターの言葉ですが、
空海もまた、人が次々と死んでいく絶望的に厳しいリアリズムのなかで、密教というファンタジーを信じ、人々に広めようとしました。どんな局面に立とうとも、自分の信じたものを揺るぎなく信じ、立ち続けようとしたわけです。

三蔵法師もそうですが、胸が熱くなりますね。
お釈迦さんも、三蔵法師も、善財童子も、そして空海も、人生の真実を追求しようと、旅に出ました。

河口慧海もそうです。
当時鎖国をしていたチベットに、それも中国ルートではなくネパール側からヒマラヤを超えて密入国した、河口慧海のような人もいます。
みんな真実を求めて、旅に出ました。

彼らの青春は、旅そのものです。
目の前に広がる社会の不都合さから目を逸らさず、真っ直ぐに自分ごとと捉え、真実を見つけるために旅に出ます。
自分が信じるに足る絶対的な真実があるのだと、そのファンタジーを信じ、僕の言葉で言うと、心にミッキーマウスを抱きながら、厳しいリアリズムの世界を旅したのが、お釈迦さんであり、三蔵法師であり、善財童子であり、空海といった人たちです。
青春そのものじゃないですか。
彼らの青春時代の大半が旅だし、そもそも、青春とは旅路そのものです。迷走しながも、なにかを探している。
僕が仏教に心惹かれるのは、仏教が、そんな「青春の宗教」だからなんです。

仏教とは既存社会に対するカウンター・カルチャー

仏教とは、ヒンドゥーを中心にかたちづくられた既存の社会に対する、カウンター・カルチャーです。
言葉を変えれば、仏教とは、いつの時代も若者が特権的に生み出してきた、ユース・カルチャーなんだと、僕は思っています。
それでね、
ユース・カルチャーは独りよがりだったりもするのだけど、仏教世界の旅人たちは、どんなに思い入れたところで、その世界は自分だけのものではないと知っています。
自分だけのものにしなかった。経典であり曼荼羅であり、誰でもがアクセスできるものにしたということ。仏教は最初からオープンソースだし、誰もが出入りできるコモンズなんです。

さらに、自分を中心点に置いて考えたり願ったりするのではなく、他力、つまり仏の願い、本願、「南無 阿弥陀仏」の世界を目指すから、だからこそ世界は美しいんだと、彼らは知っています。
それを知るための、旅です。

僕たちもまた、旅に出ました。
今日集まってくださったこのなかにも、なにがしかの真実を探し求めて、旅に出た人がいることでしょう。
これから旅に出る人もいるでしょう。青春とは年齢のことではなく、心構えのことだから、
何歳であってもいいんです。
その旅と、お釈迦さんや善財童子や三蔵法師の旅は、きっと、つながってるんですよ。
そんなふうに思ったりもします。

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
ぼくらの住むこの世界では旅に出る理由があり
誰もみな手を振ってはしばし別れる

小沢健二は根源的なことを歌にするミュージシャンですが、この、「ぼくらが旅に出る理由」もそうですね。
若者は、旅に出ます。若者だけではない、先日の「ブラタモリ」のエンディングでも流れました。
心に芽生えたファンタジーを胸に秘めて、ミッキーマウスを心に棲まわせて、旅に出る人を、讃えます。
それが世界を「one step beyond」させるんだと、祈りにも似た気持ちを差し出します。
そんな歌を、小沢健二は歌います。
全部、一直線につながっていますね。
善財童子をモチーフにして、厳しいリアリズムの中にあっても心にミッキーマウスを抱き、ファンタジーを抱き続けた若者が仏教を生み、豊かにしてきた、ということを紹介しました。

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