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お天道様が見ている わたしは見ている
「お天道様が見ているからそんな事はしてはいけません」
幼い頃、親や祖父母から言われた事がある人は多いのではないだろうか。
お天道様(おてんとさま・おてんとうさま)は太陽を、つまりは神様をさしているということは天照大御神を持つ日本の子供達にとって、違和感なく受け入れられていたのかもしれない。
天照大御神の存在を認知していなくとも、人智の及ばない太陽の存在は幼心にも畏怖の対象として人々の心に根付く。
成長と共にお天道様を引き合いに出した教えは消え行き、モラルや法による「いかにして社会を生きていくべきか」の方が重要視されるようになる。
国や宗教、時代によって変わってしまうものがモラルや法、善悪などだとするならば真実はどこにあるのか。
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「お天道様が見ている」「お天道様は見ている」は、自分自身。
嘘をついた時、嘘をついた自分を自分は見ている。
陰口を言った時、陰口を言った自分を自分は見ている。
裏切り行為をした時、裏切り行為をした自分を自分は見ている。
盗みを働いた時、盗みを働いた自分を自分は見ている。
どんなに世の中や誰かを騙せても、自分自身は誤魔化せない。
それを、知っているから。
目をそらしても、言い訳をしても
嘘をつく自分
陰口を言う自分
裏切り行為をする自分
盗みを働く自分
そんな自分を自分として認識していく。
自分とはどういう人間かと問うた時、常に自分と共にある自分が本当の自分の姿を教えに来る。そして、どんなに自己を高く保とうと努めても、認めたくない自分像との葛藤に苦しむ。
「お天道様が見ている」は「わたしは見ている」ということ。
世の中や誰かにではなく、いつも共にある自分に恥ずかしくない生き方をしていけたなら、そう思えてならない。
(2023年2月5日の沈みゆく太陽より)