賞賛されたいんじゃなくて、役に立ちたい
よく、誉められたいからしたんだろう、とか、
人から賞賛されたいからするんだろうとか、
ネットやテレビや、身近な人の会話でも耳にするけれど、「誉められたい」も「賞賛されたい」も、
自分は人の役に立ってるって思いたいからじゃないかなと思った。
人の役に立ちたいという思いがあるから、
分かりやすい形で、褒められたり、賞賛されたりすると人の役に立ったと思えるんじゃないだろうか。
順番として、
「褒められたい」の前に
「役に立ちたい」があると思うんだ。
自分を犠牲にしても、
周りから非難されても、本当の意味で
人の役に立ちたいんだ!
という、素晴らしい心がけの人は、少ないかも
しれないけれど、
皆、誰かの役に立ちたいから、
役に立ってるって思いたくって、
褒められたいし、賞賛されたいんだよね。
役に立った証拠として。
それが歪んだ形で、巨大化すると、
周りの人に迷惑をかけ始めるのかもしれないけれど、多分皆最初は、小さな誰かの役に立ちたい
から始まったんじゃないかなって思ったのです。
だって、いくら褒められたって、
賞賛されたって、誰かの役に立ってるって思えなかったら、虚しいだけだから。
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