開運への旅路
山手線じゃねぇけど これはもう
「外回り」と「内回り」の2種類に 別れますなぁ
「外回り」に求める方
勿論 たくさん いらっしゃる
パワースポット巡り 占い 自己啓発? スピリチュアル行動 読書? 御祓い
様々ですし 皆さん 少なからず経験済 かと思います
んじゃぁ 「内回り」 ってぇのは?
これも種類が多いのでしょうが
私的には 座禅 瞑想 祈り ヨーガ
くらいかなぁ
開運村には 両方の設備が 整ってる かなぁ?
勿論 皆さんは 両方を経験済だとして
どちらの 比重が 多いですか?
外向き? 内向き?
これを 誤解して ポジティブ または ネガティブ
と 識別するのは 違うよ
宗教が 「自力教」 と 「他力教」 に 別れるのと 同じ
どちらが 優れている! と 言い切れるわけでもない
開運したい! と行動することは 既に ポジティブ
内回り 外回り は 無関係
投げやり と 全託 も 全く 意味が違う
投げやり は 頂けねぇなぁ
全託 は 結構 気合が必要 だぜぇ
何が起きても 受け入れる 全て 自己責任
これが 根底にあるから 他力教 も 成立する
「南無阿弥陀仏」 と 唱和 すれば 全ては OK!
と 覚悟するのも 大変なんだぁ
んで あなたという 旅人さんは どっち向き かねぇ?
優劣は 無い よ
強いて言えば
どちらも 正解なら バランス良く 実践すること かねぇ?
「中庸を以って 最良とする」 ってぇ やつ
パワースポット巡りを 継続してきたのなら
御朱印帳 でも ゆっくり 眺めながら
「あの時は どうだったか?」 「何か気づきや 変革を感じたか?」
に じっくり 思い馳せる も 有効 じゃねぇかなぁ
何かに 急かされるように 全国を飛び回る だけじゃ それ ノルマだよ
味わう感覚を 研ぎ澄まさないと
その 神社仏閣に 入った 瞬間の 感覚
「空気が キーン と 感じた」 とか
「張り詰めた 静謐 と 一体化した」 とか・・・
座禅なら
座った瞬間の あの感じ
「な~んか 違う んだよなぁ?」
なのか
「ビシっと 決まったなぁ!」
なのか
前者だと 座っても モゾモゾ 動きたくなる
後者だと ど~んと 微動だにせず に 長く 座れる
畳 が 一本一本 が はっきり 見える
こういう感覚を 維持するには
常に 考え続けないと 難しい んじゃねぇ かなぁ
ある日 急に思い立って? も 良いけど
苦しい 苦しいから 抜け出したい その方策を 毎晩 毎日 考え続ける
やっと 重い腰を上げる
覚悟して 行動に 移す
感覚を 研ぎ澄まして 実践に 臨む
これじゃないと 通り過ぎちゃう ん だよ
自分に 入って来ない ん だなぁ
占い だって 色々 でしょう?
感覚を 研ぎ澄ませて 聞いていれば
何かの 一言が 突き刺さる かもしれない
どっち回りでも
開運 って 「気づきとの邂逅」が きっかけ じゃねぇかなぁ
どっかの 番組の おませな キャラクターさん じゃねぇが
「ぼーっと 生きてんじゃねぇ~よぉ!」
これは 多分 正解
あぁ 耳が痛い・・・