【作品解題】最愛の貴方へと捧ぐ答え
作品解題、というのも何ですが、このところ続けて投稿している
『最愛のひとへ』
と、
『For Answer』
は続きモノになって居りまして、前者が遠くへ旅立ってしまった、青春時代の好きだった人(決して『恋人』といった感覚ではなく、吉屋信子曰くの『エス』の関係性というとわかりやすいです)への手紙という形を取っており、
後者はその手紙への返答、この、『エス』的関係性があったからこそ、
不透明でまるでごみ溜めの様なこの世界に、『愛』を広める革命家としての決意のようなものを表明する内容になっております。
作者としても、この連作はとても感慨深く、大切に思って居る作品でもあります。
作画についても、前者後者含め、なかなかの時間と手間のかかったものになって居り、特に『For Answer』に至っては、AIに主題に沿った描写をさせるのが非常に困難だった事も逆に良い体験になったと思います。
さて、ハッシュタグの #絶対運命黙示録 あたりで感づいた方はいらっしゃるかもしれませんが、この連作は然る90年代に放送されていたTVアニメ(のちに劇場版も)をアイディアの源泉として、自分なりに再解釈したトリビュート的作品になっております。ここであえてタイトルは申し上げますまい。
ここではざっくりとした概観を語るのみですが、当該モデルの主題を貫いているのは、やはり、『愛』だと感じました。その為、一時はハッシュタグに #LGBT 乃至は #LGBTQ + を加えようかという考えもありましたが、これらの要素は今現在の段階においては、元来の当事者を置き去りにして、いつの間にか政治の論理だけが独り歩きしているという現状を鑑み、かえって作品そのものを損なう可能性があるため、ここでは除外しました。
(今までも、これからも、私の表現する作品中にはこうした性的少数者や性的逸脱者の類は極当たり前の登場人物として登場します)
さて、件のLGBTQ+について触れましたが、私の見解はとてもシンプルです。
そもそも、個人の性自認や性的指向に対して『法的に効力があるから保護すべきだ、差別してはいけない』という悪しき繁文縟礼主義を持ち出すまでも無く、それぞれの自認や指向する方向は本人個々人の自由なのだから、別段それを『強調した取り扱いをする』などと国家がなし崩しにそうしたことを政令とする時点で、既に国家権力による差別が明示されている事は明らかであると私は感じます。
それが、他者の権利や生命、身体を侵害しない限り、人は男でも女でも、或いはそれ以外でもどういう存在でも構わないし、誰が誰をどのように愛するのか、についても全く自由である、この事こそ、至極当たり前の事柄なのではないでしょうか?
仮に、身体と心の性に不一致が無く、尚且つヘテロセクシャルである所謂『ノーマル』『普通』の人々が居たとして、『あいつはノーマルだから仕事に就かせない』、あいつは『普通の奴だから気持ち悪い、消えてもらいたい』などという事が身に降りかかったとしたら、貴方の立場では一体どう考えるでしょうか?
当然、この扱いは極めて不当なものであり、抗議や抵抗をする事は極自然な行動だと言えるでしょう。
性的少数者として生きるという事は、常に、大多数の他人に、また、公権力の一方的な力に怯え、その災いが降りかかる事を恐れながら生きていくという事に他ならないのだと思います。
『日本では偏見が少なく、ヘイトクライムによる暴力が少ない』という意見も散見されますが、それは、直接的な荒々しい暴力を伴うか、間接的で陰湿な、精神をじっくり蝕んでいく言動や取り扱いなどといった差程度で、いずれにせよ、程度の大小があれど人を傷つけるものである事に変わりはないのだと思われます。
ですから、結論として申し述べることは、上述した私の作品に少しでも共感頂け、多少でも思う事があったと思われる方に、どうかお願い致します。
LGBTQ+、性的少数者は、極当たり前に存在するものであり、それは、貴方と何も違いの無い、確たる人格を持ち、血を流し生きる、ただ一人の人間であるのだと、どうか、覚えていておいて下さい。
そして、その事を忘れないで居てください。