伊丹十三のこと
中学高校時代の「尊敬する人を記せ」という設問の理由は何なのだろう。
私はそんな設問に、必ずシャーロック・ホームズと記していた。
他に思い付かなかった。
でも大学に入って、ある俳優のエッセイにはまった。
下宿で読み耽ったのは伊丹十三のエッセイだった。
「ヨーロッパ退屈日記」や「女たちよ!』。
独特の美意識とダンディズム、成る程と思う見識と英国的な毒舌。
レタリング、ヴァイオリン、料理もプロはだし。
件の設問があれば、間違いなく伊丹十三と記しただろう。
パスタの茹で方、ジャガーの正しい発音、鰹節は英語でシェィヴ・フィッシュでは無い事。
文章には、彼の描いた緻密なペン画も添えられている。
『北京の55日』などで共演した名優チャールトン・ヘストンを小馬鹿にしたり、英国の高級ホテルで、三船敏郎と日本から持って来たタタミイワシをコヨリ状態にしたナプキンに火を付け、二人でこっそりと炙って食べる話など、嘘か真か、痛快無比。
英国の列車、窓際で両耳にバナナを突っ込んで新聞を読む男との奇妙な会話は一字一句、映画の様なカット割りで鮮明に記憶している。
伊丹十三の多彩さは、CMクリエイトやドキュメンタリー、精神分析雑誌や子育てと八面六臂だった。それぞれに説得力を持っていた。
そんな彼が『お葬式』で突然、映画監督になる。
私は小躍りした。
お葬式の映画って? それまで葬式の映画などあっただろうか。
さらにラーメンを作る映画などあろうはずが無い。
私は、CM撮影でロサンゼルスを訪れた折、ビデオ屋に『タンポポ』の大きなポスターを見つける。英語版のでかいポスター。
私は、拙い英語で店員に『タンポポ』の評判を聞いた。
彼(ビデオ店員)は、日本人の私を映画の関係者と勘違いしたのか
「私も大好きな、とてもいい映画だと、伊丹十三監督に伝えてくれ」と言う。
困ったが、私はとりあえず「シュアー」と答えておいた。
日本のラーメンの再評価、そこから起きるラーメンブーム。
さらに現在、世界中で起きているラーメンブームは、この映画から始まったと思う。
そして、この映画が海外でも人気な理由は、おそらく美味しそうなラーメンだけじゃ無い。
この作品の大筋は食のエッセイ的映画だが、実は沢山の名作映画のオマージュも含んでいる。
ラストで山芋の腸詰の話を、雨に濡れて情婦に話しながら死ぬ白服ヤクザの役所広司は『ペペルモコ・望郷』のジャン・ギャバン。
(もちろんジャン・ギャバンは腸詰の話はしていないが)
スープ作りの秘密を厨房の穴から覗くのは、ヒッチコックの『サイコ』。
そしてウィリアム・ワイラーの名作『大いなる西部』。
同じヒロインを奪い合う二人(グレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストン)の痴話喧嘩をクレーン俯瞰で、ごく小さな蟻の如く、二人をワザと矮小に撮り、大いなる西部の大地と比べるシーンがあった。
その演出を、山崎努と安岡力也で模倣している。
河川敷で同じクレーン撮影で、そのまま撮っていた。
映画を見てる観客が誰も気付かない、絶対に分からないオマージュを、新人監督伊丹十三は嬉々として撮っていた。
伊丹の作る映画が、日本映画の方向を大きく変えたと思う。
「シコ踏んじゃった」や「おくりびと」、「ちはやふる」「ハッピーフライト」など特殊な仕事や世界を描く映画のさきがけだった。
私は三軒茶屋に、小さな仕事場を借りていた。
渋滞する246号線に抜ける茶沢通りに、大きなベントレーのオープンカーを運転する伊丹の姿があった。
頭の包帯を白いネットで止め、助手席には屈強そうな青年。
「ミンボーの女」絡みで暴漢に襲われた直後ゆえ、青年はSPだろう。
私は手を振りたい衝動を我慢した。
そして謎の自殺。
ワープロ遺書を残して、マンションから飛び降りる。
山崎努をはじめ、誰もが伊丹は自殺するタイプじゃ無いと口を揃える。
「大病人」「静かな生活」はヒットせず、遺作「マルタイの女」は「マルサの女」のコピー。
ホラー映画「スィートホーム」での、新人黒沢清監督と伊丹総監督との確執。
スランプだったにしても、64歳での自死は早過ぎる。
私が大学時代に出逢った伊丹のエッセイ「ヨーロッパ退屈日記」「女たちよ!」。
もちろん足元にも及ばないが、このコラムは私のヨーロッパならぬ「映像、退屈日記」。そして「映像たちよ!」なのだと思う。
自筆のイラストも意識して描いている。
彼のDNAが、少しずつ私に刷り込まれた様な気がしてならない。
「ヒッチコックを追いかけて、映像黙視録」は、憧れた伊丹十三監督へのオマージュなのかも知れない。