愛読書を持つよろこび😊
長年読書を続けていますと、この1冊だけはどうしても忘れられないとか、この1冊で人生が変わったとか必ず思い出に残る本ができてきますよね。
今回はそんな愛読書にまつわるおはなしです。
なお、今回も2,000字に及ぶ長文になりましたので、3.愛読書を持つよろこびの部分だけでもお読みいただければさいわいです。
1.私の愛読書・三木清「読書と人生」
前回の記事にも少し書きましたが、私にとっていちばんの愛読書は、三木清「読書と人生」です。
前回の記事はこちら↓↓↓
a)三木清について
ここでまず、三木清について簡単に解説したいと思います。1897(明治30)年に生まれ、1945(昭和20)年に死没されました。
京都大学哲学科で西田幾多郎に師事し、ドイツ留学中に、新カント学派のハインリヒ・リッケルトや「存在と時間」を代表作に持つマルティン・ハイデガーの講義を受けました。3人とも当時の哲学界の花形です。
三木は当初、マルクス主義の研究にいそしみ、当時非合法であった日本共産党の協力者となるも、1930(昭和5)年に治安維持法違反で逮捕され、転向を余儀なくされます。
その後、1930年代に時の有力政治家(後の首相)であった近衛文麿な私的に創設した政策研究団体である昭和研究会に参加し、「協同主義」という一種の多文化主義的な思想を提示しています。
自由主義的な立場から哲学の道を歩むのですが、戦時体制を構築せんとする当時の政治状況から、その知識人としての行動の制限され、いわゆる転向知識人に見られる戦争協力と戦争批判という両義的態度に悩まされる人生でありました。
1945(昭和20)年、彼は再度逮捕され、終戦の翌9月に獄中にて死去。その著書「人生論ノート」が戦後ブームとなりました。
b)「三木清」流哲学の学び方
この本の面白いところは、これから哲学を学ばんとする学生に対し、哲学者の心得のようなものを提示しているところです。
上に抜粋した文章からもわかる通り、およそ哲学者・思想家を志すものは、まず勤勉を第一にせよと述べておられます。特に哲学は難解な専門用語が多く、また言い回しが複雑であるため、哲学は非常に取っつきにくい学問になっているわけです。であるからこそ、日々の勉強が大事だと言ってるわけです。小手先のテクニックを用いても決して哲学の根底に流れる真理の部分をつかみ取ることができないのです。
もし、これから哲学を習得したいと考えていらっしゃるなら、ぜひこの「読書と人生」をお読みください。
2.私の青春は哲学一辺倒でした。
この本「読書と人生」を最初に読んだのが、高校三年生の頃でした。読書に対する考え方を大きく変革させられました。
当時読んでた本として、西田幾多郎や田邊元・和辻哲郎・桑原武夫・戸坂潤など、いわゆる京都学派と呼ばれる人たちのものが多いです。
昭和の初期から中期にかけての哲学書をむさぼるように読み込んだんですが、その中でも特に新カント主義と呼ばれる思想に傾倒してましたね。
まあ、この辺の話しをしだすと切りがないので一旦打ち切ります。
3.愛読書を持つよろこび
愛読書については、読書好きな方はたいていお持ちだと思うのですが、もしかしたら特にこだわりのない読書ライフを送っておられる御仁もおられるかもしれません。
しかし、それは非常にもったいない話しです。自分の人生を振り返るに当たって、この本については誰よりも詳しいとか、このジャンルだったら誰にも負けないとか、そういったものがあった方がより良い読書ライフを送れると思います。
もちろん無理に、さあこれから愛読書を探すぞ!なんて意気込んでもなかなかに出会うことはないでしょう。
例えて言うなら、恋愛のようなものです。
いろんな人と交流していく中で、このヒトはなんか良さげだなってヒトが現れてきますよね。
そのヒトとおつき合いさせてもらううちに、ものすごい感動体験をしたり、自分史に残るような出来事に遭遇したりします。
そうすると、そのヒトが、わたしにとって特別なヒトになっちゃうわけです。
愛読書というのも、そんなカンジだと思います。日々いろんな本を手に取る中で、ある日突然脳天にカミナリが落ちてくるような体験を得ることがあります。この瞬間に、その本が愛読書になりますし、また後から振り返って記憶に残っている本があるとすれば、その本が愛読書になります。
よかったら皆さんの愛読書の話しを聞かせてください。それではまた。