「読みたいのに読めなくて」からの回復
今年の1月、「読みたいのに読めなくて」という記事を書きました。そのときは「なんとか読めるようになってきた」と言っていましたが、その後も文字の上を目が滑る感じがなかなか抜けず、今年の前半はほとんど本を読めませんでした。本を選ぼう、文字を追おうという気力も湧かなくて……。活字を読む気になれないのは翻訳業にも明らかに影響を与えますし、どうしたものかと思いつつ、自分を静観するしかない時期がしばらく続きました。
ふと楽になったのは6月の終わりのこと。受講中の翻訳講座で勧めていただいた言語学の本を読み始め、終わりにさしかかったころ、「あれ、前と同じように読めている」と気がつきました。ずっと積ん読になっていた中から『クララとお日さま』を選び、開いてみるとちゃんと読める。楽しい。頭に入ってくる。洋書のフィクションも1冊読み通すことができました(前回ご紹介したThe Maid’s Diary)。
すぐにまた読むのが苦しくなってしまわないように、リハビリのようなつもりで児童書も読んでみました。そのうちの1冊は、斎藤惇夫さんの『冒険者たち』。
小学生のときに藪内正幸さんの表紙絵にひかれて手に取り、夢中になって読んだ本です。何十年かぶりの再読でしたが、あのころのわくわく感はそのまま。読み返したことで、舞台である南の島の植生や空気の描写の細やかさにも気づくことができました。
この他に、『トムは真夜中の庭で』、『みどりのゆび』、『風にのってきたメアリー・ポピンズ』などを読み、自分が生きているこことは違う時代・文化に住む子どもたちの様子を垣間見る楽しさがよみがえり、翻訳を志した原点を思い出しました。本の世界に没入する感覚と、読み終えた後の心地よい疲労感を取り戻し、物語が日常から逃れるためのシェルターの役割を果たしてくれることを改めて感じました。
そんなリハビリ以降、多読用の洋書も含め十数冊の本を読み終え、これなら読書ができるようになったと言えそうかなとほっとしているところです。
SNSで偶然目にしたのですが、抑うつなどの症状があると、本が読みにくくなるのはよくあることなのだそうです。文字を追い、理解し、自分の中に取り込むのは、それだけエネルギーが必要な行為なのだと思います。「書く」というアウトプットの作業にはもっと大きなエネルギーが必要なようで、読めるようになってから書けるようになるまでにもまたさらに時間がかかりました。時薬が必要だったのだと思います。
こうして本を楽しめる日々がこれからも続きますように。