20年前に出会いたかったコミュニーケーションの本/『君はどう生きるか』鴻上尚史
先日、AERAの人生相談コーナーで有名な
劇作家、鴻上さんの新刊が出たということを知り、いそいそと夜に近くの本屋さんへ買いに行きました。
『君はどう生きるか』/ 鴻上尚史
おそらく、中学生、高校生へ向けて書かれた本なのです。が、40代前半にして未だコミュニケーションに苦労している私にとっては、あまりに勉強になることばかりが書かれていて、夜中になるのに止められず一気読みしました。
『君はどう生きるか』というタイトルから、
どんな職業を選び生きていくのか、という本なのかと思っていたのですが、
そうではなく、どちらかというと、
この「世間」を重視する日本社会の中で、
また、価値観が多様化して共通認識のようなものが持ちにくくなった世の中で、
どうやって自分なりの立ち回り方、生き方を確立するか?というようなテーマのお話のように思います。
例えば、、、
・考えが全く異なる人たちとどうやって協働(仕事)していったらいいのか?
・日本人はなぜ対話が苦手なのか?
・"迷惑をかける"ことと、"お互いさま"の違いについて。
・スマホが人の自意識や人間関係に与えた影響。
などなど、今を生きる若い人の悩みに誠実にシンプルな言葉で答えてくれる本。
特に印象に残ったのは「エンパシー」について。恥ずかしながら、この言葉を初めて知りました。
同情(シンパシー)とは異なるもので、相手の立場になって考えられる能力のこと、を言うそうです。
例えば、プレゼントを渡したいと思った時に、自分がもらったら嬉しいだろうなと選んだモノが相手にとっては迷惑だった、ということはよくある話。
それってシンパシーは高いけど、エンパシーは低い、つまり本当に相手の立場に立って考えられてはいない状態になっている。相手は自分と同じようなもので喜ぶのが前提になってしまっているのだ。
エンパシーは能力だから、小説や映画を見たり、演じたりで後天的に向上できるとのこと。
また、コミュニケーション力とは、多くの人と仲良くできることではなく、揉めたときにそれをどうにかおさめるスキルのことを言うそう。
言い方と、解決の仕方、両方が大切。
打席に立って経験を重ねること、また、上手い人の真似をすると上手になっていくのことでした。
なぜこの話が心に残ったかというと、私がコミュニケーション下手な理由のひとつはエンパシーが足りないからだ、と腑に落ちたから。
私自身の育った家庭環境は、エンパシーどころか、言葉によるコミュニケーションという意味では、滅茶苦茶でした。父も母も相手の立場を考えるより先に、会話の85パーセントは自分の言いたいことを一方的に話しまくる、もしくは不機嫌の理由を説明せず察して!察しろ!の応戦ばかりで、幼少期からコミュニケーションのいい見本を見れていないこともあり、
(今でも実家に帰ると両親からの暴投コミュニケーションの球を受け続けるのにぐったりしてしまいます、)
「相手の受け取りやすい球を
受け取りやすいタイミングで優しく投げる、
キャッチして、それを相手に取りやすい形で返す」というやりとりの基本すら、とても不得手です。
エンパシーが不足しているがゆえに、
相手にとって
余計なことを言ってしまったり、
必要なことを言わなさすぎたりで、
今でもこのことで人に嫌な思いをさせたりして、後から反省するばかり。
それにしても、難しいことをシンプルな言葉で納得感をもって説明できる鴻上さんを尊敬してしまう。本当はこんな人になりたかったな。
残念ながら現状は程遠いですが、
おばあちゃんになったときにこんな風に
周りの人に正論ではなく
あたたかな言葉をかけられるような人になりたい。
そのためには試行錯誤しながらまだまだ揉まれる必要があるなぁと思う。人間関係の中で、嫌だな、合わないな、と思った時に人から離れるか、ただ我慢する、という事を繰り返しているだけでは、全然だめだなということがわかった。下手でもなんでも練習あるのみなのですね。
長い道のりになりそう。。
ですが、これは訓練で上手になると書かれている。なんと!かろうじて希望が持てるじゃないですか。まだ40年?ありますし。笑
職場も家もいい練習の場です。
めざせ、ステキなおばあちゃん。