【イベントレポ•エッセイ】むちフェスvol.7―身体ってなに?
むちフェス、なる肉感がテーマの祭典。
文学フリマで出会ったグラビアアイドルの岡田紗夜さんが参加されるので、またお話したくて行こうか迷っていた。どうやらチェキも撮れる即売会的なイベントらしい。
チケットを買う時にR18イベントだと気付いてためらったのだけど、気分転換になるかも、と勇気を出して行ってみることにした。
綿商会館という会場を目指して歩くと、建物の周りには黒っぽい服を着た眼光の鋭い男性が何人かたむろしていた。
これは! なんかのアジトみたい……!
この感じは初めて地下アイドルを見にライブハウスに行った時に似ている。
でもあの時は友人Aくんという心強い味方がいた。今日は1人で大丈夫かな。
緊張しつつ受付で黒いリストバンドをもらって、秘密結社の一員となる。
R18イベントのため、おじいさんまで念入りに年齢確認されていた。スタッフのみなさまお疲れ様です。
なぜか綿商会館は畳のいいにおいがして、昔夏休みに行った親戚のおばあちゃんの家を思い出した。
激混みだったらどうしようと思ったけどそんなこともない。
廊下にはウロウロしている人や佇んでいる人がいて「ポケモンの地下通路みたいだな」と思う。目が合うと戦いになるやつ。
ちなみにアイドル現場だとライブハウスが暗いのでよりダンジョン感が増す。
歩いていると突然水着の人とすれ違う、非日常感。
イベントはフロアにわかれていて、建物自体はそれほど広くなかったので下の階から回ってみることにした。
小さい机のブースがあって、写真集や映像販売とあわせてチェキや動画撮影をメニューにしている人が多いみたい。
ちゃんとした服を着ていないたくさんの人の身体を見る機会って普段ないので、不思議な気持ち。
見ていると人の身体は案外色々だということに気付く。
メディアで目にする女性の身体はすらっとして痩せて美しすぎて生活感がない。女優もモデルもスーパーは成城石井にしか行かなそうだ。
そういうものばかり見ていると、完璧な身体でないと他人に見せてはいけないような気分にさせられる。
でもイベントで見た人の身体はもっとバリエーションに富んでいて、みんな堂々と楽しそうに活動していたので見ていて元気になった。
呼吸して生活している身体。
完璧な顔も完璧な身体もAIが発達した今簡単に作ることができる。
だから、自分にとっては過剰だったり不足しているように思える部分が人には魅力としてうつるのかも知れない。
あんまり服を着ずに堂々としている人の身体は山とか滝みたいな自然をほうふつとさせてなぜか見ていて神妙な気持ちになる。
人間も自然の一部なんだな、とぼんやり思ってからこれはキラシさんが私に教えてくれたことかも知れないと気付いた。
キラシさんというのは私が学生時代のアルバイトで関わった、台湾南部のサオ族という部族の長老だった人だ。ご高齢のため既に亡くなっている。(下記の記事に書きました↓↓↓)
サオ族は生き物はすべて自然の持ち物で、自然の意思でここに存在するというような考え方をするらしい。
もしキラシさんがここにいたらなんて言うかな、びっくりするだろうな。
サオ語できないから説明が難しいけど……。
そういえば原始信仰のアニミズムの中にも女体信仰ってあったよね。勉強してもぜんぜん入試に出ない縄文時代。
色々な経験をすると突然、あ、これとこれってつながってたのかも! というビンゴ状態になることがある。「これ進研ゼミで習ったやつだ!」みたいな。
人生には無駄な経験も知識も何一つないのかも知れない。そうだといい。
面白いものが色々売っていたのでうろうろして眺める。
手作りの頭につけるツノがたくさん。
きれいな透明のツノがほしくなったんだけど予算オーバーで買えず。
「わたしをじっと見つめる権利 5分1000円」(だったかな?)を売っている人がいた。
5分は長い。
みなさんは人生で誰かと5分見つめ合ったことってありますか? 私はない。
じっと見られるというのは怖いし勇気のいることだから堂々と見られている人はすごいし、見ている人もすごいと思う。
ニーチェは「深淵をのぞくとき、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」と言ったらしい。
私たちがアイドルを見つめるとき、アイドルもまたこちらを見つめているのだ。
さらにうろうろしていると急に写真のポストカードをいただいた。
……おしりだ……!!
身体はフレームに切り取られると物に見える。でももちろん身体の持ち主には人格がある。
このおしりの持ち主も子どもの頃は地べたに座って蟻を眺めたりしたのかな。悲しくて眠れない夜もあったのだろうか。
なるべくフカフカな場所に座り、いつも健やかでまんまるでいてほしい……。
と、おしりに想いを馳せていたところよく見たら写真の裏側にご本人のお顔がちゃんと載っていた。
いくつかのブースでシールを何枚か買った。(y.chanさん@y_chan_19・みーちゃんさん@moremore1108)
昔からシールが好きで集めている。大きいの1枚、より小さいのがたくさん、の方が好き。
ひととおり回って岡田紗夜さん(Xアカウント・@okadasaya1)とチェキを撮ってきた。
紗夜さんはグラビア活動をしつつ本も書いている才色兼備な女性で、はんなりとした清楚な雰囲気の中に聡明な印象を受ける。
少しだけ下妻物語と遠藤周作の話をした。趣味が合う気がして嬉しい。
露出度高めの衣装なので冷房が強い気がして「寒くないですか?」と聞いたら「ミートテック着てるんで大丈夫です」とニコニコしていた。
またお会いできるのも、次の作品も楽しみです♡
会場の女性を見ているとむちむち人気も、巷で言われるいわゆるデカ女ブームも分かる気がした。
現代人はみんな疲れすぎているし、癒されたいっていうか優しく包まれたいのかも知れない。
でもその人はその身体で一生を生きるのだから、物じゃなくて身体に対してブームという言葉を使うのは消費感が強くて抵抗がある。
消費するというのは自分の色々な欲望を満たすために使うっていうことだ。だから、生きている人間を消費するというのは罪深いことだ。
推し活ブームに嫌悪感を示す人はそのへんが引っかかっているのかなと思う。
「前は好きだったけどなんか最近飽きちゃった」って自分の恋人について話したら人格を疑われそうだけどアイドルなら問題はない。金銭の介在する関係だからだ。
でも相手は生きている人間だから無下にされたら傷付くし、お互い関わりの中で思わぬほうに心が動くこともある。そこに危うさと面白さがある。
ホス狂しかりパパ活しかり、金銭の介在する関係、というのは近年のトレンドテーマでもあり自分なりに丁寧に読み解くと論文も創作もすごく面白いものができると思う。
不均衡な関係の中で感情は揺れ動く。そこにドラマが生まれる。
「明日私は誰かのカノジョ」面白かったなあ。「ガチ恋粘着獣」の続きを読まなきゃ。(「推し」文学まとめ↓↓↓)
ソーシャルメディアが発達した社会では、みんなが毎日本名も知らない「ここにいない誰か」のことを考えている。
私は自分は消費されたくないと思っていたくせに、自分の好きな人にも消費されてほしくないと思うくせに女子アイドルが好きなので、そこらへんに罪悪感があるのが強烈な矛盾のような気がしてしかたがない。
でも目を逸らさずに考え続けた方がいい。たぶん……。
帰り道では前を歩くカップルが「楽しかったね」「好奇心で来てみて良かった」と囁き合っていた。むちフェスはデートにもってこいのイベントのようだ。
いや、どうだろう? どうかなあ……?
一方の私は買えなかったツノのことを考えていた。
あと、綱引きをやっていたのを見たかった。白熱していたらしい。
別売りのチケットが売り切れてしまっていたので、次回はもっと計画を練りたい。
なぜか、家に帰ると見慣れたはずの家族のおしりがいつもより小さすぎるように感じた。
不思議の国のアリスにそんな場面なかったっけ。
よく考えてみれば、自分のおしりというのは一生肉眼で真正面から見ることができない。
いつも下に敷いているのでみんなもっといたわったほうがいいのかも知れない。
アイドル現場、特にライブではよく思うけどつくづく私は視覚情報に疎い。
簡単に言えば、すぐに考え事をはじめて上の空になってしまうから目の前のことをそのまま楽しむ能力に欠けている気がする。
だからイベントレポはいつも何の話か分からなくなってしまう。
私は文学部だったんだけど、そういえば大学の最初の授業で
「男性は視覚優位→フェティシズム傾向・女性は触覚優位→マゾヒズム傾向」ってばーんと黒板に書かれていた。
うわあ、すごいとこきちゃった……って思った覚えがある。芥川龍之介の「藪の中」だったかなあ。
まあ、傾向は人それぞれ?
あのタグを使いたい、けどコニシさんにこんな地の果てまで回収にお越しいただいていいのだろうか。いつも大変お世話になっております。お中元でも送った方がいいのかもしれない。
えーい、使ってしまえ!
#なんのはなしですか
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