理屈っぽい夫との会話から、仕事で必要な考え方を学ぶ。
うちの夫、良く言えば、自分の頭で考える人。悪く言えば、理屈っぽい人。
以前から理屈っぽさはあったものの、仕事の経験が増えるごとに、その理屈っぽさに磨きがかかってきた。
最近は、理屈を聞かされるわたしの「めんどうだなー」という態度を楽しんですらいる気がする…(子どもか)。
それでも、めげずに夫の理屈に付き合っていると、意外と得られるものもあるようで。
仕事をするときにわたしが疎かにしがちな思考を、さりげなく見せてもらう機会があった。それを、わたしは節水事案と呼ぼうと思う。
ことの発端は「水道料金が値上げされる」という便りがきたこと。
今でさえ結構な水道料金であるため、「節水が必要だな」とその紙を見て、わたしはなんとなく思った。
「水道料金上がるんだってさ~」
とキッチンに立つ夫に声をかけるも、水道水をジャージャーと垂れ流しながら食洗機に水をくみ続ける夫。(我が家は賃貸なのでタンク式を使っている)
わたしの声が聞こえなかったのかと、もう一度口に出す。
「水道料金値上げするんだって。節水しなきゃね」
「そうなの?」と言って、夫はわたしから紙を受け取り、その内容を黙々と読む。その間も水は垂れ流し…。だから、その水止めてほしいんだけど。
前々から夫が食洗機の水くみで大量に水をこぼしているのが気になっていたわたしは、便りから援護射撃をもらったとばかりに不満をもらす。
「それ、水もったいないから、やめてくれない?」
わたしの言葉があまり響いたようすのない夫にモヤ&イラっとしはじめたころ、ようやく夫が口を開いた。
「1 ㎥あたりの料金が上がるんでしょ。1 ㎥は1000 Lだから、いま流れてるこの水が1回あたり何リットルとして…うんぬんかんぬん…。ここで水をこぼさないようにしても、そんなに使用量は減らせないと思うけど。」
そうかもしれないけど…そうじゃなくて!
「でも、水道料金を下げることじゃなくて、子どもに水資源の大切さを教えるためっていう目的なら、節水にもちろん賛成。」
この夫、水道料金を減らすという意味での節水効果は薄く、その成果を見込めない目標設定では行動を変える気はないよと。(減らなかったときに、わたしにまた言われるのが面倒なんだろうな…)
あくまで子どもに見せる親の姿勢として、節水という行動をするならいいらしい。
「結論が同じなら、べつに細々した理屈いらなくない!?」という気持ちを表情と相づちで表すわたしを見て、夫はにやにやしながら言った。
「こいつ理屈っぽくてめんどくさいなって思ってるでしょ」
思ってるよ!!
わたしはただ節水に協力してほしいという話をしたかっただけなのに、どうしてこうなった…
この事案。当初のわたしは「協力して節水しよう」という目標についての、同意ないし共感を求めていたことが分かる。
これまでの目に余る水の使い方を夫に改めてほしい、という思いもあったのだろう。
「節水という目標に向かうだけで十分だ。そうすれば、結果はついてくる」と無意識に思っていたことが、いま振り返れば明らかだ。
でも、それだけでよかったのか?
本当に水道使用量を減らして、水道料金を下げたいなら、夫のようにその行動によって、どれだけの効果が見込まれるのかあらかじめ予測を立てるというステップが必要だったのではないのか。
量的な話にまで落とし込んだりすることなく、「なんとなく節水が必要」と漠然と考えたまま進めようとしていたことを反省した。
あらかじめ効果を検討したうえで、目標や目的を定め、行動に反映させることが必要だったのではないか。
そうしてはじめて、予測と結果の差から見えてくるものもあるのだろう。
(子どもに節水の姿勢を見せるという目的は、量的な考え方ではないし、将来にならないと評価できないところが難しいけど。)
今回は家庭内の水道使用量の話だが、仕事であれば、こういうものの考え方は絶対に必要になってくる。漠然と、で仕事は成り立たないし、続かないはずだ。
日頃の考え方のクセは、どんなときでも最初に顔を出すことだろう。だからこそ、この理屈っぽい考え方を生活の中でも発揮できるよう、夫のもとで修業しようと心に決めた(夫には内緒で)。
とまぁ、節水事案に関しては夫にうまく丸め込まれた感は否めないが、ちょっとした勉強になったのでよしとすることにした。
それでは、よい1日を。
ごきげんよう
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