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2月を通り抜けて

「お誕生日おめでとう!」と言いながらクーポンを送りつけ消費を促してくるなんて見ようによっちゃケチだ、資本主義の悪いところだ、と言って回っていたら、ある店舗の1000円クーポンを使っていなかった。
主張を譲るつもりがない一方で、クーポンを使い逃すと悔しくなってしまう。こんな小市民ぶりや情けなさを棚上げさせてもらうと、2月は28日ないし29日しかないのにほかの月と同様ひと月分のクーポンしか発行しない店舗はやっぱりケチじゃないだろうか。もしかして社内に2月生まれが全くいないのだろうか。2月生まれの小市民としてはもっと頑張っていただきたいところである。

こんな軽口を叩けるのは、2月が過ぎ去ったからだ。
玉三郎さまのお話を伺うイベントに行ったり楽しいこともあったし、誕生日前も例年に比べて精神的に落ち着いていたが、結局やっぱり体調が優れず先が見えないような思いもよぎった。
そんな風にグズグズしてるから、お芝居を観に行くつもりが会場を勘違いして買ったチケットを溶かしてしまったし、気になってるご飯屋さんに行けなかった。ため息をつきたくなる。
でもまあ、確定申告はさっさと終わらせたので良い2月だったということにしよう。(脱税のニュース見るとむかつくけど!)


そういえばこの2月は一本も新作を観なかった。『哀れなるものたち』『瞳をとじて』『落下の解剖学』『ネクスト・ゴール・ウィンズ』『マダム・ウェブ』『カラオケ行こ!』など観たいものはたくさんあるのだが、体調が悪いのもあってなんだか観る気がしなかったのである。そのかわり名画座には通ったひと月だった。

特に心惹かれたものを挙げるなら、国立映画アーカイブの『戦後の女性人』特集のなかの栗崎碧監督作品『曽根崎心中』だろうか。
最初は自然のなかで作り物の世界が展開されることに違和感を覚えた。しかし、内藤昭の美術世界のなかで命を吹きこむ人形遣いたちの動きを、宮川一夫のキャメラは見事に捉える。ときにはドキドキするほど艶めかしいのだ。
そんな風にじっくり味わっているうちに、死へと突っ走ってしまう25歳と19歳の物語に没入してしまう。ラストの打ち捨てられた人形たちをとらえズームアウトするカットは『火の鳥 羽衣編』(1971)をも彷彿とさせる。
わたしたちのなかでうねった感情は、わたしたちが好きな文楽は、どこから生まれたのか?
それは美がどこから生まれるのかを問うことにもつながると思う。
今日は長い1日で疲れたが、続きが気になる本を読み、とある企画の準備を少しでもしようと思う。文脈は違うけど、玉三郎さまが先述のイベントで「継続は力なり」とおっしゃっていたので。

それでは今日はこの辺りで。
ごきげんよう!

*おまけ*
去年、後楽園で撮った梅。ひとがいっぱいいて、梅を見てるんだかヒトを見てるのか分からなくなりそうだった。
大富豪になったら自分の家の敷地に梅園をつくりたい。

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