【一千文字感想】『THE FIRST SLAM DUNK』漫画であることを忘れた真の“映像化”!
見始めてすぐに感動した。
そして、この感動はスラダンのストーリーより先にやってきた感動だった。
あの漫画の中にいた人たちが、まるでそこに生きているかのように躍動している。漫画のアニメ化では大なり小なりそんな感動はあるものだが、この作品のそれは比べ物にならない。
まさに「Anima =魂を吹き込む」そんな作品だった。
原作者 井上雄彦自身が監督・脚本を務めた満を辞しての劇場版。筆者はスラムダンク世代というわけではないので、一応原作を読み通している程度だ。それでも湘北高校の面々に生命が与えられた感動を享受するには十分だった。
まるで原作を読んだ時のスピード、疾走感をそのまま映像に落とし込んだような作品でありながら、まるで実際のバスケの試合を見ているようなリアルなスピード。
「まるで漫画を読んだときそのままのような映画だ」と思った一方で、映画・アニメを含めた「映像」と「漫画」というものは全く別物だということも強く意識させられる。
映像と漫画の違い。特にアニメと漫画は似ていると勘違いしやすいが、この2つは決定的に違う。つまり映像は時間が伴う「時間芸術」であり、漫画はそうではないということだ。
漫画とは不思議なものでバスケの1試合に何百頁も費やしていいし、一瞬を描くのに何頁割いてもいい。むしろ短い時間に頁を割けば割くほど、漫画としてのスピードは加速していく。
だが映像はどうだろう。基本的に一瞬の出来事を写すために与えられる時間は一瞬だ。スローモーションという特殊加工を施すこともできるが、あくまでそれは「一瞬」を引き伸ばしたバリエーションに過ぎず、そこには遅かれ早かれ時間の流れが伴っている。
この当たり前のような基本原則は思いの外、見落とされがちだ。ここを見落とすと漫画のアニメ化は、原作の持つコマの文字起こしならぬ、動画起こしになってしまう。原作はスピード感が売りだったのに、アニメになるとやたら冗長に感じることが多いのはこういうカラクリだ。
漫画を極めた井上雄彦が真の意味で『スラムダンク』を映像化するとは。そのためには「漫画」であることを捨て去り、映像ならではの表現でスラダンの持つスピード感を再現する必要があった。
井上先生は漫画を極めたからこそ、アニメと漫画は別物だと体感的にも理論的にもわかっていたのだろう。漫画『スラムダンク』を捨て去ったからこそ、“初めて”アニメの『スラムダンク』が生まれたのだ。
THE FIRST SLAM DUNK
2022年 / 日本 / 124分
原作・監督・脚本 井上雄彦