自分の中の怒りをスルーする方法
今日は金曜日。小理屈長文はやめて端的に行こう。
生きていると人のイライラしている場面に直面する。
人のイライラの理由はそれぞれだ。
「バイトの同僚がちゃんと働いてくれない」とか、「レジで人に抜かされた」とか。
日々、愚痴としてそういったイライラの話を聞くのだが、「みんな怒りのエネルギーがあってすごいな」と思う反面、「人にそれだけ期待しているんだな」とも思う。
私はあまり人にイライラしないようにしている。
いい人ぶっているように聞こえるかもしれないが、
「完璧な人間などいないから、良い期待をしていない。(裏切りや想定外のことをする人なんてたくさんいる)」ということと、
「自分だって人にイライラされているんだから、自分を正当化してイライラしたことだけを人に言うのは御門違いだろう」という思想が強くてそうなっている。イライラするのって恥ずかしい、という考えが頭の隅に住んでいる。
私はよく、レジで人に抜かされる。
これに関して「私の方が先に並んでいたのに」というイライラは本当に全く生まれないが、「この人は今自分が正しいと思い込んでいるんだ。決してそうではないのに。私はこうならないように気をつけよう」と思う。
だから人が「今日レジで抜かされてさ!!」と怒っているのを聞くと、「それあなたも知らないうちにしているかもしれないのに、よく人のことを怒れるな。すごいな」と思うのだ。
イライラを頭の中でポップに変換するという手段を取ることもある。
今日の朝、前の車の運転手が車1台分くらい車間距離を空けて走るタイプの運転手だった。本音で言うと「もう少し詰めて運転してくれたら、あと2台分くらい赤信号で停まらずに進めるんだから、もう少しスピード出してくれよ。今日は早めに会社に着きたいんだよ!」だが、
「初心者マークついてるし、私も同じような運転してたかもしれないよなぁ〜。それにしても前開けすぎでしょ!え、なんか私に見えないだけで見えない何かが見えてたりするんか…? 安全運転で行こう!いえーい!」みたいな、別の人格に話させることによって、イライラを出す前に自分の中で納得させる。
人に愚痴ればいいのにと思うかもしれないが、人の愚痴に対応することほど面倒なものはないし、「お前もそうだけどな」と思われたくないので極力言いたくない。愚痴を言って相手から返ってくる慰めや共感の言葉に納得することはほとんどない。
疲れている割に小理屈コネコネしてしまった。この生地で嫌なうどんが作れる。
1週間お疲れ様でした。