小学生の時、全校生徒に謝罪した話
ふと小学生の時の話をひとつ思い出したので書き綴ろうと思う。
当時小学5年生の私は放送委員会に属していた。
放送委員には給食の時間に今日のメニューについて放送をするという仕事があって、私は木曜日の給食放送担当だった。
木曜は同じ放送委員会の子と一緒に放送室で給食を食べていたんだけど、「みんな教室で食べてるのに仕事があるから放送室で食べている私、多忙でデキる女って感じでカッコイイ」と自分に酔ったものだ。
ある木曜日の給食の時間、同じクラスのAくんが放送室に来ていた。常に笑いをとることに全力なひょうきん者の男の子である。
放送の時間になって、私はその日の給食メニューである中華料理について、「中国料理は主に北京地方と広東地方と〜」という感じで、あくまで超・真剣に、原稿を読んでいた。噛まないように細心の注意を払いながら。
にも関わらず、あろうことかAくんは、放送機器の裏側に回って、私の向かいに立ち、こっち向いて〜と言わんばかりに顔を左右に振りながら、コロッケばりのなかなかの完成度の変顔を私に向けて来た。
放送中に。
しかもものすごい視界に入ってくる。
コロッケばりというかあれは最早コロッケ?
コロッケが五木ひろしのモノマネする時の顔に似ていた。とにかく天才的におもしろい顔をしていたのである
もう誰が見たってそんなん笑うやん、というズルい顔をしながらA君が笑かしにかかるので、ゲラな私は放送中にめちゃくちゃに吹いてしまった。
あ、笑っちゃったと思ったら最後、人間というものは笑ってはいけないと考えれば考えるほど面白くなっちゃう生き物なのである。
最強の変顔を前にして笑いを堪えている絵面をどこか客観視してしまって、尚更おもしろくなった私は笑うことをやめられず、震えた声で半ばヤケクソになりながら放送を走り気味で終わらせた。
しかし本当の事件はここからだった。
A君に「何するんよ〜」とブツブツ苦言を呈しながら給食を食べていたその時、顔を真っ赤にした当時の担任、大西先生が放送室に怒鳴り込みに来たのだ。
大西先生は当時まだ20代で情熱溢れる若き女教師だった。生徒を叱る時の剣幕がものすごくて、鼻息荒く顔を真っ赤にして怒る姿がちょっぴり猿みたいな先生だった。
この時一緒にいた放送委員の友達は大西先生のことを「モン・キー子」と呼んでいた。大西のおの字も掠らない小5ネーミングセンスが光っている。
モンキー子の激怒の圧に押されて、当時小学5年生の私はちいかわみたいな声でワ…わァ…と応えることしかできなかったのだが、口早にまくし立てるモンキー子はあろうことか私に「今から全クラス謝りに行きなさい!今すぐ!」
と言い放った。
えっ?
全クラス?無理っす!と素直に言える訳もなく、私は1年1組から6年4組までの計24クラスに謝りに行くことになった。シンプルな苦行である。
(ちなみにモンキー子には「Aくんが私のことを笑かしました」と即座にチクったため、苦虫噛み潰したみたいな顔のAくんと私の2人で行くことになった)
モンに「『聞き苦しい放送をしてすみませんでした』って頭下げるんやで!!分かった?!」と言われていたので、24クラス全部その言葉通りに謝罪していった。
途中で気づいたが、24クラスはシンプルに多い。
2年3組あたりまではまだギリギリ感情がこもった謝罪ができていたのだが、それ以降になるともう作業ゲーである。
Aくんと2人で「2学年くらい行かんくてもバレんやろ」「いやそれはバレるやろ」などと話しながらひたすら廊下を練り歩き、心ここにあらずの最早早口言葉みたいな「キキグルシイホウソウヲシテスァセンッシタ」という謝罪をした。
全校謝罪ツアーも終盤に差し掛かり、上級生のクラスになってくると人をおちょくることが一番楽しい時期の子供達が増えてくるので、「なんで笑ったんですかwww」と揚げ足を取られまくった記憶がある。
謝罪を終えて自分のクラスに戻ってきたとき、「ウカちゃん大丈夫やった?」「先生あそこまでせんでもいいのにね」と優しく声をかけてくれる友達が私の机に集まってくれて、放送中笑った元凶は自分のくせにちょっとジーンとした。
しかしその後すかさずクラスの男子が「お前だっさ!」と、一番言われたくなかった煽りを決め込んできたので私は泣かないように歌舞伎役者ばりに睨みをきかせながら涙を堪えていたのを覚えている。
思い返せばどこまでも小学生でしょうもないエピソードだな、と思うけど、こうして振り返った時に面白いエピソードにしてくれたモンキー子にはちょっと感謝しています。青春をありがとう、モンキー子。
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