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【小説】ヒマする美容師の副業 水ねだり魔女(前編) 


築34年のビルの1階で美容室をやっている。といってもひとりサロンだし同じビル11階にある実家の子ども部屋から出る予定なしの気楽な身の上ではある。どこかで誰かが俺のことを子ども部屋おじさんと言っているかもしれないけれど、親とは友好関係を保っているし職場も近くていいこと尽くめだ。美容室にホームページやクーポンはなく徒歩圏内のご近所さんとそこからの口コミの客がすべてだが今のところ経営危機ではない。


このビルは少々変わった構造をしている。南向きに建てられたビル中央の1階と2階部分が通路になっていて、両側に合わせて10店舗が連なる。俺の店は南端にありビルの前のバス通りにも面している。店は予約制でゆとりをもってやっているので空いた時間は南側に置いたガーデンテーブルセットでボーっとしている。自販機で買った微糖のコーヒーを飲むとカフェテラスにいる気分になれるのは特技のひとつだ。

「いまヒマ?」
「そろそろ電話あるかなって思ってた」
「相変わらずの情報通ね、今回は誰から聞いたの?」
「みんな言ってるよ、カオリちゃん、また出戻ったよね?って」
「みなさん、おヒマなんですかね。注目されすぎるのもいいのか悪いのか。ところで今からお願いできる? いつもの」
「いいよ、どれくらいで来れる?」
「1分以内」


カオリの実家は同じビルの5階だから1分以内というのはあながちウソではない。カオリとは住まいだけではなく保育園から高校まで一緒という稀にみる近すぎる生活圏で育った。こういう関係は最初は仲良くても往々にして高い確率で破綻するというのは俺の偏見かもしれないが、カオリとは一度も親密になっていないのが幸いしている。


カオリをスタイリングチェアに案内しているとドアが開いてエコバッグをぶら下げた魔女が入ってきた。魔女というのはもちろん本物ではなく俺の勝手な命名だが理由はある。彼女はこの3か月というもの毎日黒づくめの服装で店の前のバス停に現れては9時過ぎのバスに乗りこむ。そして例外なく昼前にはエコバッグをぶら下げて反対側のバス停に降り立つのだ。


その魔女がいきなりやってきたので、ただただ伸びてしましたみたいな髪をようやくどうにかしようという気になったのかと商売っ気が出かかったとき
「あのう、わたしに水をごちそうしてくれませんか
と魔女が懇願してきた。突拍子もない展開に俺がドギマギしているのを見たカオリは笑いをかみ殺すのに必死だ。笑ってる場合じゃないだろと思いながらも俺の手は反射的にズボンのポケットをまさぐり100円玉を魔女に渡していた。


魔女は100円玉を握りしめて出ていったかと思ったらすぐに戻ってきた。
「水ではなくてコーヒーを買いました。ありがとうございました」
細かいことを言うようだがコーヒーは120円である。なんだ、小銭持ってるじゃないかと言ってやろうかと思ったが、関わりたくなくて黙っていた。


「せっかくだからそこのソファでコーヒー飲んでったら」
カオリが猫なで声という表現がぴったりの口調で話しかけている。そうだった、カオリはこういうやつだった。場の事情を無視して自分の興味だけを追求していくタイプはどのクラスにもどの職場にも一定数いる。
「そうですかぁ、でも」
と言い終わらないうちに魔女はソファに座っている。


なんなんだ、この展開はと思いつつも悪乗りしてしまういつもの癖を抑えきれずカオリの真似をして話しかける。
「せっかくだから時間あるならカットモデルお願いできないかな」
魔女の瞳が輝き始める。
「わたしでいいんですかぁ。うれしいです」
「助かるよ。2時間後くらいになるけど待ってる?」
「いやもう帰ります、正午が門限なんで。明日午前中でもいいですか? 10時過ぎになると思います」
「その時間で大丈夫なの?」
昼前にしか帰ってこない魔女の日課を把握している俺としては不安ではあるが、よほど時間を気にしているのか
「大丈夫です。ごちそうさまでした」
と足早に去っていった。


魔女が退場するとカオリが待ってましたとばかりに畳みかけてくる。
「気になるよね、いったい誰なの?」
「誰って言われても知らないんだ。ここ3か月ほど毎日黒づくめスタイルでバス停に現れては9時過ぎのバスに乗り昼前には帰ってくる。土日祝日関係なくずっとだよ。わざわざ観察したわけではないけど、いやでも目についてしまう」
「いったいどこに行って何をしているんだろうね。タカシは気にならないの? 気になるでしょ? 頼まれてくれない?」
「いやだね。」
「アイソなーいお返事だけど、どんな頼みなのか聞いてよ。それに、ただとは言ってないわ。報酬を出します。あんたと違ってわたしは小金持ちだから」
「出戻るたびに稼いでるとはすご腕だな」
「人聞きの悪いこと言わないの。第一、別れたダンナは全員生きてるし。今も仲良しですから。なんなら紹介しましょうか」


「いや、それには及びませんよ。それにしてもたぐいまれなる人たらし術、天賦の才だな。ところで、いったいいくつのバツ持ちですかぁ?」
「頼みを聞いてくれるなら教えるけど」
「いや、やっぱりいいや。カオリがいくつバツ持っていようが俺には関係ないし」
「正しい見解だわ。ところでタカシはさ、毎日いろんなお客さんの話を聞くでしょ。だからあの魔女からも話を聞けるよね。小説読むのもドラマを見るのもドキドキして楽しいけど実話はもっともっとスキなの、わかる?」
「わからないなぁ。人は平気でウソをつくから身の上話なんて何通りもあったりして」
「そんなのふつうだわよ。でも、そのウソのつき方がおもしろいじゃない」


そんなこんなでヒマする美容師である俺はカオリに押しきられた体を装いながらも実は報酬に目がくらんで依頼を受けてしまった。


〚水ねだり魔女の物語〛

あたしはもうすぐ20歳になる。年が明ければ成人式というものがあり、どこで調べたのか振袖レンタル等の案内状があちこちから届くけれど経費のムダというものだ。そいつらは開封されることなく部屋の隅に放置されている。母親もおばあちゃんも視界に入れたくないらしい。


母親が初めて発症して精神病院に入院したのはあたしが幼稚園の年中さんのときだった。ああ、いやだ。語りたくない。こんな話を長々したって誰も喜ばない。父親は出ていき、気が付くとおばあちゃんの家で暮らしていた。今、おばあちゃんは認知症で母親は病気を隠してパートで働いている。おばあちゃんと母親はめちゃ仲が悪い。だから母親は正午過ぎに出勤して翌朝まで帰ってこない。いったいどんなパートなんだと思うけど今までの経験から何も触れないのが最良の対応だと学んでいる。とにかく母親が不在の間はあたしがおばあちゃんと一緒にいる。おばあちゃんは一人きりにしなければ落ち着いているからね。


おばあちゃんはたくさん年金をもらっているのでときどきというか、しょっちゅう小遣いをくれる。おばあちゃんはあたしとだったら銀行に行ってくれる。お金を引き出すサポート係りはあたしにしか務まらない。家に戻るとおばあちゃんからお金を押し頂いて一家の生活費に使わせてもらっている。そこまで節約しなくても暮らしてはいける。でもね……


その日はおばあちゃんがちょっとはおしゃれをしなさいとまた小遣いをくれたのでデパートに行った。口紅をつけたらおばあちゃんが喜んでくれるかなと思ったのだ。場違いなところに来てしまったと目が泳いでいるあたしを見つけた美容部員のおねえさんがスッピンでも違和感ない色付きリップを選んでくれて、そのリップを塗ったままデパートを出ようとしたとき


一人の男と目が合ってしまった。男はあたしの瞳を貫きそうなくらいの勢いで近づいてきた。そのときに気づいてしまったの、同じにおいがすることに。男はあたしもそうだけど、落とし穴から出られないでいる者だけが持ってるあのにおいを漂わせていたから初対面なのになつかしい気持ちになってしまった。


すれ違いざまに男が耳元でささやいた。
「俺と沖縄に行かないか」
「行く、行くわ沖縄。でも、明日まで待って」
「どこで待ってればいい?」
「駅ビル5階のカフェ、本屋さんの隣だからすぐわかるわ。9時半までには必ず」


次回へ続く。




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