いとしの「雨女」
菜種梅雨(なたねづゆ)である。
3月下旬から4月上旬にかけて続く、春の長雨。
極端な異常気象に不安がつのる日々だからか、俳句の季語にもなるような季節のサインがこうしてちゃんと訪れると、どこかホッとするものがある。
とはいえ、やはり雨は困る。
当然のことながら傘という荷物が一つ増え、服も靴も再考が必要になる。
上昇する湿度に髪がうねり、イラだちも増す。気圧の乱高下で頭が重い。
負のスパイラル
そんな雨の日に時おり現れるのが、「雨男」「雨女」だ。
なんか妖怪っぽい、
カッパの親戚みたいでかわいいな
この妖怪「雨男」「雨女」は、普段は我々と同じ姿をしている。名前のわりに気象を操る妖力は有しておらず、晴れの日も曇りの日も普通に人間界に棲息している。なんなら晴れの日に会うことの方が多かったりする。
しかし雨が降ると突如、ヌルッとその姿を現し、やたらと人から怒られたり突っ込まれたり、自ら謝ったり勝手に落ち込んだりという、謎の茶番を繰り広げる。
実は私の親しい友人にも、この「雨女」がいる。「雨女」は、天気予報に傘マークがつくと『これはきっとアタシが出かけようとしているせいなの』と言い、待ち合わせで挨拶代わりに詫びて来る。
一瞬、返しに詰まって、「え?あ、おぅ」っと、呻くしかない。だって謝罪される筋合いないもん。
こういう時の受け答えって、何が正解なのだろう。
① 別にアナタに天候左右する力ないよ(正論過ぎ。コワい)
② 気にしてないから大丈夫だよ~(なんか「上から」許してる感じが鼻につく)
③ じゃあ帰る?(ケンカ?)
・・・どれも違う気がする。
大人の返しは何だろう?
これだからやっぱり、雨は困る。
幼い頃の記憶に、「雨が好き」だと言った芸能人がいる。
それは山口百恵だ。
ベストテンだか夜ヒットだかを見ていたら、黒柳徹子さんか吉村真理さんが、その日のゲストに「好きなお天気は?」と聞いていた。
ほとんどのアイドルたちは「晴れでぇす!」と答えていたが、百恵ちゃんは違った。
「シトシト・・・っていう、雨が好きです」
やっぱすごいわ、百恵ちゃんは。
この頃の彼女はまだハタチ前後だったはずだけど、愁いを含んだ色香が漂う、誰よりも美しい大人だった。
百恵ちゃんが、曇りガラスを細い指で拭って雨に煙る街並みを物憂げに眺める、そんな場面が浮かぶようだった。
靴の中まで水溜りに浸しながら、傘を握りしめて歩く必死さとは無縁な、優しい雨だ。
大人で、たくさんの余裕があるひとは、雨を好きだと思えるんだな。
ワタシは、そんな大人になれるだろうか。
足の不自由な母は、雨を恐れ、神経をすり減らしていた。幼い頃からずっと、そのピリピリ感が苦手だった。
今だに、通院やショートステイの送迎日が雨予報だと、数日前から嫌がる。
いやいやアナタ、介護バンが車椅子ごとまるっと運んでくれますやん、と言っても、不満げだ。
そんな母も昔、ある雨の日に、私に言ったことがある。
「もしも歩けるなら、こんな日にお気に入りの傘を差して歩いてみたい」
母にとって、雨は怖れるものであると同時に、憧れだった。
大人になったある時、母は出来なかったけど、私はやってみようと思った。
レインパンプスやブーツ、レインコート。
「濡れてもいいや」の三軍ではなく、「濡れるため」の一軍を身につけると、気持ちがおだやかになった。
大人になって、自分で稼ぎ、こういうことにお金を使うのは、いいことだなぁと思った。力が湧いた。
雨は色んなことを中止にするけど、違う何かを可能にする。
もう10年くらい前のことだと思うが、関ジャニ∞の丸山隆平くんがラジオで、「今欲しいもの」を聞かれて
『いい傘が欲しい』
と話していたことが印象に残っている。
自分ももう(当時)30歳近くなって、大人として、冠婚葬祭なんかに出る機会も多くなって。そんな日がたまたま雨だった時、スーツを着ながら手元はコンビニのビニ傘みたいなの、なんだかイヤだなって。
だから大人として、ちゃんとした、いい傘が欲しいなって。
なんだか素敵な気づきだな、と思った。
雨は、晴れの日には分からなかった気づきを与え、少年を大人にする。
もう一度、「雨女」への対応法を考えてみる。
大人として、相手の立場になって、その気持ちを推測してみる。
もー!せっかくの日に雨だぜ!
…と言うテンションの相手に
「ごめんねぇ、アタシのせいで」と言えるユーモアは、ささくれ立った気分を和ませる優しさだ。
妖怪「雨女」の正体は、そんな余裕を持った大人なのかもしれない。
ならば、それに対する返答は
① でも、草木もうるおってるし、良かったよ
② コンタクトの乾きが気にならないから良かったよ
③ とにかく、久しぶりに会えて良かったよ
うん、なんとなく見えた気がする。
心優しき友がいて、語り合える時を持てることは、幸せだ。
歳を重ねた私に残る、数少ない貴重な財産なのだ。
そんなことを気づかせる、雨の日だ。