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大坂城から元興寺に移された「蛙石」の謎
「蛙石」は人の死に関わる殺生石
「蛙石」は蛙のような形をした奇石で、かつては大坂城の外堀近くに存在した。大坂城のお堀に身投げした者のご遺体が、辿りつく先はいつもこの石の近くであったとされ、殺生石の類であったと説明される。
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国交省のHPなどにも蛙石にまつわる怪談話が記載されている。
奇妙な元興寺のかえる石の歴史
極楽堂の北側にある小さな庭に、カエルのような形をした石がある。この石は、1957 年以来幸運の象徴として元興寺の境内に安置されているが、1500 年代後半に始まった意外な歴史を持っている。
この石は、大阪の河川敷で発見された。当時、大阪城の城主だった豊臣秀吉(1537-1598)に献上され、秀吉はこの石をたいそう気に入ったという。秀吉はやがて亡くなり、息子の秀頼(1593-1615)は徳川家康(1542-1616)と権力を争うようになった。家康は 1614 年と 1615 年に大坂城を攻め、城と豊臣家を滅ぼした。
秀頼は秀吉の側室である母の淀殿に権力を握られていたが、淀殿は大阪城の防衛に参加し、息子と一緒に亡くなったとされている。淀殿の遺体は、大阪城の堀を隔てたカエル石の下に埋められたと言われている。淀殿の死後、突然お堀に身を投じる者が現れ、溺れた者は必然的に石の近くに流れ着くという噂が流れた。
こうした悲惨な出来事は 20 世紀に入っても続いた。1940 年、堀で溺れていたところを助けられた男性が、カエル石の上に座っていたところ、十二単を着た女性が現れ、扇子を持って堀の方に手招きされたと報告した。この話は地元の新聞にも取り上げられ、当時、大阪城(当時は航空自衛隊の司令部があった)のカエルを見ようと人々が集まってきた。訪問者が殺到することを避けるため、日本軍は石を城から移動させた。
1957 年、大阪城の南側にある法円坂で蛙岩は再発見された。発見者は元興寺住職の辻村泰円氏(1919-1978)と面識があった。岩は境内に移され、淀殿の怨霊を葬る法要が営まれた。それ以来、この蛙岩にまつわる怪奇現象は起こっていない。毎年 7 月 7 日には、大阪城の籠城戦で亡くなった餓鬼の供養のために特別な儀式が行われる。僧侶がお経を唱え、果物や野菜を供える。その後、塩と共に米、大豆、小豆と胡麻の穀物を入れた水を岩に注ぐ。
大阪城の怪談六・蛙石(かえるいし)
大坂城外堀の北西の角、ちょうど乾櫓(いぬいやぐら)に向き合う場所に蛙の形をした石があった。「蛙石」と呼ばれ、これに腰掛けると誰でも自殺したくてたまらなくなり、石の脇にはよく、自殺者の下駄が揃えられていたそうだ。
元々この石は、河内の川べりにあった殺生石(せっしょうせき)だったのだが、豊臣秀吉が一目で気に入り、大坂城に運び込んだところから妙なことが次々と起こるようになってしまった。
大坂城の堀に身を投げて死んだ者は必ずこの石のそばに流れ着くという噂もあり、大坂夏の陣の大坂城落城時には、淀殿の遺体も蛙石の側に横たわっていたといわれる。
そんな蛙石は、戦後、進駐軍から庭石としてもらい受けた人物によって、旧三十七聯隊跡地(現在の難波宮跡公園)近くの警察クラブ横に移されていたのだが、これに気づいた天羽(あもう)嶈【山冠に将です】次さんがこの人物から譲り受け、天羽さんによって、昭和31年(1956年)に奈良の元興寺に施入された。
現在でも毎年7月7日に蛙石に纏(まつ)わる因縁の供養が執り行われているのだが、知る人はさほど多くないようだ。
「雲根志」にも記載があるという「蛙石」
蛙石を語る際、よく記載されるのが江戸時代の奇石を紹介した「雲根志」にも登場するという説明である。
「雲根志」は木内石亭(きのうちせきてい)という鉱物、化石、奇石を収集する好事家の著書で、「雲根」というのは石の異名である。石に詳しいことから木内石亭は日本の鉱物学の祖とも呼ばれる。
「雲根志 後編4巻」には確かに蛙石の項があるが、大坂城との関りを示す記載はなく「相州(神奈川)江ノ島の東崖に蛙石という大石がある。昔、夜になる人を喰らう大蛙がいて、雲水僧に退治されて蛙石になった。」というような話が載っているのみである。
蛙石は全国各地に存在し、豊臣秀吉が大坂城に運んだという蛙石の元々の産地は、河内のかわべりだとか、門真の橋の渡し口という話しもあり、はっきりしない。
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現在は元興寺の極楽堂向かって安置され、蛙石の案内板には「福かえる、無事かえるの名石として、毎年七月七日に供養される。」とされる。
7月7日の供養では、大坂城の籠城戦で亡くなった兵士の供養として、果物や野菜を供え、その後、塩と共に5穀物が入った水を岩に注ぐという。