表現をすることが一番の苦痛だと思う。
ヒップホップを聞くようになって、中学三年生から音楽を作るようになった。それは、今もつづいていて、イヤフォンを引き出しから引っ張り出して、気づいたら歌詞を書いている。これが僕にとっての日常で、当たり前。憧れを抱いたものが、毎日耳元で叫んでくるのだから、そうなるのが自然だった。
最初は良かった。形を、それっぽい形に近づけて満足していたから。憧れに近づくだけが、到達目標だったから。
でも、いつからか変わった。自分が音楽を作る意味、もっと言えば、表現する意味は何なのか。そう考えるようになって、トラックをファイルに流し込んでは、データを消す。そんな破壊と破壊を積み重ねる癖ができた。
曲を書いていると、不意に思う。思ってしまう。
これが僕の作りたいものなのか。こんなものではない。と。
自分の目指す形とそれが、似ても似つかなくて、意図しない街のオブジェクトが出来上がっているような感じがして、耐えられない。
音楽なんて、他と比べられる代物ではないのだけれど、上には上がいると感じてしまう。
ぼくにとって、曲を書くことは、「非力さ」、「才能のなさ」、「無知」などなど、とてつもなく大きい絶望を味わうことなんです。
アーティストでなくても、作家でも、漫画家でも、頭の中を一般公開しようとするひとには、僕の思っていることが伝わってくれるんじゃないかと思う。
どうなんだろう。
別に、共感を得たいとか、悩みを軽くしたいとか、そんな風に考えてはない。むしろ、その葛藤の中で、一人孤独に戦うべきで、この爆風の冷ややかな風を春のそよ風を浴びるように散歩するべきなんだ。
でも、こうしてここに記したのは、頭のもやもやを少しここに写しかえてあげたかっただけ。そう、それだけ。
ぼくが生きた痕跡を、できる限り、世界に、みんなの頭の中に、刻み付けてやる。そんな生き急ぐ思いが、今僕が積んでいるエンジンだ。
これからどうしようかな。
どんな風にしようかな。
やることが決まっても、また、葛藤と格闘することだけは、約束されているんだろうな。
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