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潜入レポ:龍己さんと雅代さんに会ってきました!気仙沼の観光PR記者発表会取材日記

龍己さんと「俺のハニー」雅代さんのツーショットを目の前で見られるなんて…朝ドラ大好きっ子としては感無量です。「子」じゃなくていい歳のおばちゃんですがいいんです。このたび縁あってNHK連続テレビ小説、通称朝ドラ「おかえりモネ」の舞台となった気仙沼観光キャンペーンの記者発表会に取材に行ってきました。(2021年11月19日 有楽町交通会館にて)

ヒロイン、モネの祖父母役を演じた藤竜也さんと竹下景子さんが、冬の気仙沼観光を盛り上げるべくご一緒に登壇。ドラマの中では回想シーンや写真でしかツーショットが見れなかったおふたりが気仙沼のカキ棚、魚市場などで楽しそうに微笑む写真を眺めると、まるで昔の龍己さんと雅代さんを見ているようで嬉しくなってしまいます。

龍己さんめちゃくちゃカッコいい!
雅代さんめちゃくちゃキレイ!


いや藤竜也さんと竹下景子さんだよ!と自分にツッコみながらも、モネの世界と現実をいったりきたりの朝ドラ脳。そんな朝ドラオタクとミーハー全開前のめりの取材でしたが、朝ドラファンの皆様にもこの雰囲気を少しでもお裾分けしたく、会見の模様をたっぷりとお届けします。
※以下、枠内は藤さん、竹下さんのコメント。敬称略

「俺のハニー」はこうして生まれた

ドラマの中で竹下景子さん演じる雅代さんを「俺のハニー」と呼んで大きな話題となったことを受けて、愛しのハニーと再会されたお気持ちはいかがですかと声をかけられた藤竜也さん。

藤:龍己さんは喜んでると思いますよ。時々ハニーは龍己さんのところに訪れるんですが、いつも変身してる。カキになってたり樹木になってたり。だから龍己さんはよくわかんないんですよ(笑)。龍己さんの支えは雅代さん、ハニーとの想い出で、それが彼の生きるモチベーションになっている。だから、こうしてお目にかかれて嬉しいです。

藤さん、いや龍己さんの言葉が朝ドラファンには嬉しすぎて泣きそう。心で既に泣いてました。その「ハニー」呼びは藤竜也さんのアドリブだったということが竹下さんのコメントで明かされました。

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竹下:「ハニー」なんて呼んでいただけるなんて思ってなくて。あれはアドリブだって先ほどお話うかがって。もうね、どんなに嬉しかったか…。あと、雅代さんとの想い出を「ファンタスティック」って言ってくださって。そういう方なんです藤竜也さんは。

昔気質の漁師かと思いきや、粋でカッコいいおじいちゃんだった龍己さん。昔マグロ漁船に乗ってて、広い世界も知っている、人生を感じさせる人物造形が素敵だなあと思ってドラマを観ていました。放映当時「俺のハニー」「ファンタステック」は、朝ドラ界隈のSNSではたちまち沸騰ワードに。

民宿時代の写真をたくさん撮るための「一次ロケ」に、かなりの時間を割いたとのこと。楽しそうな雅代さんの写真、たくさん登場してました。あの雅代さんに惹かれて、亜哉子さんは島にお嫁に来たって言ってましたね。

雅代さんはこうして生まれた

竹下景子さんが初めて気仙沼を訪れたのは、14年ほど前。情報番組の旅のコーナーで訪れたときに、亀島のモデルである大島で当時80歳のすん子さんという女性に出会います。

竹下:震災があって連絡が取れない時期もありましたが、ご縁がつながってまたお話したりお会いできるようになって。この出会いがあって「おかえりモネ」の話があったので。気仙沼大島にいらっしゃる、母のような方を、ずっと心の中に思い浮かべて雅代さんを演じさせていただきました。

気仙沼出身の先輩に話を聞いたときも、竹下景子さんの「大島のおばあちゃん」感が素晴らしい!と言っていました。竹下さんが雅代さんを演じるのは運命だったのでしょうか。何かに導かれたようで、まさに「ファンタスティック」じゃないですか。

藤竜也さんが語る気仙沼の魅力

おふたりに気仙沼の魅力を尋ねると、藤さんからは以下のお話が。ここからはなるべく、ご本人の言葉を再現してお届けします。朝ドラファンのみなさまは龍己さん、雅代さんのお声と姿を想像しながらお読みください。

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①気仙沼という地名について
②遠洋漁業の船の「用の美」
③初めて見た鮭の遡上に感動
④漁師たちのたくましさ
⑤大船渡線:ローカル線の魅力

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 ①気仙沼という地名について 

藤:まず「気仙沼」って地名が。なんとも不思議で魅力的妖精が出てきそうな感じで。行ってみると美しい入り江があってね。

 ②遠洋漁業の船の「用の美」

藤:何といってもすごかったのは遠洋漁業の船ですね。あんなに大きいものだとは思いませんでした。カンヌ映画祭で行ったカンヌも港町で、沖に豪華なヨットが見えるんですが、あの気仙沼の船の美しさといったら…(負けなないくらい美しい)。「用の美」というか。
藤:(漁師さんは)1年のうち10ヶ月とか(ほとんどの期間を海に出て)子供の入学式にも出られない。その間、奥さんが家のことを全部任されて。それで1年近く海で働いて帰ってくる。そんなドラマをしょった船たちでしょ。もう感動的ですよね。白い船体が。美しかったですね。

気仙沼の漁師さん、その家族のドラマをしょった港の船。
りょーちんの船も、たくさんの人生をしょって船出しました。
あの船にもこの船にも、それぞれのドラマがある、と思うと港の風景も、今までとは少し違って見えるかもしれません。

 ③初めて見た鮭の遡上に感動

藤:大川っていう川があって、撮影の無い時はそこをウォーキングしてたんです。あるとき橋の上から何気なく下を見たら、なんと鮭が遡上してるんですよ。初めて見て感激しましたね。見た瞬間「あ、食べたい!」って(笑)。感動ですよ。僕ら関東の人は見たことないので。

 ④漁師たちのたくましさ

藤:気仙沼大島でカキの養殖をやってる漁師さんにすごくお世話になって。カキ棚の上を歩いたり、作業をするんだけどこれが…体が曲がらない(苦笑)。僕と同じくらいの年配の方たちが仕事してるのに。僕はこの歳にしては、かなり元気な年寄りだと思ってたんですけど愕然としましたね

悔しくて、帰ってから近くの公園で漁師さんの動きのマネしてですね、カキ棚があると思ってトレーニングして。負けてられるかって(笑)。

 ⑤大船渡線:ローカル線の魅力

藤:気仙沼にいらっしゃるなら、一関から大船渡線に乗ったらいいんじゃないかと思いますね。ローカル線、古い単線で両脇の草葉や木の枝をこすりながら、ギシギシと、まるでしゃべりながら生きているみたいで。自分の歳と重ね合わせて、がんばれ!行け行け!って応援しながら乗るんです。

大船渡線は明治時代から走っているそうです。様々な方言が飛び交い、古い車体からも音がして、まるでしゃべっているみたい、というローカル線の魅力。話を聞いてると、すぐにでも乗りたくなりますね。

(モネの父・耕治役の)内野聖陽さんと、魚の美味しいお店に出かけたときのお話も面白かったです。

藤:店に入るとね、私ぐらいの(年齢の)漁師さんたちがズラーッといてね。もうなんかビンビン来るんですよね(笑)。こうやって肩をガッとつかまれて「俺の女房からの電話だ、出ろ!」なんて言われて「わたくし、藤と申します…」なんて。(会場爆笑)

東北の方、北の人たちってもう少し口が重いのかと思ったら、全然そんなことなかったですね(笑)。ものすごくポジティブで。

そんな風にロケ当時を思い出しながら、とても楽しそうに話す藤さん。何度も会場を沸かせていました。

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ちなみに藤さんが当日履いていたのは、気仙沼で作られたデニム。ニットとソックスを赤でコーディネートされていて、龍己さん同様ダンディで本当にカッコ良かったです。

竹下景子さんが語る気仙沼の魅力

竹下景子さんからは、食の魅力とそこに暮らす人々の魅力が語られました。

①けあらしの美しさ:生活の中にある情景
②カキとメカが絶品
③ホスピタリティの塊


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 ①けあらしの美しさ:生活の中にある情景

竹下:14年前に初めて気仙沼を訪れたときに、初めてこの「けあらし」を見て、なんて美しい景色なんだろうと思いました。すごく幻想的で。でも、ただの美しいきれいな景色ではない、藤さんの言う“用の美”、大きな港町ならではの美しさ、生活の中にある美しい景色、情景なんだな、と(当時を)振り返りながら思い出していました。

今回の会見は気仙沼市長も同席。竹下さんのコメントの前に語った「けあらしの一番好きな風景」がとても素敵だったのでご紹介します。

「気嵐は音からやってくる」

白いもやが煙る中、沖から船が港に向かってくる音だけが聞こえる。その中から船のマストが見える。次に舳先(へさき)が見える。それがどんどん後ろに連なって連合艦隊のように、けあらしの中から力強い音と共にやってきて魚市場に着く。漁師町の鼓動。

凛とした寒さの中、船のエンジン音がまだ静かな入り江に響き渡る。もうすぐ太陽が昇る。日の出近く、白いもやが水面から沸きあがり辺りを覆う。「けあらし」だ。海からの水蒸気が大気によって急激に冷やされ起こる蒸気霧。すでに活気あふれる男たちの声が聞こ...

Posted by はまらいんや!気仙沼 on Friday, November 9, 2012

美しい景色とともに、そんな漁師町の鼓動も一緒に味わっていただけたらありがたいです、とのお話でした。

 ②カキとメカが絶品

メカジキのことを気仙沼では「メカ」って言うんですね。ドラマの中でもりょーちんや、サンドイッチマン扮する漁師さんが口にしてましたね。

竹下:メカが美味しいですよね。お刺身でいただいたのは初めてだったんですけど、あぶらがあっさりとしていて、からだの中に沁み込んでいきました。気仙沼は食べるものが本当に美味しい。
竹下:それからやっぱりカキ! (ドラマで)龍己さんが丹精込めて作っていたカキ。私も今回、初めてカキ棚のある場所に連れていっていただいて。ひとつひとつ美味しい立派なカキに育てるために、こんなに皆さんが大変な作業をして努力されて、というのを目の前で見させていただきました。生産者の皆さまの気持ちがそのまま詰まっている、愛しいカキですね。

もちろん、東京にいてもいただくことは可能ですけど、ぜひご当地で味わっていただきたいですね。

 ③ホスピタリティの塊

ロケ中には、地元の皆さんのあたたかさを何度も実感したそうです。

竹下:藤さんもおっしゃってましたけど、みなさん懐が深いというか、あったかいというか、気仙沼の皆さんはホスピタリティの塊で。

最初のロケで、モネちゃんが生まれたときに私(雅代さん)が、京香さん(亜哉子)さんを勇気づけるために「がんばらいん!」って言うんですが、これがなかなか上手く言えなくて。

がんばらいん…がんばらいん…って呟いてると、後ろからエキストラの皆さんが大合唱で「がんばらいん!」って(応援してもらったようで)。私自身がハッパをかけられたような気持ちになって、しっかりやらなくちゃって思ったのが最初のロケの思い出ですね。
本当に皆さん気さくで。港を歩いていても声をかけてくださったり、(ドラマを)喜んでくださって、行くたびにあったかい気持ちになりました。

気仙沼のことを思い出しながら話す竹下さんの口調は、本当に楽しそうで優しくて、ふるさとのことを語るような愛にあふれていて。とっても素敵だなあと思いました。

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そこにあったはずの人々の生活に想いを馳せて

余談になりますが、と前置きをされたあとに竹下さんからはこんなお話もありました。気仙沼を訪れたことで起きた自分の心境の変化について。とても大切なお話だと感じたのでご紹介します。

竹下:先日、ドラマのロケで広島を訪れて平和公園を歩いたんです。今はこんなにキレイな公園になっているけれど、かつてはここにもたくさんの生活があって、ひとりひとりのかけがえのない生活があったんだな、ということが、自分のことのように思いがこみ上げてきたんですね。

そんな風に思いながら広島の町を歩いたのは初めてでした。気仙沼に何回も通ううちに、そんな風に思えるようになりました。
気仙沼の町だけでなく、災害に遭われた町のたたずまいはどんどん変わっていくと思います。でも、たくさんの方の生活がそこに確かにあったんだ、という、災害前のその場所の空気みたいなものにも、ちょっと足を止めて、想像を膨らませていたただけたらいいな、と思います。

想像することの大切さを語ってくださった竹下さん。

わからないけど、わかりたいと思っている。

菅波先生のセリフを言葉を思い出します。

「おかえりモネ」は気仙沼の大きな宝

気仙沼の魅力を熱く語るおふたりを見た市長からは、住んでいる我々以上に気仙沼のいいところを感じ取っていただいている、と喜びの言葉が。

ドラマが終わった後に、この観光キャンペーンのために撮影していると、「龍己さんと雅代さんが帰ってきた!」とネットでの書き込みを見たという竹下さん。今でも「おかえりモネ」が愛されていることを感じて、とても嬉しかったと言います。

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「おかえりモネ」は気仙沼の人々にとって大きな宝になった。
市民にとっても特別なドラマになった。
市長の元へはそんな声がたくさん寄せられたそうです。

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市長:
私自身も毎日2回も3回も観たドラマで、とても感慨深いものがあります。被災者の想いというものを本当に丁寧に、ひとつずつ、ひとりずつ表現していただいて、演じてくださって、いまも余韻が残っています。

私たちは震災でたくさんのものを失いました。その後、市民の皆さんは大変な苦労をされましたが、一方で得たものも確実にある。それは何かというと「ご縁」です。「絆」という言葉がその年の流行語にもなったと思いますが、たくさんのご縁と絆が私たちを励ましてくれました。

竹下さんの、大島のすん子さんとの出会いから「おかえりモネ」の出演、これもまさしく「ご縁」なんじゃないかと。他にもこれは運命なんじゃないかと思う出来事が、たくさん起こっています。そういう出来事のひとつひとつが気仙沼市民にとっての宝なんですね。

「おかえりモネ」というドラマが大きな宝として、震災以降に得た人とのつながり、ご縁として宝として、これからも多くの人と繋がっていけるんじゃいかと思っています。

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気仙沼市民だから響いたドラマのシーン

市長が「気仙沼市民だからこそ響いたドラマのシーン」を2つ挙げました。

市長:
ひとつは新次(浅野忠信)が仮設住宅で飲んだくれた後に、永浦家に来たシーン。耕治(内野聖陽)が情けをかけようとしたときに、龍己さんがそれを強い口調で諫めて「漁師は意地で生きているんだ」と言います。人に世話になるような状況を作らせてはいけない(漁師のプライドを奪ってはいけない)と。気仙沼の漁業関係の方たちは「よし!」ってグッときたんじゃないかと思います。(自分たちの想いを代弁してくれたと感じて)

もうひとつはモネが竜巻の後に島に帰ってきて「橋を渡ってきた」と言うシーン。あのひとことは、大島の方にとってはもの凄く重く響いたセリフだったと思います。

この橋は50年間、願って願ってようやく掛かった橋なんです。この橋はクレーンで掛けられたんですが、希望者は船に乗ってその瞬間を見ることができたんですね。私も乗っていたのですが、大島の皆さんが一緒に乗っていて。

何と言うか…わけもなく嬉しいんです。理屈じゃない。ただただ涙があふれるっておっしゃって。だからあの「橋を渡ってきた」というセリフは、大島の方にはとても響いたんじゃないかと。そういう橋なんですね。

名場面はたくさんあるんですけど、あちこちに気仙沼のエッセンスが織り込まれていて、制作の方たちが気仙沼の人や歴史を含めた風土を理解してドラマを作ってくださったのだな、と思いました。

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お話を聞きながら、新次さんやモネのあのシーンを思い出してちょっと泣けてきちゃいました。朝ドラファンとして、「おかえりモネ」のファンとして、このお話を聞けてよかった!と思いました。

「ただいま、気仙沼」観光プロモーション

まるで龍己さんと雅代さんが帰ってきたような、朝ドラファンには見逃せない今回の観光キャンペーン。

特製の「気仙沼なないろ海鮮丼」、ドラマの街歩きガイド(利用日限定)などが楽しめる朝ドラ舞台を巡る宿泊プラン「なないろ」(12月~2022年3月)や、抽選で39名(サンキュー)に詰め合わせセットが当たる牡蛎とメカジキごちそう祭り( 11/19〜2022年1/31)、来年の10/31まで期間が延長されたおかえりモネ展など、気仙沼の町をあげてのキャンペーンになっています。

気仙沼の観光サイトも参考に。

龍己さんが丹精込めて育てたかもしれないカキ、りょーちんがあの船で獲ったかもしれないメカジキ、とドラマのシーンを思い出しながら海の幸を味わったり。モネの企画でツアーは実現しなかったけど、けあらしを見に行ったり。ロケ地をあちこち巡ってみたり、「おかえりモネ」の余韻を味わいながら気仙沼を楽しめるに違いありません。

竹下:港に行けばりょーちんがいるんじゃないか、と私も思ってしまうくらい、町のそこここに「おかえりモネ」の想い出があります。大島の橋からの景色、橋から見るカキの養殖場、大型漁船が並んでいる港の様子などもぜひ見ていただきたいですね。
藤:「おかえりモネ」のおかげで、これが縁で、こうやって観光のお仕事も協力させていただいて。大好きな場所で、これからもずっと大事な場所になると思います。

モネたちは今どうしてる?

最後に、ドラマが終わった今、モネたちはどんな暮らしをしていると思いますか?という質問がありました。モネと菅波先生は、あのあとすぐ遠距離結婚をしたのか? ドラマが終わってまた3週間ぐらいだし、結婚はまだなんじゃないか? なんて話でも盛り上がりました。

市長からは菅波先生のような総合診療医はこれからの時代、必要になってくる、きっと菅波先生も登米や気仙沼に通って、モネとふたりそれぞれが周囲の役に立って、自分たちの想いを遂げていくのでは、というお話も。

モネの家族、菅波先生、りょーちんたちの息遣いを感じながら、気仙沼を回ってみたいですね。ドラマの余韻が残る、冬の気仙沼はまだまだ熱い!

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気仙沼は「いってらっしゃい」「おかえり」という言葉が飛び交っている港町。「ただいま」と言って来てくれたら、きっと「おかえり」と気仙沼のみんながあたたかく迎えてくれます。というお話が最後にありました。まさにドラマの最終回のモネとりょーちんじゃないですか(涙)。モネになりましょう! りょーちんに言ってもらいに行きましょう気仙沼に!(違う)

朝ドラファンのみなさまに、内容をできるだけ詳細にお伝えしたくて、レポートアップに時間がかかってしまいましたが、その分、速報のニュース記事より、どこよりも詳しいレポートになったのではないかと自負しています。(文字数7500文字超) 少しでも雰囲気が伝わったら嬉しいです。朝ドラファンの私の興奮しか伝わってなかったらすみません(笑)

気仙沼行きたーい!

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